「老」
◇大学生の頃からたまに行くお店のSNSをフォローしたら、おそらく運用代行が入っている様でその運用方法に関心してしまった。
何より絶妙なのは「距離感」の取り方。
干渉し過ぎず干渉させ過ぎず、その上で「ちゃんと見てますよ」感がSNSを通じて表現され、その中で「感謝」も伝えている。
これを嫌がる客はいないだろうなぁ、そう思った。
ここで重要なのは、好かれようとするのではなく嫌がられない様にする事。それが「また行こう」に繋がる。
ー 付かず離れず ー
これが若者のSNSの距離感なんだと直感した。中年にはまず出ない発想だからだ。
◇ニュースでは「若者のSNSとの付き合い方がウンヌン」と深刻な顔してる大人のコメンテーターが跋扈しているが実に滑稽な事だ。
あんたらと違って若者はちゃんとSNSの使い方を心得ている。
というか若者文化の事を当事者でもない大人達が外側から稚拙な想像でアレコレ問題視する光景はそういえば昔からあった。
思い出してみれば子供の頃「この大人たちは何を的外れな事を大真面目に言っているんだ?」という事が何度もあった。若者批判は古い書物にも出てくるので人間のDNAがする事だとも言える。
元より、たまたま詐欺に引っかかった若者をピックアップして印象操作をするのは仕事における大人の都合ということもあるのだろうけど。
◇SNSは道具である。
本当にSNSを深刻に思っている大人たちは、その道具に自分自身が使われている事に気がついてない。自分が使えていないから若者も使えていないと思い込んでいる事からこそ誤解が生まれてくる。
若者の多くはSNSを使いこなし手足の様に体の一部と捉えている筈だ。
包丁、車、箸。それと同じ様に道具としてSNSを使う。それならば本来は大人が若者から教えてもらわないといけないが、そうはしない。
つまり本音では若者を憂いているわけではないわけだね。
当事者不在で問題視され政治利用される事も日本のお家芸だから仕方ないかもしれない。今ならLGBT問題が正にそれであろう。LGBTQ理解増進法なんて政治家は言ってるが本音ではどう思っているのか?
◇X(旧Twitter)ではよく罵倒し合う光景を見る。おそらくこの中に若者は少数の筈だ。
多くは大人が思うよりずっとSNSを平和的に利用している。
それが若者から見る世界の捉え方なんだと思う。無論、将来それが世界を作り替えて行くに違いない。そしてまたその若者も大人になり、その時代の若者を問題視する。世の中はその繰り返しの様な気もする。
少なからず罵倒し合う光景を見ながら「こういう大人にはなりたくないね」そう思っているに違いないからSNSの運用が「付かず離れず」それでいて「快適」になされている。
まぁ現代は深刻な少子化だから若者も大人も「そして誰もいなくなった」になるだけかもだけどね。
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