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「碍」

◇障がいを持った子が行方不明になりSNSで呼びかけ捜索するも残念ながらお亡くなりになった。原因は分からない。

学校で嫌な事があり、それをきっかけに家を飛び出して行方不明になってしまったとの事だった。


◇「優しい心の○○でした」

母親と思わしき人が最後に告げた言葉。得てして“優しい”という特徴が障がい者にあると思う。

障がい者は自分にとって身近な存在で幼い頃から当たり前に思っていたので特別視した事もない。

あまりにも普通の存在だったので障がい者という事を意識したのは中学生になってからだった。人から言われて「あっ、そうか障がい者なんだ」と気がついた。それぐらい当たり前で普通の存在だった。

つまりそれまで区別した事がなかった。


◇しかし一方で障がい者を、嘲笑ったり、または虐めたり、そういう人達も見てきた。

勿論気分は悪かった。優しい人達だから柔らかい笑顔でいる事が多かったし、当然人を虐めるような事はなかったし、彼らが手を出す事があってもそれは苛めっ子から自分の身を守っているだけだった。

なんの危害も加えない彼らにわざわざ近寄って嘲笑い虐める様子を見たら、一体どっちが“障害”なんだよって、そう思う。

物事が分からぬ小学生なら厳しく躾けるとして、大人がこれをやってニュースになっていると本当に胸糞が悪い。勿論ニュースにならない程度の虐めも胸糞悪い。


◇「おはよう!」

道端ですれ違う時、知らない人にも満面の笑顔で挨拶する人がいた。いつからかずっとそうだったし、近所の人たちも「おはよう!」と挨拶を返していた。それが当たり前であり普通の日常でありそれは何年も何年も続いていた。

しかしいつからか彼は挨拶をしなくなった。

あんなに満面の笑顔だったから無表情だと誰か分からない程だった。

彼に何があったのかは知らないが、分かる気もした。


◇夏にやる恒例のあるテレビ番組がある。結論から言えば史上最高に嫌いな番組である。説明はしないでおく。


◇人をバカにする表現としての“障がい者”は言わずもがな腹立たしいが、同じように“メンヘラ”もどうかと思う。

ネガティブな人、うつ病含めた精神障害、この言葉はそれらをゴチャ混ぜにするからだ。そもそも同じだと思っている人がこの言葉を使っている気もする。

経験上、落ち込みやすいとか繊細な心とかいう事と、うつ病は全く関係ない。どちらかと言えば明るく前向きな人に多く発症する気すらする。

いずれにしても言ってる本人は「自分は絶対ならない」そう思っているに違いない。

自分は病気にならないと思っているのは根拠があるわけじゃないので、そりゃ希望だろうと思う。ただの願い事と言ってもいい。

いずれにしても身近な死を目の当たりにしたら同じ事は言えまい。要は想像力の欠如なんだな。


◇「生病老死」といえば人生の事

今では自分は病気にならないと思うのが普通で
老いるのは悪い事だからアンチエイジングで
死はあってはならないから寿命という言葉も死語になったし墓には目隠しの柵が立つ

技術の進歩と喜んでる人もあるが、単に見たくないから見ない様にしてるだけじゃねぇの?とも思うのだが、どうだろう?


◇「優しい」というのは、つまり「相手の痛みが分かる」という事だと思う。

さも自分の方が生物的に優位であると言わんばかりに、虐めたり又は哀れに思ったりする人があるが、本当にかわいそうで哀れなのはどちら様なんでしょうね?





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