生活保護と医療保険は、スタートから別モノ!【⑥Another view 医療システムの過去・未来・海外】The public medical insurance system and the poverty relief system are different.
「医療保険」と「生活保護」の違いというと、なんとなくぼんやりしていることが多いようです。
しかし、歴史的に見ると、「生活保護に代表される社会扶助」と、「公的医療保険制度の背景となる互助・共助」は別モノです。
その違いがはっきりと見えてくる、そもそもの歴史的成り立ちを紹介します。
生活保護(社会扶助)は、救貧法からスタート
西ヨーロッパにおける社会扶助の歴史は、1601年にイギリスで成立した「救貧法」に始まります。
これは、都市部に流入する困窮者を自治体の責任で保護するよう求めるもので、収容施設を設けて、以下の2つに分類するという、現在の感覚からは驚くような内容でした。
1. 働ける困窮者 ➡「強制労働」
2. 働けない人 ➡「乞食の権利」を付与する
「救貧法」は、地域社会での慈善活動を政府が支援する仕組みを定めた法律です。この法律に基づき、地域ごとに設置された収容施設で困窮者を生活させました。ここでの一人当たりの生活給付費は、17世紀末から19世紀初めにかけて約4倍になりました(*)。
イギリスは古くから核家族で、親の面倒を子どもが見る習慣もなかったことから、都市化によって取り残された高齢者が貧困化しやすく、彼らを公的に保護する必要があったと考えられています。
産業革命を経た1834年には「新救貧法」が成立し、「必要最低限の生活」を保証する仕組みが出来上がります。
こうした社会扶助は、自治体や教会などの事業で「守ってあげる」ものであり、自立を促す目的から、それ自体は快適でないことが必要でした。
そのため、所得確認や集団生活などの人権抑制が許容されてきたのです。現在も、福祉施策で「自立促進」がうたわれるのも、そうした歴史的経緯があるからでしょう。
このようなあり方は、現在の日本の公的医療保険制度だけでなく、当のイギリスの国営医療(NHS)にもないと言えるのではないでしょうか。
(*)Paul Slack, The English Poor Law 1531-1782, Cambridge, 1995. /デービッド・ガーランド、小田透訳、『福祉国家』、白水社、2021年。
公的保険は、ギルド解体と引き換えだった!
一方、公的医療保険制度は、もともと同業者組合や友愛組合(Friend Societies)などの互助組織からスタートしています。
中世ヨーロッパでは、ギルドと呼ばれた同業者組合により、構成員同士が生活面のリスクをシェアし合う伝統がありました。
◎ドイツやフランスでは…
19世紀、ドイツやフランスが近代化する過程で、これらのギルドを解体し、現在のような「国民国家」を構成していきます。
ただ解体するだけでは、ギルド構成員だった人たちの不満が抑えられません。そのため、ギルドが担っていた互助機能を国家が肩代わりする過程で、医療保険制度などを整備していったのです。
同じような社会階層の人たちによる相互扶助が出発点ですから、「守ってあげる」という上から目線はなく、保険給付は保険料支払いに対する権利と見なされます。そのため、現在も、公的医療保険で高額医薬品や貴金属材料を給付することに疑問が出にくいのです(前回参照)。
◎イギリスでも…
イギリスで17世紀から発展した友愛組合も同じ。20世紀初頭にかけて、友愛組合の互助機能を国が肩代わりする社会保険制度が整備されました。
特徴的なのは、18世紀当初は、埋葬費の助け合いが重視された点です。埋葬費が足りないと墓穴が浅くしか掘れず、遺体が盗掘されるリスクがあったためだとか。その流れからか、ヨーロッパの公的医療保険では埋葬費を給付する国が少なくありません。
ただし、保険制度では、保険料を払えない人が給付を受けられないという問題があります。そこで、20世紀半ばに整備されたイギリスのNHSをはじめ、税金を財源として、すべての人に医療給付する仕組みがヨーロッパ各国に広がりました(*)。
お金はどこから??
NHSの場合、税金を原資にしている点が社会扶助と近いのですが、もともとの友愛組合の機能を政府が肩代わりしたものですから、社会扶助のような「最低水準」の給付にはなり得ません。もとの組合が保障していた給付水準を維持できなければ契約違反となり、政府の信用が損なわれるのです。
ヨーロッパ諸国では1970年代、日本では90年代以降に公的医療保険制度の財政難が深刻化。さまざまな「ヘルスケアリフォーム」が進みましたが、医療制度自体を廃止しようという議論にはなりません。以前のような同業者団体や宗教組織の互助機能に戻すことはできないからです。
公的保険制度は、それぞれの国の成立過程そのものに関わるため、「いずれ、保険制度は限界になる」と、何十年も言われながらも持続してきたと言えます。
(*)Richard B. Saltman, et al, Social Health Insurance Systems in Western Europe, NY, 2004. 「医療保険には700年の伝統がある」という趣旨で、社会保険の持つ「連帯」の価値を強調している。この分野を知るための必読書。
「公的保険で歯科給付」の広がり
◎ 日本では、戦前から給付
日本では、戦前から公的医療保険で歯科(一部)を給付してきました。その時代の歯科医師は、確かに「保険で診てあげる」という感覚だったようですから、今でも日本の歯科医師の多くが保険制度を「弱者救済のためのもの」と考える傾向があるのは、そのためかもしれません。
しかし、世界に比べて、決して保険給付がお粗末ということはなく、むしろ突出して手厚い(量的には)といってよいレベルです。
例えば、成人の被せものを(しかも貴金属で)給付していますが、国際水準から見れば、「大人の歯科治療費を給付する」という自体が例外的です。多くの場合、成人の歯科医療費は別建ての任意保険で賄う仕組みです。公的給付は限定的で、国によっては、小児の被せものはステンレススチールの既製品で、歯をそれに合わせて削る、という方法が採用されていたりします。
◎ ヨーロッパでは、給付が限定的
実は、長らくヨーロッパでは、歯科医療への公的医療保険での給付は「小児のみ」というのが一般的でした。
19世紀以降、以下のような考えが中心だったためです。
・公的医療制度は、病院や保健所で提供される医療が対象
・歯科は、開業医が中心で発展したため対象外
20世紀の、各国の医療財政に余裕があった時期でも、ヨーロッパでは、歯科給付を止めたり、小児だけに限定する国がほとんどでした。21世紀になり、歯科医療を公的医療制度(Universal Health Coverage:UHC)で給付すべきだという意見が増えています。歯科疾患が多くの人を悩ませており、歯の痛みで仕事を休んでしまうなど社会損失も大きいからです(*)。
世界の全人口の34%に未処置のむし歯があり、特に、子どもの68~90%がむし歯に苦しんでいます。歯科疾患には、社会経済的に困難な状況にある人に集中する「格差疾患」の性質が強く、保険給付対象とすることで、格差是正につながるとされます。
そうした中、世界保健機関(WHO)は第74回の総会決議で、以下を採択しました(2021年5月27日)。
① 口腔疾患と他の非感染性疾患(NCDs)との共通リスク因子に着目した予防対策を実施
② 口腔保健従事者の能力を高めて質の高いケアを提供
③ UHCでの歯科給付の拡充を骨子とする施策
2030年に向けたグローバル行動計画に生かす方針です。
これにより、各国の懐事情に合わせて、歯科治療への公的給付を拡充していくとともに、歯科医師などの専門職種の育成を推進することになります。
(*)Richard G. Watt et al, The Lancet, 2019, July.
まとめ:再び「生存権」か「幸福追求権」か?
前回のコラムで、医療保険制度の憲法上の位置づけとして「生存権」(第25条)ではなく、「幸福追求権」(第13条)だと解釈されていると、お話ししました。
政府による「弱者救済」のニュアンスのある生活保護(生存権に基づく)ではなく、もともと、宗教組織や職能団体などの自治組織が担っていた相互扶助機能を国が肩代わりするのが公的医療保険(幸福追求権に基づく)だと考えられるためです。
現在は、生活保護に基づく公費医療も拡充されているため、互いの違いは見えにくくなっていますが、公的医療保険制度が「自治組織の相互扶助だった」という歴史的経緯から見ると「医療提供者も患者さんも、積極的に運営に責任を持つ」よう期待されている点が重要です。
21世紀になり、UHCへの歯科給付の拡充が国際潮流になっています。日本は、皆が運営に参加する公的医療保険制度のもと、手厚い歯科給付を維持してきた歴史を持ち、世界一の高齢化社会の中、健康長寿を達成して各国から注目されています。
多くの歯科医療従事者にとって、日本の公的医療保険制度は必ずしも十分なものと思われていません。「予防への給付が薄い」「時代遅れの材料、手技が残っている」などなど、問題は山積のようです。ならば、「ここを変えよう」と、具体的な問題提起をすれば良いのではないでしょうか。保険制度は、受益者も提供者も、ともに運営に責任を持つものだからです。
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