「新」
◇同じ顔した無個性の家屋が軒を連ねるニュータウンに一軒の蕎麦屋を見つけ入った。
街並みに溶け込んだ淡白な外観だが入り口にあったブタさん蚊取り線香の匂いで瞬間に昔が脳裏を過ぎる。
“香り”と“記憶”は脳内で強い結びつきがあると本で読んだ事があった。
初めての店で「懐かしいなぁ」と思うのは初めての経験であり、これを意図したなら凄いなぁと思ったが中に入り店員さんの表情を見るとそういうわけではなさそうだった。
◇手打ちで香りも程よくて甘い。蕎麦の実を挽いてはなさそうだろうけど、良い蕎麦粉を仕入れているんだろうと思った。値段の割に満足度が高かった。
淡々とオーダーをとり淡々と作って提供する。お店の人はどこか不器用で人見知りという印象が蕎麦屋にあるし、またそれが蕎麦屋という感じもするし、また味になっている気がする。
何とも落ち着く。
◇欧米式マニュアルで定められ訓練されたデジタル笑顔を向けられる事が苦手な自分としてはこういう自然体が癒しですらある。
それは直前に立ち寄ったユ○クロのせいかもしれない。笑顔だけど笑っていない笑顔の店員さんの機械化された表情を見ると目を背けてしまう。なぜか辛くて見てられないからだ。
しかしそういうのを喜ぶ人が多いのもまた事実だろうとも思う。
例え嘘の笑顔であってもそれが嬉しい。
恐らくそれは普段自分の周りに笑顔がないからだと思う。人は何事も自然とバランスを取ろうとする。そうでないと説明がつかない。
世知辛い世の中がこういう細部に現れているという事だろうと思う。
◇ニュータウンは同じような形の家ばかりだからか、他のお客もどこか似ている人たちばかりだった。見た目の話ではない。
店内に入ると言われるままに座り、店員さんが来たらオーダーして、自分達以外には無関心なのか店内や料理について聞いたり話すわけではなく、会計時にはお金だけ払いご馳走様は言わず退店する。
別にそれが悪いわけではないが牛丼チェーン店と同じ立ち振る舞いなんだろうなぁと思った。ただの栄養補給。
お店が試行錯誤しているのはメニュー表を見るだけでもわかるし面白いんだけど、そういう事には無関心。
たぶん自分には何も関係ないと心底思っている。
◇他人に対し無関心、というのが高度経済成長から現在までに起こった事なんじゃないかな?
自然を破壊するのは自分に関係ないと思っているからで違いない。それで井戸水が飲めなくなったら安全な水道水を飲みましょうとなった。そのままで飲めたものをわざわざ処理にかけないと飲めなくなったというのは進歩なのかどうか疑わしいし無駄なエネルギー循環系を作っただけとも言える。
◇他人に対し無関心、だから今は“人と繋がりたい”というムーブが起きるんだろうな。つまり揺り戻しが起きているんだと思う。とはいえ人は信用できない、そういう矛盾もある。しかしこれは根本的に間違いである。
『信じるより、信じられる人間になる方が早い』
ある人が教えてくれた、多分これが正解。
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