「無駄なことをしてはならない」という価値観が人生の幅を狭める
こんにちは。
SHIKIです。
「無駄なことをしてはならない」
このような価値観を持って生きていることはありませんか?
効率的に生きようとして、価値のあることにだけ投資をして、価値のある(と思われる)人とだけ交流をしようとする。
資本主義の時代を生きていると、時間効率を意識してタスクを推進し生産性を高めたり、他人の足を引っ張ってでも勝負に勝ち抜こうとし、損をするような付き合いを避け、得がありそうな付き合いを優先することが最も正しい生き方だと思う人も少なくないでしょう。
もちろん資本主義の中で勝ち抜こうとすることは悪いことではないですが、あなたはそれだけの為に生きているのでしょうか?
かくいう私も「無駄なことをしてはならない」「価値のあることだけを行い、自分にとって得な人とだけ関わっていきたい」と思って生きていました。
ただその最中は焦燥感や飢餓感から発する生きづらさがずっと心の中に巣食い、それが満たされることはありませんでした。
今回は「無駄なことをしてはならない」という価値観があなたの人生をどれほど狭めているのかについてお話していきます。
「無駄なことをしてはならない」という価値観によって起こる弊害
「無駄なことをしてはならない」と思うことによって起こる弊害は大きく分けると2つあります。(※どちらも最終的には自分にとっての弊害ですが、便宜上2つに分けて記載します。)
①自分にとっての弊害
まず自分個人としての弊害について考えてみましょう。
例えばあなたの優先順位のトップが「仕事」だったとします。
その上で、「無駄なことをしてはならない」という価値観を持っていると、自分の仕事における生産性を重要視し、かつ仕事の役に立つような人間関係だけの付き合いを重視し、上司や部下との無駄だと思える飲み会に関しては一切付き合わず、家庭のことなども放置しているとします。
そのような無駄を排除することで、周囲に本当の意味で頼れるような人がおらず、また自分の方から人との付き合いも避けていった結果、自分が定年を迎えた時には、自分には何も残らないというようなことになる可能性があります。
②他人との関係性における弊害
「無駄なことをしてはならない」という価値観を人との関係性の中でも発揮されることがあります。
例えば先の例で、「仕事」を最重要視していて、それ以外のことを無駄だと思っている場合、ゲームを楽しんだり、骨董品を集めたり、海外旅行に行ったり、ライブに行くこと、スポーツをすること等、他の人が楽しんでいることに対して、「そんな無駄なことばかりして何の意味があるんだ」と人を裁いている自分がいることにも気づきます。
その結果、周囲の人との関係性が悪化したり、誰も近寄りたいとも思わないし、楽しいことに誘われなくなったりしていきます。
あなたと一緒にいることで息苦しさを相手に与えることになっているからです。
以上見てきた①②のように「無駄なことをしてはならない」という価値観を持つことによって、最終的には自分の可能性を狭めることになります。
「無駄なことをしてはならない」と思う背景
そもそもなぜ「無駄なことをしてはならない」とあなたは思うようになったのでしょうか?
それは今までの人生のどこかのタイミングで「無駄は悪だ」と思ってしまうようなことがあったのかもしれません。
例えば、幼少期にゲームばかりにのめり込んで、親から「ゲームばかりしてないでもっと家のことを手伝いなさい」と言われ、その結果「もっと役に立つようなことをしなきゃ」「役に立たなきゃこの家にいれない」と思うようなことがあったのかもしれません。
また、会社に勤めている中で「結果を残せない奴はお荷物だ」「価値を出せない奴はこの会社にはいらない」などというメッセージを受け取る中で「無駄なことをしてはならない」と思ったのかもしれません。
あなたはどのようなきっかけがあって「無駄なことをしてはならない」と思うようになりましたか?
「いつ/どこで/誰から・誰に/何を/どのようにした?」で自分の中の過去の体験を思い起こしてみてください。
当時の体験の中では、本当は人の役に立ちたかったり、本当は「無駄なことは悪だ」と言われず、受け入れてほしかったり、色々な感情が入り混じっているかもしれません。
過去の自分を見ていく中で「自分は役立たずだ」「自分はお荷物だ」というセルフイメージがあるのかもしれません。
人によって語彙が異なるかもしれませんが、この不足感を伴うセルフイメージによって、あなたは「無駄なことをしてはならない」という価値観を持つようになったのではないでしょうか?
最初にインパクトの大きい原体験をして、その結果出来上がったセルフイメージ(「自分は役立たずだ」「自分はお荷物だ」)と価値観(「無駄なことをしてはならない」)によってあなたの人生は動かされているのです。
「無駄なことをしなくてもいいし、してもいい」というフラットな状態になれたら
逆に「無駄に思えることをしてもしなくてもいい」という価値観を持っている人を想像してみてください。
その人はどのような行動を普段していそうでしょうか?
先ほどお話していた例で考えてみると、仕事は効率的に片づけ、残りの時間を会社の人との付き合いにも時間を割いてみることができたり、その他今の自分にとっては興味のないことであっても「一回トライしてみるか」と思えることによって、今までしてこなかった出来事がきっかけで仕事に繋がったりすることも多いにあるかもしれません。
「無駄だと思えるようなことをすればするほど、実は人生の充実度が増し、その結果、自分が価値のある存在」になっていることは往々にしてあります。
「無駄なことをしてはならない」という価値観は、自分をコンフォートゾーンにとどめておきたいという働きがもたらすものです。
そして人間がコンフォートゾーンにとどまる理由は、「自己防衛」の為です。
ただしその自己防衛状態でいることはあなたを安全な状態でとどめていくものではあるものの、あなたの人生に彩りと充実感を増すものではないです。
平凡で退屈な人生が待っています。
もちろん無駄を排除することで効率性を高めたりすることはとても十条ですが、それ一辺倒に傾きすぎるとあなたの人生を狭めてしまう要因の一つになります。
だからこそフラットな状態になって「無駄なことをしてみるか」と思って色々とチャレンジしてみればあなたの人生もより迸ったものになっていくのではないでしょうか。
以上、本日はここまで。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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