【酒蔵復興】委託醸造へのきっかけ(HINEMOS×森山酒造応援NOTE)
まずはこのクラウドファンディングを紹介させてください。
”HINEMOS”は「時間に寄り添う日本酒」として2019年から製造しているお酒です。
今までHINEMOSは「箱根山」で有名な井上酒造にて製造されていました。
今後はその井上酒造で杜氏をされていた湯浅さんのご実家、森山酒造さんの「新しい酒蔵」にて造られることになりました。
その出発に際してのクラウドファンディングです。
ちなみに本日から開始となります。
今ならタンクに名を刻めますよ。
さて、何故このクラウドファンディングを紹介したのか。
それは今、こうやって酒蔵復興への歩みを進められているのはまさにお二方のおかげだからです。
その話を今日は書きたいと思います。
湯浅さんとの出会い
湯浅さんとは2019年6月に東京で行われた日本酒フェアでした。
あの時、僕は過去にお世話になった鯉川酒蔵の皆さんと東京で待合せをし、ひぃひぃ言いながら利き酒をしていました。
2018年に退職をして、初めての酒造りを長珍酒造で経験した次の6月です。
利き酒は訓練と言いますが、あの量の利き酒はできる気がしません。
勿論、飲まずに吐き(口の中のお酒を吐き出す容器)に出してますが、それでもお酒の味や香りの情報を整理して次のお酒へ、、を何十回何百回繰り返すのは相当な訓練が必要なのではないでしょうか。
数回で麻痺してきましたし、そもそも味覚も嗅覚も平均以下である自覚があるので、利き酒という作業はより過酷なものになります。
早速話がそれました。
日本酒フェアは公開唎酒の他、各県の酒造組合のブースが出しているコーナーがあります。
知っている酒蔵さんが少しずつ増えていた当時、挨拶を兼ねて知っている組合のコーナーを回っていました。
そこでこの後、お世話になる羽根さんがいる三重県のブースに挨拶にいた時、同じく三重県のブースに寄っていた方を紹介してもらいました。それが湯浅さんです。
出会った頃の状況
どのように紹介して頂いたかは忘れてしまいましたが笑
湯浅さんからは井上酒造で杜氏をしていること、そして委託でお酒を造りはじめたことを教えて頂いたはずです。
別れた後、ネットで調べて委託で醸造されているお酒がHINEMOSだったことを知ります。
その頃Makuakeで色々と調べることにはまっていた僕はHINEMOSのことを知っていました。
ただ、僕自身は当時、HINEMOSについても興味を持っていましたが、むしろ湯浅さんのご実家にも興味がありました笑
湯浅さんのご実家の森山酒造は幻のお酒と言われている蜂龍盃を醸していることで日本酒好きの中では有名な酒蔵です。
僕は当時清酒製造免許を探している真っ只中。
前年にはM&Aアドバイザーさんの紹介で案件に首を突っ込んでみたり、東海四県の酒蔵をリストアップして、後継者がいなさそうな酒蔵に対してアプローチをとってみたりしていたところです。
後継者がいなさそうな酒蔵の中に愛知県東栄町の森山酒造もありました。
そう、あわよくば森山酒造の免許を貰えないかという邪な考えのもと、湯浅さんに近づいていたのです笑
酒井さんとの話
その後アポを取り、酒井さんと湯浅さんに会いにいくため、小田原まで出向いたのは翌月のことです。
タリーズで待ち合わせ、そこで酒井さんと初めてお話をしました。
酒井さんはリクルートからM&A先への出向を経て、この業界に入られた方です(ちなみに僕はリクルートを第一希望にしていましたが、筆記で落ちました、どうでもいいですが笑)。
話した内容は主に委託醸造に至った経緯、そして日本酒を造るコストのことです。
酒蔵を仮に建てるとしたら借入は必須。そのためにも事業計画を立てる必要があり、そのために1本あたりの単価を出したいと思っていたところでした。
そのため何件か蔵元さんにお願いをしてコストや収益についてヒアリングの相談はしていました。ただ、コストの分解を行っている酒蔵はあまりなく、実際にヒアリングまでいきつきませんでした。
人件費(蔵元や季節雇用の考え方)や水(洗浄など多岐に利用が渡るため)の考え方が難しいのと、古い会社が多いため、個人と法人が収益・費用共に一緒くたになっていることが多いからと思われます。
当時のメモがEVERNOTEに残っていたので見返しましたが、ほぼほぼコストのことしか書かれていません笑
キャップや瓶の単価がいくらだー、米がいくらだーとかです。あとは、冷蔵庫から発送までのオペレーションの話、酒販免許を取った際の苦労等。。。
当時の僕にはすべて新鮮な話で興味津々に聞いていたことを覚えています。
そして日本酒業界とは縁のなかった方が短期間で日本酒をビジネスとして始めている。
この事実が、今まで考えていなかった未来を映してくれました。
ちなみに、酒井さんのnoteはこちらになります。
色んなことを書いていらっしゃるので勉強になりっぱなしです。
そしてこれは当時井上酒造で撮った写真です(唐突)。
もう相当前に思えますが、2019年7月なので、まだ2年弱前なんですよね。
時が経つのは早い。。。
そして委託醸造へ
さて、そんなこんなで、酒井さんと話しているうちに、委託醸造という形が現実的なものに思えてきました。
ちゃっかり帰りの車の中で湯浅さんにご実家の製造免許のことも聞きながら(その節はありがとうございました笑)、帰りの電車で今後のことを考えていました。
長珍酒造で造りを経験しましたが、「釜屋」としての経験です。今後、自分で酒造りをするにあたって、勿論一つずつ階段をあがっていくのもやり方ですが、それでは色々間に合わない(実家の資産的に短期間で復活させる必要があった)。だったら全行程を体験できる場所にお世話になりたい。
また、造りをするなら少人数の造りになる。そういう少人数の造りで参考になる考え方や動き方を身に着けられそうなところがいいなと。
そして委託醸造。
清酒製造免許取得への道のりが全く見えていない頃でした。正直、1蔵人を続けていても解決策への道筋には思えませんでした。
酒蔵復興はまだ難しいかもしれないけど、無理やりにでも動き出せば何か変わるかもしれない。だったら委託醸造という形をやってみよう、そう決断したのです。
・委託醸造させてもらえるかもしれない酒蔵
・全行程携わらせてもらえそう、かつ蔵人として勉強となりそうな酒蔵
この2つを叶えてくれそうなのが羽根さんの福持酒造場でした。
湯浅さんと酒井さんに会いに行ったのが7/3、そして羽根さんに連絡したのが7/10。
僕もよくわかっていないまま勢いにまかせて、7/14に羽根さんと名古屋駅で話をし、0歩目への歩みがゆっくりと動き出したのです。
だからクラウドファンディングを応援したい
拙い文章なのでうまく皆様にお伝えできたのかわかりませんが。
福持酒造場さんで敷嶋0歩目、半歩目を造りはじめることができたのはお二人に話を伺ったから、です。
そのお二人が新たなステージで挑戦を始めるのであれば、僕としては応援するに決まっています。
そして期せずして同じようなタイミングで新たな一歩目を踏み出すことになります。
当然、お二人のような方々と肩を並べる、とまではまだいきませんが、一つ負けていない思いがあります。
noteからの引用ですが、酒井さんの日本酒業界を選んだ理由の一つにこの言葉があります。
“「衰退した日本であってほしくない」”
僕自身、地域のためにできること、そして今の日本が生き残るために必要なことを考えたことで実家の酒蔵の再興を決断しました。
根底は一緒かなと思ったりしていますし、僭越ながら”同志”であると思ったりしています。
これからの日本を支える一つの軸に和の文化、そして日本酒があると信じているからこその行動。
まずは何卒皆様応援のほどよろしくお願いいたします!!!
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