ママには幸せでいてほしいし、私も私で幸せでいたいから、もう本当のことは話さない。
ママのことがとっても大好き。それはもう一生変わらない。それでも、私たちの価値観はずれていて、私はママの望む世界では生きられないし、ママは私の行動を理解できない。
私は30代、母は70代。
私はこの世界はおかしいと思ってきた。満員電車は意味不明だし、お金のために働くのは嫌だし、そんな必要ないはずだ。人はもっと自然に生きられる。「お金がなくて死ぬ」なんて普通にありえないでしょ。お金より人間の方が先に生まれてるんだから。
ママは、ある程度の健康は犠牲にしてでもお金は稼がねばならないと思っている。お金がすべての基盤と思いこまされ、お金が減ったりなくなることを異常に恐怖している。
私の父は大企業でヒラから社長まで出世した優秀すぎるサラリーマンだった。母はその父を支えながら二人の子どもを育て上げた。父のお金で子どもに寿司を食べさせては「こんな贅沢なもの食べられて、いいわねえ」と言う。悪気はない。とはいえ、どうしても言ってしまう一言だったのだろう。
お金があるからいい暮らしができるの。なければできないのよ。お金があるのは幸せなこと。この環境をありがたく思いなさいよ、これからもずっと、幸せになるにはお金が大事だってこと、絶対に忘れちゃだめだからね。
私と妹は、偏差値教育と同時並行でお金への信仰も刷り込まれてきた。
母に、母の日の直前に会ってきた。駅前の風通しの良いベンチで食料や消毒液を渡してもらい、緊急事態宣言下における近況や今後どうするつもりかなど話してきた。
どこにも勤めず稼ぎの安定しない私を心配し、早く就職してほしい、人手不足のスーパーで品出しをするべきだと助言をくれる。家のお金を私にあげると経済的自立できなくなる恐れがあるため、金銭支援はできないから。これはママの考えられる精一杯のアドバイス。
私は経済的な基準で見れば、安定感もなく、割と終わっている。けれど生きているし、これからも生きていく。必ずしも職探しやスーパーで品出しをしなくても生きていく。(職探しやスーパーでのアルバイトを積極的にしたいと感じる人はしたらよいけれど、そう思えない時に無理にやるのは違う)
ママにはそれがなぜ可能か分からないだろう。私が丁寧に説明しても理解できない。私の価値観の新しさや思考レベルはママを追い抜いていて、もうママには追いつけない場所にいる。
駅前の花屋にカーネーションがたくさん並べられていた。
「母の日だね、今の私、何も買ってあげられないけど....」を思わず呟くと、
「いいのよ、安心させてくれればそれが一番だから」とママは言う。
そうだよね。だからやっぱり、私はママの前では嘘をたっぷり織り交ぜる。
ママには、できれば子どもの将来を憂えずに笑っていてほしい。ママは心配性だから、いくらでも心配するだろうけど、それならいくらでも安心させたい。私の生き方を理解できなくても、私が笑っていること、私がおいしくご飯を食べることは喜びなのだから、その姿だけ見せていきたい。
私からすれば、ママはお金に汚染されている。
できることなら、私はママをもお金教から救い出し、恐怖から足を洗わせたい。ただただ純粋に歌を歌って、絵を描いて、料理を作っていられる世界に連れて行ってあげたい。本当はそういう人なのだ。
私の母はかなり若く見える。それでももう70代で、今までの人生が積み上がっているから、私も母を変えることは諦める。
理解しあえないこと。これはネガティブでも不幸でもなんでもなくシンプルに事実だ。親子だってそういうことは結構ある。私も昔は、分かってもらえなくて悲しかったこともあった。(母もまた、私に分かってもらえず悲しみながらも、できる範囲で理解を広げてくれているのもわかっている。)
私は相手に完全に合わせることはもうしたくないし、母と連絡を断つこともまた違うなと思う。
ママには幸せでいてほしいし、私も私で幸せでいたいから、もう本当のことは話さない。
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