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「雑」

◇先日いつもの酒場に行き、いつものように隣り合った方と話をした。

酔って詳細は忘れてしまったが、運動やダイエットの話をする中で「身体は全部繋がっている」という結論に落ち着いた。

どういうことか。トレーニングにせよストレッチにせよ何か治療にせよ、意識した箇所とは別の箇所にも効いて調子が良くなる事がある。確かそんな感じの結論だった(結構酔っているからニュアンスしか覚えてない)。

つまりそれだけ身体は複雑であり、そして正直であり、それでいて自然そのものである。

健康志向やジムが流行っているのは、人が身体性を取り戻そうとする揺り戻しの現象なんだろうなぁ。

色んな事が便利になって、こんなに身体を使わなくなった生活は人類初なのだから。

都市と情報社会は自然を排除する事と同じ意味だから、自然である身体が反発していると思う。

そう考えると昨今の気候変動も揺り戻しかもしれない。


◇バタフライエフェクト、風が吹けば桶屋が儲かる、カオス理論。

情報社会は物事を単純化するけど事実そんなに単純に出来てはいないから、こういう言葉や概念が生まれるんだと思う。

世界を単純にしたいと思う人の願望が人を洗脳しているのかも。つまり社会をコントロール下に置きたいと考える。それなら社会はファンタジーとも言って差し支えない。

そのファンタジーの中をどうドライブするか?それが人生観。これは米津玄師と宮崎あおいに共通する考え方だとTVerのある番組で知った(普段滅多にTVは見ない)。

流石に表現者は世界の捉え方が的を射る。


◇昔買って読んでない本がある。その一つに「山下清 著 : 日本ぶらりぶらり」があって数ページ読んだ。

買った当時は面白くなくてすぐ読まなくなったのを覚えているが、今読むとまぁ面白い。

「あぁこういう風に世界を見るのだな」その視点が面白くもあり、またそれが当たり前で当然な事とも思えた。

やっぱり本物の表現者なんだなぁと深く納得するものがある。

また「知的」という言葉が総裁選で話題になっているが、あのフリージャーナリストの論法からすれば知的障害を持った山下清は知的ではないという意味に当然なる。

ぼくは新聞はめったにみないが、ときどきよむとみんな本当のことばかりではない気がするので、嘘と本当はどのくらいのわりあいに世の中にあるものだか、わからなくなる。大ぜいが本当だといえば、嘘でも本当になるかもわからないので、世のなかのことは、ぼくにはよくわからないのです。

山下清 著 : 日本ぶらりぶらり

これならば山下清は新聞をちゃんと読めているので知的ではない、そういう意味になるな。

逆に読めない人こそが知的という事となると、このフリージャーナリストは正になるかもしれない。

あぁまったくもって知的だなぁ。

まぁそれはそれとして、人相に人柄って出るなぁとも思った。人は案外見た目通り。




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