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彼女の優しさについて

そのエッセイには「優しいって言わないで」と書いてあった。

優しさには2種類あると思う。
ひとつは、与えて自分も満たされる「優しさ」
そしてもうひとつは、自分の身を削って差し出す「優しさ」

彼女が「優しいね」と初対面の人から言われるとき、後者の「優しさ」を期待されているような気がしてしまうから、ということだった。

その文章を読んで私が思ったことは、

"優しい人"なんて、いないよな。

ということだった。

優しさは状態や行為としてあるものであって、”優しい人”なんていない。優しくできる時、できない時があって当たり前だ。千手観音は千本の手で民を救うと言うけれど、私たちは人間で、手は二本しかないのだ。

これは私の憶測だが、彼女の生存戦略は「人に優しく」することだったのだろう。身近な人や、ちょっとすれ違っただけの人にだって、それぞれに、その時々に、大事な優しさをラッピングして、プレゼントしてきたのだろう。

記憶にもない過去、生命の危機を感じるような局面だってあったかもしれない。でも、そんな時も相手に優しくしてあげれば、見逃してもらえた。

もう優しさが一滴も残っていない日も、自分の一部を溶かして優しさを作り出す。そんな普通の人にはできない特技を、巧みに身につけた。そして、数え切れないほどの人の間をくぐり抜けてきた。

かもしれない。


優しい人は弱い人。優しさは利用されるものだ。それが理解できるほどに充分に多感になった頃、わたしは優しさが嫌いになっていった。


それはそのまま、自分を嫌うようなものだっただろう。それでも、時に優しさを封印してでも前に進むことができた。

彼女を助けてくれた周りの人たちのことや、周りの人たちの気持ちを受け入れることができた彼女の強さをもってして、

"自分の身を削って差し出す「優しさ」"とは別の、"「与えて自分も満たされる「優しさ」"を会得できたのだとしたら、やっぱり人間は捨てたものではない。

誰に対しても常に親切でありたいと思う。
強い感受性はわたしに優しさを求める。
でも、わたしが心を差し出して優しくするのは大切な人に対してだ。

彼女は"優しい人"ではない。大人になった今、きっと周りもそんな見方はしない。それでも彼女の持つ"優しさ"はなお、光っている。


* * *

このエッセイを書いたmoonちゃんは、"優しい人"ではないけれど(優しい人なんていないから)その優しさは、紛れもなくmoonちゃんの際立つ才能だと思う。

「言葉にできない感情」を丁寧に文字に起こせるのも、その優しさの力を使っているからじゃないかな、なんて感じます。

まずは自分のために、そして大切な人たちのために、文章やその他のお仕事にも、これからも大事に使っていってください。

愛の漣企画で、貴重なお話を聞かせてくれてありがとうございました。


* * *


2月に開催した #ひかむろ賞愛の漣 に寄せていただいたエッセイのひとつをご紹介させていただきました。

エントリー作品のまとめに私のケアレスミスで掲載をしそびれていたので(本当にごめんなさい)ご紹介の番外編、最後の1作品になりますが、私にとって大事なお話だったので、しっかりご紹介できて嬉しかったです。


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