〔質の担保3〕薬事ルールはいつ、なぜできた?【⑫Another view 医療システムの過去・未来・海外
1. 医療機器・薬品をなぜ規制?
本シリーズの「〔質の担保1〕医育機関と国家資格はいつできた?」で述べた通り、18世紀に医療が巨大なマーケットを生み出した際は、玉石混交の「何でもアリ」の世界でした。
そこで、人々が安心して医療を受けられるために、医療に携わる「人」「物」の質を安定化させる必要が出てきました。
■「人」に対する規制のイメージ
医療従事者を育成する学校設置、医師国家試験の導入など
■「物」の質に関わる規制のイメージ
医薬品や医療材料、医療機器など「薬事ルール」(薬機法など)
「物」の質への規制が必要なのは、どの時代にも「ニセ薬」「インチキ療法」のトラブルが絶えないからです。
効かないだけならまだしも、安全性にも問題のあるニセ薬もあるため、効果効能、安全性を公的に検証し、保証する制度が求められます。
2. どう質を保証?
とはいえ、「どのようにすれば、安全で効果が高いと保証できるか?」というと、意外に難しい問題です。
現在は、ヒト臨床試験(治験)を経て、実際に患者さんの身体で試す方法が当たり前に採用されていますが、19世紀に薬事制度が各国で構築されてきた当時は、そうした発想は必ずしも一般的ではなかったようです。
3.「効く薬」を実証できるのは臨床研究以降
日本で最初の薬事ルールとなる「薬剤取締法」が成立したのは1873年。
それから間もなく、近代的な調剤薬局の発展を目指していた資生堂が開発した「福原衛生歯磨石鹸」(1888年発売)は、「歯石を化学的に融解する」という効果効能を謳っていました。
しかし、歯石は化学的には中性で安定しているため、これを融解させる薬剤というのは、かなり強い酸、アルカリしかありえず、そうした薬剤を使用すれば歯石の前に歯質が融解してしまいます。
つまり、一流どころの製品でも、かなり疑問符の付く薬効を掲げていたことになります。
こうした薬効を保証する文言として「医学部で成分分析している」と謳っていますが、もちろん、成分分析結果を示しても効果効能の裏付けにはなりません。
4. ヒト臨床試験は日本初で、不名誉な行為⁉
現在のように、ヒト臨床試験によって薬効や安全性を確認するのが一般的になったのは、第二次世界大戦後ではないかと考えられます。
ヒト臨床試験の研究モデルとして信頼性が最も高いとされる無作為化比較介入試験(RCT)の最初期の論文は、世界的に見ても戦時中の731部隊(日本の関東軍で人体実験などを行ったとされる)が出したものだとの報告もあります(*)。
歯科領域で最も有名なヒト臨床試験とされる「ビぺホルムスタディ」(スウェーデン・1954年発表)は、精神病院の閉鎖病棟に入院している患者さんを対象にしたもので、以下のような結果を人体実験から導き出しました。
① 食事の時のショ糖摂取だけではむし歯になりにくい
② 間食でもショ糖を摂取するとむし歯になりやすい
③ 歯に残りやすい形状のお菓子はリスクを高める
こうした研究は、信頼性が高い反面、被験者をモルモット扱いしたからこそ可能だったとも言えるため、この研究に携わったボー・グンナー・クラッセ博士も、今世紀初頭に来日講演された際、「現在の倫理基準では、再現は難しいだろう」とおっしゃっていました(**)。
当時、ヒト臨床試験に関する研究倫理が確立される以前であり、現在、同様の研究をすることは、ほぼ不可能だとされています。
このように、ヒト臨床試験には倫理上の制約があり、治験の費用が薬剤、医療機器などのメーカーにとって頭の痛い問題です。
しかし、治験によって効果効能、安全性が確かめられるシステムがなければ、私たちは安心して医療を受けられず、薬も飲めません。
近年は、AIを活用したデジタルツインによって、特定の疾患を持った人のモデルを仮想的に作り出して「バーチャル治験」を可能にする技術も開発されつつあります。
薬事規制も、よりコスト、時間のかからない方法にシフトしていくのではないでしょうか。
(*)津谷喜一郎、『日本医史学雑誌』51(2)、2006年。
(**)ボー・クラッセ、予防マネジメントの実践、『アポロニア21』、2002年、2月号、3月号。
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