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かつて愛した貴方へ

これは、貴方に書く、最初で最後の手紙だ。形式がわからないけど、とにかく書いてみる。

突然だけど、愛とは万華鏡のようなものだと私は思っている。同じであって、同じでない。ある人が信じた愛を愛ではないと否定する者だっている。見え方次第で形を変えてしまう。それが、愛。

私は生まれた街を愛しながら暮らしていた。疑うこともせずに、深く愛した。同じように、貴方のことも、愛した。愛していた。愛する者達と生きていけたら幸せ。愛されたら尚幸せ。
 この街は紛れもなく、求めている幸せに最も近い町だった。もしこの街を出てしまったら、私は私でなくなって、寂しいと思いながらこの町を、貴方の名前を呼び、死んでいく。そう信じて疑わなかった。

けれど、過ぎていく季節と出会いは知らず知らず人を変えていく。私も例外ではなかった。

街中で、偶然、彼と出会った日を思い出す。その時はお互い無視をしたけど、奇しくも数日後の深夜に再会してそうはいかなくなった。彼が私の名前を呼んで、やっと、私は彼の名前を呼べた。
 ーーかつての、恋人の名前を。
 足を踏み入れることはおろか、触れることさえ躊躇うような、そんな雰囲気を合わせ持つ彼の懐に突然招待されたその時の私は、やはり途方に暮れて呆けてしまった。けれど、どうしても近づかねばならないという力が私の何処かで動いた。直感、というものか。世界中何処を探したって、私にしか作用しないかもしれない力だ。馬鹿げたことを言っていると思われても仕方がない。まあとにかく、そうして高いところにいる彼に懐かしさと親しみを感じたのだ。

彼は優しい。だから安心した。彼は困っていた私を助けてくれた。一緒に大学に行こうと誘ってくれた。お弁当のない私に、いつもおかずを分けてくれた。私の話を無視せず聞いてくれた。優しい言葉をかけてくれた。
 彼の住む、薄暗くて、狭い、六畳半の光景を、眺めつつ、どうか、と、私は願った。それを願うことは、愛する街を裏切ることと同じだった。
 
 一つの愛に、終わりを告げると決意した。

彼はこの街を出るつもりだと私に話した。大人というのは寂しいもので、遠慮深くなる。だから、私から言った。私も連れていって、と。楽譜とギターをどこかで買おうと思いながら、彼のあとをついていくと決めた。彼は、とても嬉しそうだった。

愛した街、そして、愛した人々を置いて出ていくことを、どうか、許してほしい。もう、決めたことなんだ。

と言っても、この手紙を貴方が読むことはないんだろうな。

でも、もし、この手紙が貴方に届いていたら。

私のことなら心配要りません。

お元気で。

さよなら。さよなら。

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