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【エッセイ】あゆみむの感じたり考えていること

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ライターあゆみむの、日々の心を書き留めた忘備録。ジェンダーレス、ノンバイナリー、発達障害グレーゾーンADHD/ADD、人が苦手で人が好き。一瞬の記。随想録。
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#エッセイ

わかりあえない世界の中で

アートは分断と同義じゃないか。煮えたぎるマグマを汲み上げ、ほらどうです、と見せつける。地中にあれば感知すらしなかったのに。分かってほしいと分からないよが行き交う空間は絶望に満ちていた。 大学生の私が友人に誘われて行った藝祭の感想は確かこんな感じだった。アート論を語る教養など持ち合わせない人間のバリバリのド偏見でしかないが、ずっとこの絶望を抱えて…いや、本当に何を創ったわけでもない人間が大袈裟な物言いをして畏れ多いが、嘘ではない。 先日、新宿駅南口のWEWoMan ART

まだ、お守り必要ですか?

一番大事にしている指輪をなくしてしまったかもしれない。まだなくしたとは認めたくない。そのくらいには心を預けていた。 誰からもらったわけでもない、単に私が一人で惚れ込んで購入し大事にしていただけのシルバーリング。会社にも毎日つけていた。 少し重くて、その重さが碇のようで、心地よく安定させてくれるようで。まちがいなく私のお守りだった。 大事にしているお守りをなくすのは初めてではない。私がそそっかしいからか。あるいはお守りが去っていくのか。 もういらないでしょって。考えすぎ

ママには幸せでいてほしいし、私も私で幸せでいたいから、もう本当のことは話さない。

ママのことがとっても大好き。それはもう一生変わらない。それでも、私たちの価値観はずれていて、私はママの望む世界では生きられないし、ママは私の行動を理解できない。 私は30代、母は70代。 私はこの世界はおかしいと思ってきた。満員電車は意味不明だし、お金のために働くのは嫌だし、そんな必要ないはずだ。人はもっと自然に生きられる。「お金がなくて死ぬ」なんて普通にありえないでしょ。お金より人間の方が先に生まれてるんだから。 ママは、ある程度の健康は犠牲にしてでもお金は稼がねばな

アイデンティティ、なくてもいいか

"ア〜イデンティティ〜が、なあああ〜〜い、生ま〜れ〜な〜〜い、ららららら〜♪" というサカナクションの曲は私にぴったりだ。アイデンティティをいつまでも掴めず焦る気持ち。 自分に対して個性を求める気質が強くて、何かオリジナリティのあることをせねばならないという脅迫感がずっとあった。 書くことについても、それは現れた。 自分の気づきや印象に残った話を書くのが好きだが、書いていると「なんだこれ普通だな」とか思ったりして。そんな話、すでに何十万人書いてるよって。自分へ突っ込んだ

病むこともできなかった私が、かわいそうすぎて(後編)

自分のことをかわいそうだと、思いたい人はいるだろうか。私はぜったいに思いたくなかった。 多くの人を、ものを、下に見る癖があった。 例えば、カフェで雑談している暇人、商店街の零細個人商店、専門学校、ブルーカラーの人、女性、主婦、障がいを抱える人たち、マイルドヤンキー、動くだけの人、考えるだけの人、あとはなんだっけ、発展途上国とか.... いくらでも書き出せる。変なものもいろいろある。少しでも優位に立てる隙があればオートマティックに見下した。見境がない。 今見ると"優位に

病むこともできなかった私が、かわいそうすぎて(前編)

気づけば、私の何かが切れていた。 どこか、もう全てがどうでもよくて。 ちっとも安定感がない。保てない。もう仕方がない、これが私だ。心配されてもなんだっていい。私は私のことをもう持ちきれない。限界だ。 * * * このnoteは、数週間前に感じたことの振り返り。 #聞いてよ20歳 の企画に出そうかと思いつつ間に合わなかった話でもあるので、そのまま聞いてよモードで書こう。何を聞いてほしいかって、突然だが、 私の推すボカロ曲を聞いてみてほしい。 20歳の方にも、そうじ

親しくなったら敬語はいらない派です

もう結構前のことでDMを遡るのも大変だからしないけど、ある時noteで出会った人たちとの(文字上の)会話で、もう敬語いらないよね的な会話をしていた。というか、私がそんな話をした。 その会話の中で「デスマスクなしで!」という、最高にツボった誤字も誕生した。(彼女の誤字は非常に早いタイピング、返信速度のためであることを補足しておく。即興の芸術。あまりに良かったのでこのnoteのタイトルを「デスマスクが外れる時」にしようかと思ったけど、それは我慢した。) これは、最近noteか

幸せにだけは、なりたくなかった。 #幸せをテーマに書いてみよう

きれいに整えた地獄の中を這い回って、必死の思いで掴んだものを幸せだとか呼んだりもする。もっと楽に生きていいよなんて言われても、慣れ親しんだ場所から出て行きたくなどはない。 それが"普通"の生き方だろう。 それって普通じゃないよ、と思う人、地獄を整える必要のなかった人については、ごめんねここでは省略させてもらう。 その"普通"の輪郭を、ゆるめられたらと思って書く。 結論、私たちは全員、幸せになるようにできている。 最近そんな考えを持ちました。 生まれもった、ありのま

最近私が気になっていること、つれづれ

今日は、なんとなく書く、というテストとして書きます。 いつも私の記事って大袈裟、いや盛ってるとかではないつもりだが、なんか思いっきり書き下ろすみたいなのばかりな気がする。特に最近。「これ買ったよ〜」とか「これ食べたんだ〜」みたいな話があんまりない。 これは以前毎日投稿に挑戦していたわずか2週間の間、悩んでいたことでもある。「ローキックできない」ということがよくわかった。これはヤマシタさんのnoteの言葉で、毎日投稿するんだったらハイキック記事ばっかじゃ疲れちゃうからローキ

私の半分はあなたでできている

どこからどこまで私だろうか。 飲んだ水は私になり、読んだ言葉も私になった。私が書いた文章もきっと誰かになっている。究極、この体を脱いだら私は世界なのだから、別に。 私の全部が私であるというのはあまりに傲慢な主張かもしれない。 それでも私はもう少し、私で私を充したい。 転職活動と人との付き合い方について最近感じることを徒然に書こうと思います。 志望動機の筆が重いよし久々に転職活動をしようと思い、ここなら私がやりたいことができるはずだと或る会社に応募したところさらっと落ち

#noハン会 2ndの熱狂が足りない理由を自分の中に探してみた

先日、noter仲間さんと運営しているnote非公式オフ会のひとつ、「ハンドメイドなnoteオフ会(非公式)」noハン会2nd(12/8開催予定)の打ち合わせで実に様々なことを話したあと、私は 「次回、ぶっちゃけ35人も集まるだろうか?」 なんてことを、思っていた。 以前2ndの話を始めた時には「定員35名なんてあっという間に埋まるだろう、席が少ないかもしれないけれど変に大きくしないぞ」くらいに思っていたのにもかかわらず。 なんかおかしいな。 全体的に熱狂が足りない

自己犠牲混じりの優しさだったけど、大切すぎる時間でした

辛い状況があったとして。その先も生きていくには、当然その状況をなんとかして乗り越える必要がある。その時、必要な分だけ人の手を借りたほうがいい。借りないといけない。いくら強調してもしすぎることはない。 自己破産に向けた最後の打ち合わせ台風19号の前日、私とパートナーは管財人面接のため弁護士事務所に出かけた。私たちは女性同士の同性パートナーで一緒に暮らしている。昨年12月まで心理カウンセリングの会社を共同経営していたが倒産せざるを得なくなり、同時に彼女自身も自己破産申告をする。

家族や恋人に、noteのあなたを見せられますか

半月ほど彷徨い続けていた思考が落ち着いてきて、話し合いも進んできたのでnoteに少しずつ書いていきたい。書けなかった分、感情と情報とたくさん混線して渋滞を起こしている。 まだ混乱しているので分かりにくい部分も多いと思うし、ポジティブにまとめる気遣いをしている余裕が無いのでごめんなさいなんていう余計な保険をかける自分にも、飽き飽きしている本当は。 ずっと「生きづらい」という言葉の手触りが気に食わなかった。だって生きられているから、別にいいよね?そんなありふれた自虐精神にはし

いつも何かを「やらされ」ていて、「やりたい」ことを永遠に探し続けている

打てるだろうか。そのサイクルに終止符を、今回こそ。 私はやりたいことがわからない 一番古い記憶は中学の頃。都内に通っていた私は、最寄り駅から5分ほどで家に着く。途中の桜並木の坂道で私はすでに嘆いていた。 「私って、自分のやりたいこともわからないんだ」 はたと気づいてしまった。どこにも手が届かない真空の暗闇へ突き落とされたようで、所在無く浮く。呆然と涙が流れた。その真空は印象深く、しばらく私の夢や描く絵のモチーフになっていた。 その次の記憶は大学生の頃。先日のn