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哲学的な兎より

0.「水の中の魚にとっちゃ、空の中の人間だ」
多重人格者はそう言った。

1.「理性的な観点が正しければ、感情的な観点もまた強力な影響力を持つ」
……9月某日、改装工事を終えたばかりの中華店。卓上にゃお箸、楊枝に紙ナプキン、酢ラー油搾菜。ニスの残り香と立ち込める香辛料の珍妙な異香に半場目眩を起こしながら麻婆麺の誕生を今か今かと待つ私。食べログの口コミじゃ固めに茹でた刀削麺を熱したごま油で和え、その上に四川風の麻婆豆腐をどっちゃり乗せた至極の一品が着丼する筈だった。しかし裏切りの母は期待にあり、ご多分に漏れず私はおぎゃった。現れたのは麻婆豆腐に侵略された醤油ラーメンだ。こんな筈じゃ無かったのに……泣く泣く啜るラーメンはめちゃ旨かった。しかしその暴力的な物量が私の胃袋を蹂躙し、最後の晩餐足る杏仁豆腐を視界の隅に追いやった。

「食べておくれよ、アランドロンが淑女の手を愛でるみたいにさ」
「俺の豆腐じゃ満足出来ないってか?悪い子だ。せめて味わい尽くしてからにしろよ、俺の全てを……」

杏仁と麻婆麺の我愛你会議が白熱する。助けておくれよ搾菜さん、なんて手を伸ばした矢先、携帯がうめき声を上げた。Twitterである投稿が話題らしい。ふいと画面をタップして、なんとなく話題を覗き見た。

『躁鬱病と思ってたら、多重人格でした。今は投薬効果も現れて落ち着いています。お騒がせしました』

誰だい?芸能人かな?なんて思ったわけだけど、その投稿主は私のただ一人の友達でした。私は突如、心臓を捕まれる感触を味わったのです。彼女はただ一人の、二十年来の親友でしたから。

2.「世界が望み通りになるのなら、世界と望みを切り離せ」
彼女との出会いは幼い頃、滑り台の上、気づけば下、同時転落事故だった。彼女が滑ろうとした矢先、私が滑り台を逆行した。そして二人は取っ組み合って、頭から落ちた。救急車が来て阿鼻叫喚の地獄絵図。朦朧から醒めたとき私は白い廊下にいた。開け放した部屋で、脳の断面図みたいな写真を前に、医師の話を聞く親子が目に入った。私は母の手をギュッと握り病院を後にした。

次の記憶では、私は彼女の上履きをビショビショにしていた。掃除用のバケツを廊下にぶちまけてしまったのだ。運悪くその先に彼女がいた。呆然としてる私に彼女は言った。「やっちゃったね」うん、やっちゃった「日向ぼっこでもしよっか」そして私たちは廊下をそのまま、校庭で二人寝転んだ。暖かい日差しに包まれて、私と彼女は親友なんだ、漠然とそう思った。

乙女趣味の無い私たちは堕落的にTVゲームを楽しんだ。それでも時に恋に華やいだ事もある。勉強を教え合ったり、ショッピングモールを散策したり、よくありがちな親友らしい親友、それが私たちの関係だった。

彼女の家には兎がいた。それは哲学的な兎だった。ある日の夕方、虚ろな私の耳元で兎はこう囁いた。「君は最悪な時期に悪い風邪を引いた。ご主人に移すと許さないよ」ハッと目覚めると、彼女は隣で寝息を立て、兎は檻の中でモシャモシャ草を食べていた。他愛ない夢だ、分かってはいたが、それから彼女の家に遊びに行くのが何だか億劫になってしまった。少しだけ、関係が遠のいた。

私たちは9月某日、同じ誕生日の生まれだった。携帯を手にしてからは、その日の00:00になった瞬間おめでとうメールを送り合う。どちらが早く相手を祝うか、ささやかな競争だ。勝率は五分五分といったところ、その関係は大学卒業後、彼女が精神を病むまで続いた。

その所以は私の盲点にある。彼女のTwitterにはいつの間にか鍵が掛かっていて、そこには病院の天井がよく写るようになった。私はそれに触れなかった。私も私で限界だったから。何故か私たちは弱みを晒し合い、慰め合う関係じゃ無かったのだ。私たちの関係はお互いの意思に関係なく、流動的な社会の移ろいの中に潰えていった。

3.「すばやく考えろ、置き去りにされたくなければ」
そんなこんなで今……どーしたらいいと思う?搾菜君。『その前にやることがあるだろう?互いの肌を感じない内は、俺たちは平等じゃ無いんだ』ごもっとも!パクリ。して杏仁豆腐よ、君の意見は?『いいから食べておくれよ、トム様が血を啜るようにさ』確かに!私は柔らかなそれを歯の隙間からズゾゾゾと吸い込んだ。

胃に脳を奪われた身体は、滑り台の無い公園にあった。私はブランコに座り、ぶらぶらと景色を眺めていた。無邪気に遊ぶ子どもたち、その奥に屯する喫煙所の草臥れたおっさん共……アレがアアなっちまう世界の摂理、どう考えてもおかしいと思う。飛んできたボールを蹴り飛ばし、私は子どもたちと一緒に駆け回った。おっさんたちの視線は、何かしらを物語っていた。知ったこっちゃ無いけど。

思い切りずっこけて、私は鼻血を吹き出した。止め処なく溢れ掌に貯まった血の池は、どこか底なしの様に見えた。子どもの怯えた声をよそに、私は笑顔で立ち去った。蛇口を捻り清潔を装い、空を仰いで街を歩く。駅前で貰ったティッシュを鼻に詰め、気づけば虚空を走る電車に揺蕩っていた。

4.「虚は実の衣、実は虚の衣」
私は何を知っていたのか、彼女のことを?これが滑り台逆行の代償か?でも代償なら私が背負うべきだし、彼女はとんだトバッチリだ。そもそも多重人格って疾患?症状?よく分からない。先天的、後天的、何も分からないし、調べる気にもなれない、というより調べたくない。私は結局向き合いたくないのだ。私の中で彼女は彼女だ、そう思う限りその事実は揺らがない、でも彼女の中で私は私じゃ無かったのかも。後天性だったら、まだいいのに。
……嫌だなぁ、自分本位の思考。何より嫌なのは、明日は私の誕生日、そう思ってた自分だ。昔は彼女の誕生日だったのに、いつの間にか主語が私になってる。悠久の中で何気ないやり取りも無くなった彼女に、今私がかけるべき言葉はなんだろう?というより、私はまだ彼女の親友なんだろうか?

5.「何も知らない夜と知りすぎた朝は等価値」
沢山の発泡酒を買って、四畳半のアパートに帰った。買った覚えも無い靴が玄関を埋め尽くす。浪費癖、成敗!そしてズボラな部屋着に着替え、メイクを落としに鏡前に立った。……私は私だ、間違いない。鏡は私に安心感を齎す。彼女には何を齎すのだろう。
時計の針が重なるまで、私はアルコールの循環に躍起になった。考え倦ね捏ねくり回した言葉より、自我の危うい刹那に表出する無垢な言葉を彼女に送ろう、そう考えたから。何度も文章を書き直し、まだ酔いが足りない、もっと自分を失わなくてはならない、何度もお酒を流し込んだ。あの頃のように純粋な友情から発する言葉を、彼女本意の言葉を見つけなくっちゃ。気づけばその時が近づいていた。参った。へベケレ過ぎて何も考えられない。でも時計の針は逆行なんてしてくれない。私は無我夢中で携帯に打ち込んだ。吐きそうになりながら、素直な言葉を、時が告げる。
5.4.3.2.1.0
「ハッピーバースデー親友!肥溜めの夜を越えて、また日向ぼっこしよーぜ!」彼女からのメールはまだ。勝った!そう思った瞬間、私は光に包まれた。お昼だ。時計の針は変わらぬ位置だが、重たい瞼と気怠い身体がそれを証明した。握りしめた携帯には、一通のメールが届いていた。送り主は哲学的な兎だ。私はその哲学的な文面をかすれた声で朗読する。

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