「人生は苦しくて当たり前」を前提に生きると楽になる
こんにちは。SHIKIです。
「人生とは苦しいものであってはならない」という考えではなく、人生とは全て苦しみである」という考え方を持って生きたほうが結果的に楽であるということについてお話していきます。
それでは行きましょう。
人生は苦しくて当たり前、人生に意味はない
この考え方は「仏教」の基本となる考え方で、人によっては厭世的な見方で、あまりにも救いがないと思うかもしれません。
実際にその通りだと思います。
私たちの人生に救いはありません。
楽しいと思うようなことをずっと続けていても、いずれ苦しみます。
友人に囲まれていてずっと楽しそうにしている人たちを見ても、1年間365日ずっと同じ人と毎日会っていて楽しいのでしょうか?
いずれ価値観の違いで仲違いをするような出来事が起こるかもしれませんね。
また自分が楽しいと思うようなことを24時間ずっと続けていられるでしょうか?
苦行だと思いませんか?
生きる苦しみ、老いる苦しみ、病の苦しみ、死ぬ苦しみ。
愛す人と別れる苦しみ、人を憎む苦しみ、求めているものが手に入らない苦しみ、欲に振り回される苦しみ。
このように「人生とは苦しくて当たり前」なのです。
仏教ではそのように言い切っています。
そしてあなたもそのように実際に感じている部分もあるのではないでしょうか?
「苦しみ」があることは悪いことなのか?
「苦しみが当たり前」というお話をしていました。
では「苦しいこと、思い通りにならないこと」は悪いことなのでしょうか?
あなたは過去苦しみを乗り越えようとしてきた結果、手に入れてきたものがあるのではないでしょうか?
このように苦しみによって、能力・才能・人間関係・マインドセット・経験を得ることができてきませんでしたか?
だとしたら、果たして本当に「苦しみは悪い」ことなのでしょうか?
上記のように、実は「苦しみは恩恵」なのかもしれません。
そう考えてみると、今までの過去に受けた理不尽な体験を克服する過程で手に入れてきたものが多くありませんか?
そして今後突如として遭遇する苦しみに対して歓迎することで、自分が新たに人生で手に入れられるものがありそうだと思えてきませんでしょうか?
少なくとも私はそう思います。
もちろん理不尽な体験の最中では、そのようなことを頭ではわかっていても、実際は心中穏やかではなく、むしろ様々な感情が湧き上がってくると思います。
ただ頭の片隅にいれておいているかどうかの違いで、苦しみに対する向き合い方が全く変わるはずです。
「人生は苦しくて当たり前であり、苦しみは恩恵である」という立場で生きてみることで今後様々なことにチャレンジすることが出来たり、新たな出会いに結びついたり、チャンスを掴める自分を手に入れられるかもしれません。
本日はここまで。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
「いいな」と思ったら、忘れずに「スキ」を押してくださいね!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?