短歌を手書きで書いてみた #手書きnoteを書こう
今日は久々に短歌投稿です。だいすーけさんの企画に参加して、手書きで書いてみました。
今年の4月noteに参加して半年以上が経つ折々で、感じてきた気持ちを5首詠んでみました。
どうしても言えないことこそ書けばいい毎日note健康生活
最初のころ、1回目の毎日更新チャレンジをしたときのこと。毎日笑顔で書けねーよと投げそうになるのを思いとどまり、そうかこの気持ちをそのまま書こうと思えたときの気持ちです。大変な思いをして毎日投稿をするというよりも、内容が不健康でも投稿することで書き手が健康になればそれでいいよね。今は毎日投稿はしていませんが、noteと健康については、そう思っています。(※Youtubeチャンネル SUSURUTVの”毎日ラーメン健康生活”リスペクトです)
もしかして私の言葉、通じてる?意味、わかるよ。あなたの言葉も
私の思っているnoteでよかったことナンバーワン。(突然のランキング入り)ぱっと見アホのような歌なのですが、個人的には感動を表しています。
今までの人間関係での会話はいったいなんだったんだのでしょう?note上での感情面や感性を使った読み取りコミュニケーションは奇跡的に感じます。平安時代の文のやりとりのようだな、と、平安時代にいたことはありませんが、感じています。私はまさにこれをやりたかったのだ、とも。
ネガポジのどちらの穴から覗いても光り輝くあなたが見えます
みんなに、翻ってきっと私にも感じていることです。いい人悪い人、明るい人暗い人、分けられるわけはない。いろんな面があっていい。昨日読んだいちとせしをりさんの"毒も吐きなよ、と私が叫んでいる"を読んで共感したことがよみがえって歌になったのかもしれません。たとえ倒れていても、人間でいるかぎり、つまり生きている限り、命は輝いている。そんなふうに思います。
長文でいいよむしろ長いほうがゆっくり一緒にいられるから
長文と短文とどっちがいいと思う?いう質問に、どちらにも良さはあるよね、とその時は返していたのですが...やっぱりnoteでみなさんの記事を読んでみると、長文はいいですね。とくに熱量や感じる心のこもっている長文。画面を通じて、著者とというよりその作品と、一緒にいることができます。読む側としてそう感じたので、自分も気にせず長文でも書こうと思っています。
書くことと生きることは両輪で一文字一文字匍匐前進
感じたことをそのまま書くようなこともあれば、まだ自分でもよくわからないことを、書くことで自覚し行動につなげているようなこともあります。書くことで歩を進める、そんなふうに書いているたくさんのクリエイターのみなさんの背中を見ながら、私もそうありたいと書いています。そんな私の文章を読んでおつきあいいただいているみなさんにとても感謝しています。いつもありがとうございます。
...まだここに取り出していない気持ちはいっぱいあるのですが、今日はここまで。
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手書き。
何を書こうか、数日ずっと悩んでいました。
手書きの日記とか、過去に書いた自分への手紙とか、詩とか、抜粋文とか、お手紙とか… だいすーけさんの履歴書も良かったし...
「手で書く」というのは予想していたよりも重くて、もちろん嘘は書けないし、今気持ちが乗らないものも書けないし、しっかりしたものをがっつり書くには時間が足りなくなっているし(タイムマネジメントできない人...)とにかく本当にいっさい手を抜けないものなのだ、と実感しました。
そう考えると、こうしてPCで打っているこの文字はその分簡単に打ててしまうことも発見でした。よもぎさんの"手癖で書くのをやめよう"と書いてあったnoteを思い出します。
結局、私は短歌が好きだから、今日は短歌を書きました。
読んで感じたこととしても。手書きで書くと言う行為は、普段伝えられないくらい奥にある気持ち、本当はどうしても伝えたいこと、ひっぱりきれないたくさんの作品が生まれていて、これはすごい表現方法だ... と、キーボードになる前は当たり前だったはずなのに、そんなことを思っていました。
まだまだ気になりつつ読めていない作品がたくさん。こちらのだいすーけさんのまとめマガジンにも、また遊びに行こうと思っています。みなさんもぜひのぞいてみてください。だいすーけさん、素敵な企画、ありがとうございました!
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