第二部 『死』から『生』へメンタルクリニック通院開始          

うつ病のまま大学生活へ 

大学に入学した。試験対策は色々としてきたけれど、まさか本当に入れるとは思っていなかった。高校にも報告しに行ったんだけど、芸術大学に進学できた卒業生というのは、どうやらその高校の歴史でぼくが初だったようだ。

けれど、入れたのはよかったものの、一浪してしまったし、卒業するのは無理だろうと思ってしまった。なにしろ自分が死ぬのは、二十三歳。あともう四~五年くらいしかない。

大学入学が決まったあたりから、もう毎日のように作品を書き続けるようになっていった。とにかく文章を書くのが下手だから、数をこなして書き続けなければ上達しないと思っていた。それに、うつ病の影響から、書けないようになる・上手くなれないというネガティブな思考が常に頭を過って、その考えへの抵抗もあった。

 

四月になって、父と姉が、東京の家(父の実家)に移ることとなった。二人がいなくなったことによって、少し過ごしやすくなる。

大学は一・二年時は埼玉の所沢キャンパスに通うことになる。神奈川の住まいからだと片道で三時間近くかかる。通学に片道三時間近くというのは過酷だった。

では、何故ぼくもこの時に一緒に東京の家に移らなかったのか。普通だったら学校から近くなるので、東京の家に移った方が良いはずなのだが。

その実家というのが、とにかく酷い環境だった。母でさえ行くのを断固拒んだ家だ。うつ病や不安症に苦しめられている状態のぼくが住めた場所ではなかった。住めば症状が悪化すると分かっていたので、どんなに神奈川から通うのが大変でも、東京の家に住むのだけは避けようとした。


大学の入学式を迎えるが、学校生活というのは(他者と接するのは)予備校を辞めた時以来だ。

いよいよ大学の講義を受けるようになるが、がっかりする点が多かった。もっと小説家になるために有意義な講義が沢山あると思っていた。

良かったのは、大きな図書館と、体育の実技授業だけだった。

ゼミにも所属するが、やはり他者と付き合うのに恐れて、手の震えが出てくる。死ぬことばかり考えている心に他者が関与すると、もろく崩れてしまいそうな感じがした。

 大学生活でも、頑なに人を拒絶する日々を送った。本当に頑なに、自分は死ぬんだから、死ぬために小説家を目指しているんだから、と人を避けて、孤立した日々を過ごした。

ゼミはあってもクラスというものは存在しないから、孤立するのは楽だった。

 

さっきも書いたように、キャンパスには、三時間掛けて通う。学校にいる時間よりも、電車に乗っている時間の方が長い。一次限目の授業の時なんて大変だ。五時起きして、六時前には家を出なくてはならない。

だから、なるべく一次限の授業は取らずに、それ以降の授業を取っていった。

父親は、一人暮しはさせてくれないから、仕方ないから神奈川の家から通うしかなかった。あまり環境というものを変えたくなかったというのもあったし、創作意欲にも支障が出るのではないかと思った。

家では必死に小説を書き続ける。しかし、書いている途中に、嫌な考え(強迫観念)がたびたび思い浮かんでくる。書く意欲を無くさせるものだった。小説を書くという地道な作業をするのだから、ストレスも多く、精神的に苦痛も伴う。嫌な考え・ネガティブな気持ちとも常に戦っていた。

でも、書きたい題材は不思議と沢山思い浮かんでくる。文章は下手だけど、アイデアがよく浮かんでくるのは、ぼくが新たに知った自分の長所だった。

 

どんなに疲れていても、負けない、まだ負けない! 絶対に、負けてたまるか! そう自分に言い聞かせて、日々疲れていても、小説を書き続けた。

書ける期間も定めてしまったので、早く書かなきゃ、早く書かなきゃ、という思いでいつも一杯だった。

童話中心に、色々な公募賞に出していく。しかし、ことごとく落選。文章力のない人間がそう簡単に入賞できないことを思い知らされる。この世の中で、作家を目指している人達がどれほど多いのかも思い知らされる。

自分の力の無さを痛感させられる。今まで自分がいかに甘い考えで臨んでいたか、いかに未熟な腕しか持っていなかったか思い知らされる。

このままでは作家になれない。どうしたらいいのか考えながら、毎日書き続けた。

大学生活一年目は後期に入って、ゼミ内で、創作・合評が盛んになってくる。自分の作品が読まれることは、恥ずかしいことだったけれど、やっぱりすごく嬉しいことだった。創作論でも色々な話を教わっていく。

しかし、英語など、みんなの前に出ての発表や、挙手性を重視する授業は、自分を表わすのが恐くて、もう行かなくなってしまった。

日々の疲れや、大学の講義への興味も薄くなってか、大学もあまり行かないようになっていった。行っている時間がもったいなくて、家で小説を書いていることが多かった。創作に役立つ、有意義な講義しか受けないようになった。

ずっと一人暮しをしたいと思い続けてきたけれど、アルバイトもできなくて(面接にことごとく落ちて)、自分の書く小説も賞なんて全く取れない。取れるはずもなかった。未熟な腕しか持っていないから。

弟との仲も険悪なままで、母親から常々、向こう(東京の実家)に行けと言われていて、ついに十二月辺りから東京の家に移ることになった。

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