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ミネストローネを食べながら、考えたこと。

あまり大きくない我が家の冷蔵庫。ここのところ外食にテイクアウト、取り寄せ品やいただきものの消費を優先していたこともあり、野菜室の中が、使いきれていない野菜でだいぶ窮屈になっていた。そんなときにこしらえるのが、大鍋いっぱいのミネストローネだ。

私がつくるミネストローネはかなり濃度があって、お玉ですくうとサラサラではなく、もったりとした感じ。これは20年近く前に、野菜料理レシピのムック制作で取材をした、とあるイタリア料理店のシェフのレシピがベースになっている。

取材で教わったのは、野菜のくたくた煮だった。鍋にたっぷりのオリーブオイルと、ねぎ、かぶ、ズッキーニにキャベツ、じゃがいもなど、あり合わせの野菜をどっさり、塩ひとつまみを入れて火にかけ、全体にオイルが回ったら、蓋をし、ごく弱火で約90分、焦げ付かないようにときどき混ぜながら、ひたすら蒸し煮にする、というもの。
なにせ90分である。できあがった鍋の中は、すっかり野菜のかさが減り、緑色も褪せ、すべてがくったくたに煮崩れて渾然一体となっているので、わあ、おいしそう!という見た目とはちょっと違う。でも、それを器に盛って黒胡椒をガリガリと振り、とっておきのオリーブオイルをかけて食べると、とろける優しい食感に野菜の甘みがぎゅーっと凝縮されていて、滋味ってこういうことだよねえ、としみじみ唸った。

「このくたくた煮をベースにすれば、ミネストローネも簡単にできますよ」と言って、シェフがもう一品、つくってくれたのが、これ。
水で戻した白いんげん豆を柔らかくゆで、完成した野菜のくたくた煮の鍋に、ゆで汁ごと加えてのばすだけだ。ブイヨンなどは一切入れず、野菜と豆の旨味だけで、驚くほどおいしいミネストローネができあがって感激したことを、今でもしっかりと覚えている。

以来、自分でつくるミネストローネも、このやり方になった。野菜はそのときにあるもので。今回は玉ねぎ、長ねぎ、セロリ、にんじん、かぶ(葉っぱごと)、キャベツ、ズッキーニ、小松菜、じゃがいも。かぶやズッキーニなど、水分があって煮込むととろける野菜は、なるべく入れたほうがいいと思う。冬場はめったに買わないズッキーニが冷蔵庫にあったということは、頭のどこかで、そろそろこれをつくろうと、無意識に予定していたのかもしれない。なんとなく気分でトマトピューレと、半端に残ったベーコンも入れたけれど、いつもは入れないことのほうが多い。

ふだん、家で使う野菜や調味料などの多くは、オーガニック食材の宅配を利用している。毎週土曜日に届けてもらうためには、その週の月曜昼までにウェブのカタログからまとめてオーダーをかけなくてはならない。なので、オーダーの時点で、次の日曜日はあれをつくろうかなとか、翌週の朝ごはんや、ひとりで済ませる夕ごはん用に、なんとなく献立を考えながら食材を選んで発注するのだけれど、予定通りに使い切る確率は、かなり低い。

お互いの仕事の都合などで朝ごはんを食べない日もあるし、日曜日に急な外食をすることも多い。特にひとりの晩ごはんになにを食べたいかなんて、その日になってみないとわからないものだ。朝食や休日の食事は夫婦単位で考えるけれど、夫が仕事に出ている平日の晩ごはんは、自分の食べたいものを自由につくることができるんだもの。本音を漏らせば、冷蔵庫にアレがあるから早く使わなくちゃ、どうしようと縛られることが、なんだか鬱陶しく思えてしまうことがある。

それは、ちょっとしたトラウマなのかもしれないな、と思った。
実家の母は、決めた予定をその通りにきっちりやり遂げないと気が済まないタイプの人だ。週末までに翌週の献立を決めてすべて手帳に書き出し、必要な食材を日曜日にまとめ買いしたら、すぐに使う肉や魚は冷蔵庫、週の後半に使うものは冷凍庫。使いやすく、取り出しやすいよう整頓しながら冷蔵庫へしまう。
私が自分で買ってきた食材を適当に冷蔵庫へ入れようものなら、「ここはこれをしまうスペースなのよ、勝手に入れないで!」と叱られる。卵を1個使うだけでもいちいち申告しないと、「どうするのよ、予定が狂っちゃうじゃない」と口癖のように言われていたのだ。

私も結婚した当初は、母と同じとまではいかなくても、似たようなことをしていた。土曜日に宅配の野菜が届くと、そのほかの乾物、肉類、スーパーで買い足した野菜なども含めて在庫の食材を紙にすべて書き出し、使ったものにはそのつど棒線を引いていった。週の後半、食材が乏しくなってきた中で、うまく献立を考えながらきれいに使い切ったときは、確かに気持ちがいい。
しかし、元々のズボラ、そしてプレッシャーに弱い性格もあり、だんだんとそれができなくなってしまった。加えて、レストランなどへ出かけても、おまかせやお決まりのコース料理が苦手で、アラカルトで好きなものを選びたいタイプなのだ。その日、そのときの気分や体調で、食べたいと思うものを食べたい。

母は逆に、行き当たりばったりが大の苦手で、買った食材を、予定通りにきれいに使い切ることに、ものすごく快感を覚えていたらしい。それはまた、母自身のトラウマなのかもしれないなと、ふと思った。
前にも書いたが、うちの両親は私の高校時代まで小さな飲食店を経営していた。店で仕入れた食材や仕込んだ料理の残りを持ち帰っては、家族で消費していた記憶がある。お刺身用に仕入れたまぐろのサクが、しょっちゅうフライになって出てきたっけ。おいしいし大好きだったけれど、母から見れば、店で使い切ることのできなかった食材だ。
残りものとしてではなく、予定通りに使い切ることの気持ちよさに、母は憧れていたのかもしれない、と今朝、熱々のミネストローネをおかわりしながら考えた。ぎっしりと献立が書かれた手帳は、何冊貯まったのかなぁ。


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