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学習、またはハイハイにおける脳内演算処理プログラムの生成

グルーピング・リテラシーは運動によって向上する1

 私たちは学習するときや何かを習うときに最初は簡単で単純なことからはじめて、慣れてきたら少しずつ難易度を上げていきます。
 それは外国語を習うときも、サッカーや柔道などの格闘技やスポーツも、そして仕事でも同じです。
 もしもアルバイトを始めるときや、新入社員で働き始めるときに研修がまったく用意されていないとしたらあきれて辞めてしまう人もいるかもしれません。

 初めてなにかを習ったり、研修を受けたりするときに以前、同じようなことをどこかで経験しているかも、と感じることはあまりないと思いますが、脳は私たちの実感とは違う処理をしているかもしれません。人がなにかをできるようになるプロセスはどのようなことが起きているのでしょうか。

 養老孟司は何かができるようになるのは、脳の中に「演算処理プログラム」が生成されるからと言います。そして、脳の中に処理プログラムができるまでの過程について、「識字率」と「外遊び」(ハイハイ、運動)の関係で説明しています。

 生まれたばかりの赤ちゃんの外遊びの第一歩は、ハイハイです。
ハイハイし始めると向こうにあるものや景色が一歩ごとに違って見えます。
 一メートル先にあるリンゴと、五〇センチ先にあるリンゴ、さらにはもっと近づいて目の前にあるリンゴ。これは当然、違って見える。それがハイハイという「体育」、つまり運動した結果、脳に入力される。
 ところがそういう「違って見える状況」をいちいち「違うもの」と認識して覚えこんだら脳は容量をあっという間にオーバーしてパンクしてしまう。
 だから、いくら動いても変わらないものは何だということを、脳は自然に学習していく。
<中略>
 これを文字で置き換えると、たとえば、同じ「い」という文字でも、活字の「い」という字と、手書きの「い」という字は、厳密に言えば違って見える。それでも、同じ「い」という字と認識する。

 ちなみに、この「同じ」であることがわかる、というのは、もっと進んで、たとえば中学生になると、「比例」という概念になります。
 三角形は大きさは違っても内角の角度が同じなら同じ(相似)なんですよと。こうしたことは、身体の移動ができるようになってから自然に脳がプログラムを作って覚えていたわけです。
 つまり重要なのは身体を動かすということ。これが運動制御のプログラムになる。それを私たちは様々なことを考えるときに応用するわけです。
<中略>
 余談ですが、先ほどの「同じである」という認識は、グルーピングといってもいいと思います。

バカにならない読書術 養老孟司

 運動することで、あるいは様々な角度からものを見ることで、何と何が同じであるかを認識して「グルーピング」する能力は、かなり複雑で高度なものですが、養老はこれを人間特有の能力であり、生物が進化して五感が退化していく結果として身に付けたものと述べています。
 五感が退化して鈍くなってしまった結果、脳の中でそれを補うための能力が必要になったのかもしれません。

 ハイハイという運動によって、脳は「演算処理プログラム」を作ります。私たちの感覚では、教科書を読んだり、机上で問題を解くことと運動することはまったく別のことですが、「相似」を中学で習うとき、以前「自然に脳がプログラムを作って覚えていた」ことが利用されるのであれば、学習して理解するということの認識が変わるかもしれません。

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