シカク運営振り返り記 第51回 カウンセリングとトラウマ治療
自罰ちゃんの許可を得たところで、いよいよEMDRの治療を始めることになった。
まずカウンセラーが目の前で指を立て、左右に動かす。私はその指先をじっと見つめ続ける。しばらくそれを続けたあと、
「目を閉じてください」
と言われ、閉じる。すると、
「今何が浮かびますか?」
と、抽象的な質問をされた。
「えっ、何がって、どういうことですか?」
「なんでもいいので、浮かんだものを言ってみてください。色とか形とかイメージとか」
そう言われてもよくわからないが、なんとなくのイメージで、
「なんか、茶色っぽくて……モヤモヤした感じ……?」
と伝えた。すると、
「では、その感覚を意識しながら、もう一度指先を見つめてください」
そしてまた同じように、左右に動く指先を見つめ、「目を閉じてください。今、何が浮かびますか?」と聞かれる。
いったい私は何をやらされているのだろう。不安になりつつ、
「さっきの茶色いモヤモヤが、少し硬くなったような気がします」
と答えた。硬くなってるってなんだよ、と自分でも思う。このような抽象的な答えでいいのかもよくわからない。
だが本当に不思議なことに、これを何度も繰り返しているうち、最初に浮かんだなんとなーくのイメージがだんだん「自分の心に沈んだ何か」に変わっていくのがわかった。
はじめはモヤモヤしていた茶色いものは、だんだん硬く形を作り、やがて岩のようになった。そしてサバンナのような荒涼とした土地に巨大な岩が浮かんでいるようなイメージに変わっていった。その岩はとても大きく、鋼鉄のように真っ黒で固く、私がどんなに押したり殴ったりしてもびくともしない。無理に壊そうとしても、逆に自分の拳が砕けてしまい、絶望と諦めを感じる。
その巨大な岩は、幼少期の自分が父親に対して抱いていたイメージが別の形となって現れたものであり、浮かび上がった感情は当時父親に対して抱いていたそれと同じだった。
湖に大きな石を投げたとき沈殿していた泥が舞い上がるように、幼少期の自分の感情が浮かび上がらせるのがEMDRの力らしい。
私のイメージがはっきりし、ちょっと具合が悪くなりかけたところで「今日はここまでにしましょう」とその日の治療が終了した。
カウンセリングの最後には「包み込み」という作業を行う。カウンセリング中に思い出した辛い感情を、箱に入れて見えなくするという作業だ。
といっても実際に箱があるわけではなく、パントマイムのように見えない箱の中に存在しないイメージを入れる動作をする。何もないところで変な動きをしている自分がちょっと恥ずかしかった。
EMDRの治療は、その後もしばらく続いた。
治療により想起されるイメージは毎回変わる。父親のこと以外にも幼少期の傷は色々とあり(ちょっとここには書けないのだけど)、毎回違った傷つき感情が蘇る。先ほど《湖に大きな石を投げたとき沈殿していた泥が舞い上がるよう》と例えたが、石を投げる場所が毎回変わるような感覚で、自分でも気づかなかったようなこともあり「ここにはこんな色の泥が埋まっていたのか」と毎回新鮮だった。
事前に説明されていた通り、辛い気持ちが蘇ることで落ち込んだり泣きそうになる回もあったが、治療を続けられないほどではなかったので比較的軽度な副作用だったと思う。
そして不思議なことに、深層心理のイメージを客観視することを繰り返すうち、そのイメージによる負荷も軽減されていった。初めは思い出すのが苦痛だった記憶が、だんだん「あのときは嫌だったな~」程度の軽い気持ちで思い出せるように、少しずつ変化していったのだ。
またEMDRと並行して、近況を話すことも続いた。カウンセラーは私の話を決して否定しないが、考え方のクセは指摘してくれる。例えば、
「また仕事でミスをしました。自分がダメ人間すぎて辛くて死にたいです」
「仕事でミスをしても、それはただのミスなので、人間性とは関係ないと思いますよ」
「あれ? 言われてみれば確かに……」
といった具合に。
思えばふだん生きている中で、行動に対して「それはよくない」と指摘されることはあっても、思考に対して指摘を受けることはあまりない。思考は基本的に自分の中だけで完結するものだし、私はなんでもオープンに話せる性格でもないため、他者からそういった指摘を受ける機会はほとんどなかった。
だが思考をつまびらかに明かし、そこに専門家の目線から軌道修正が入ることによって、悩みの袋小路に行きつく前に自分でもだんだん「また悪いクセが出てるな」と踏みとどまれるようになった。
また、もうひとつ大きかったのが「自罰ちゃん」の存在だ。
自罰ちゃんを認知する前の私は、うまくいかないことが起こると自分を責める声に心が埋め尽くされ、ひとりでどんどん追い詰められていた。しかしその声は自罰ちゃんが発しているんだというイメージを持てたことにより、
「あーあ、また自罰ちゃんが責めてきた」
と、どこか自分と切り離して考えられるようになったのだ。
自分を責める言葉は自分自身の中にいる別人格が発しているものであって、すべてを真に受ける必要はない。それがわかると辛い気持ちになった時でも、以前のような太刀打ちできない絶望や恐怖を感じることは減っていった。
自罰ちゃんとの生活を続ける中で、私はいなくなった元店長Bとの生活をよく思い返すようになった。
私の中にいるのが無条件に自分を責める「自罰ちゃん」なら、Bの中には無条件に相手を責める「他罰ちゃん」がいたのではないだろうか、と。
Bは自分が責められる気配を少しでも感じると、猛烈に私を攻撃してきた。
例えば私がBのアイデアに何か意見をすると「頭が固い」「センスがない」、
洗った食器に汚れが残ってたと伝えると「せっかくやってあげたのになんでそんな言い方するん」、
私が好きな作品に共感できなければ「そんなもんが好きだなんて悪趣味や」、といった具合に。
Bは私のことをずっと見下していた。下位の存在であるはずの私が意見を言ってきたり、自分にないセンスを持っていることはプライドが傷つけられる、つまり攻撃を受けたということになる。その防御反応としてもう一人のB、他罰ちゃんが苛烈な反撃を行なっていたのではないだろうか。
私の中にいる自罰ちゃんも、他罰ちゃんと形は違うが防御反応という点では同じだ。何かが起きたとき、すべて自分が悪いことにして一切の思考を閉ざすことは、ある意味楽でもある。他者と言葉をぶつからせる労力やストレス、わかりあえなかったときの絶望を回避できるからだ。
Bは私と付き合うまで、交際が長続きしたことがなかったと話していた。私にやってきた振る舞いを他者にもしていたらしいので、まともな神経の持ち主と続かないのは当然だ。
ところがそこに自罰ちゃんを宿した私が現れた。日常生活でBのプライドが傷ついたとき、彼は反射的に私を責め、私は反射的に非を認めて謝る。そのようにお互いの防御反応が噛み合ったせいで、お互いの歪みをさらに高め合ってしまったのではないだろうか。
Bは私に対しては威圧的な態度を取り続けていたが、本質的には気が小さく臆病だった。なので私以外の人間に対して他罰ちゃんを発動させることはなかった。しかし表に出さないというだけで、何も感じなかったわけではない。他人から攻撃を受けたとBが感じたとき(はたから見てたら「そんなことで?」と思うような些細なことでも)いつも陰で怒りと悔しさを爆発させていた。
「なんであんなこと言われなあかんねん! でもそんなこと本人には言われへん」
そう叫んで泣きながら枕を投げたり壁を殴ったりシーツを食い破ったりして、私がそれをなだめることが頻繁にあった。(シーツって食い破れるんだ……と思って、大変な状況なのにちょっと笑いそうになった)
そんなときのBは完全に正気を失った獣のような様相だった。思えばあれは、他罰ちゃんが心の中で暴れているのに怒りを向けられる矛先がなく、コントロールできない状態だったのではないだろうか。私の自罰ちゃんが暴れ、フラッシュバックを起こしたときのように。
Bがモラハラ加害者うんこ野郎である事実に代わりはないが、他罰ちゃんが住み着いたのは彼のせいではない。彼もまた生育環境の要因により、歪んだ認知や自意識を育んでしまい、それに苦しんでいる被害者でもあった。
そして私はBに依存することで、彼の加害性を助長していた。私たちはある種、お互いがお互いの加害者であり被害者だったのではないだろうか。
……というのはすべて憶測でしかないし、今となっては確かめようもない。
だが私は、離婚の選択を後悔したことは0.00001秒もないものの、純粋な疑問として「なぜ私とBの関係はあのような形になってしまったのだろう」ということを考え続けていた。そのパズルのピースの重要な部分を見つけられたような気がした。
すっかり店舗運営話から遠ざかっており恐縮だが、カウンセリングを続けたおかげでシカクに関することで大きく変わったこともある。クレーマーや厄介な客への対応だ。
それまで私はお客さんからの無理な要望を断ったり、威圧的な態度を取られたときに冷静に対応することができなかった。「無理」「威圧的」ということを認識した瞬間に脳がフリーズして何も考えられなくなり、動悸がしてうまく呼吸もできなくなってしまうからだ。そうなるとハイ、ハイと言うことを聞くことしかできず、無理な要望を引き受けてしまったり精神を消耗して後悔することが度々あった。
しかしEMDRの効果で父から受けた傷がふさがっていくにつれ、他者への恐怖心も薄れ、怖いながらも思考を保ったまま対応ができるようになった。
対応が難しい頼み事をされたときは「それは無理なんです、すみません」と断ったり、買い物せずに何時間も居座って話しかけてくる人は無視したり、威圧的な態度を取られても突っぱねられたりと、少しずつだが強い態度を取れるようになっていった。
自分を責めたり恐怖に飲み込まれて苦しむことが減ってくると、徐々に今までの自分を客観視もできるようになり、自分がいかに薄氷を踏むような精神状態で日々過ごしてきたかを痛感した。
そしてカウンセリングを受けて5ヶ月ほど経つ頃には、完全に大丈夫とは言わないまでも「この調子で自分なりのフィードバックを繰り返しながら生きていったら、少しずつマシになっていける気がする」と希望を抱けるまでになっていた。
とはいえ、である。
うまくいかなかったときの気の持ちようはカウンセリングによって前向きに改善したものの、そもそもの原因である「うまくいかなさ」は相変わらずだった。落ち込みやすいポンコツが少し明るいポンコツになっただけで、ポンコツであることには変わりなく、それが変わらない限り完全に心が晴れる日はこない。
しかしそれについてはもう、ポンコツ人間として産まれてしまったのだから仕方ないと諦めていた。
しかしそんなある日、まったく予期していないタイミングで「うまくいかなさ」を変えられるかもしれないキッカケが訪れた。
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