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今日の稽古 2『繋がり』

今日は稽古

舞台上での演技や技術、見せ方、そういう外側に向かうものに重きを置くよりも、

自分の内面や、気付き、そういう内側に向かうものに重きを置くレッスンがメイン。

テーマは

自己肯定感 と 接触

遅れて参加したので
アメーバコンタクトというレッスンから

常に
誰かの、身体のどこかに、触れ続けながら、その場に漂うような感覚で。

自分がアメーバになったような感覚で、くっついたり離れたり(基本は離れない)。

でも、離れたくなったら離れてもいい。
離れられた側は、何も思わないかもしれないし、寂しく感じる人もいるかもしれない。
その寂しさはそれとして、味わってみる。

大抵の人は、日常生活で他者と接触をもって関わることはそこまで多くはないと思う。

ただ、このレッスンでは、相手のどこに触れよう、誰に触れようなんてことは取っ払って、そこに漂いながら触れたものと繋がるか離れるか、それだけ。

もちろん、男女の性的な部分は避ける。
(最終的にはそこすらも意識せずに触れ合えるのがベストなのかもしれないけど、それはまた別の話としておきますね。)

接触に慣れる、という意味合いもあるけど
一番大切なのは

繋がる感覚を知ること

だと思う

物理的な接触がなくても、芝居をやる上では相手と繋がっていないと、本当の意味での芝居は出来ないと思う。

だから、強制的に物理的なコンタクト=接触を用いることで、繋がりをよりわかりやすく、感じやすくするレッスン

このアメーバコンタクトをやるのは、二回目だったんだけど

不思議と嫌じゃない

男女まぜこぜで、しかも日常生活の中では触れられることがあまりないような
首回り、顔、頭、二の腕、腰、そういう部分も関係なく触れる、触れられることがあるのに、だ。

むしろレッスンに一緒に参加してる団員達の中でも
「心地好い」「気持ちいい」なんて感じる人も少なくない。

しかも人によって相性を感じたりする。
「この人は今は触れなくてもいいかな」とか
「あぁ、この人と繋がってるの気持ちいいな」とか
人によって感想は様々だけれど。
その人のことが好き嫌いは多少あったとしても、そういうことでなく、
その日のその瞬間は、ということ。

僕の場合は今日はこのレッスンをやりながら、
途中からほとんどある一人の人とずっと背中を離すことなく終わりまで繋がっていた。

何故かというと、心地よかったから。
その団員は女性だったし、たぶん普段なら異性に対してそんな接触をしようとは僕は基本的に、しない。
それでも安心というか、「ここにいていいな」「ここにいたいな」という感覚を強く感じた。

お互い、他の人と絶えず接触していたし、場所を動いてもよかったし、どのタイミングで離れてもよかったのに、そうはしなかった。

稽古後にその団員と話していたら
相手も僕と接触をしている間、同じような感覚だったと聞いて、
「だからずっと離れずにいられたんだな、嬉しいなー面白いなー(お風呂入ってきてよかったなー)」と思った。

あとめっちゃ安心した。(こっちだけそんな気持ちだったらすげぇさびしい)
めっちゃ安心した。

顔もみてないし、一言も話してないけど

なんとなくでも、相手の気持ちとか、感覚とか
そういうものは感じられるんだと、再確認。

繋がることは出来る。
物理的に接触していなくても
相手の方を見ていなくても
好きでも、嫌いでも

何かを感じようとしていれば
相手に無関心でなければ
出来るんじゃないかと思う。

まあ僕はこの後、感想を全員でシェアしている途中から何故か
全身を無数の手でベタベタ触られている感覚に陥って、気持ち悪くなってきてしまって
次のレッスンは一旦休憩させてもらったんですけど。
この前やったときは大丈夫だったんだけど、なんでだろう……。

このあとも別のレッスンをやったんですけど、
このレッスンの話だけで思ったより長くなったので、今日はこの辺にしておこうと思います。

繋がりって
なんだろうね

おやすみなさい、また

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