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シカク運営振り返り記 第15回 自分の店から逃げ出した話(たけしげみゆき)

 前回、私が展示に対して持っているこだわりについて書いた。そのこだわりを持ち続けることができているのは、実は一度だけそのこだわりを捨ててしまい、ロクでもないことになって大後悔したことがあるからだ。
 今回は自戒を込めて、その思い出したくない思い出について書く。

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 話はシカクが中津商店街に移転するため改装工事をしていた頃に遡る。
 新しい店舗でギャラリーをやると知った初代店長Bの母親(以下長いので「母氏」と書く)から、会うたびに「場所を貸したらいいやんか」と言われるようになった。
 私たちーーといっても私は立場上あまり強くは言えないので主にBーーは、その度に「レンタル貸しはしない」「やってほしい人にだけやってもらうねん」と突っぱねていたが、母氏は「人に貸したほうが儲かるやん」「やりたいこともやったらええけど、たまには人に貸したらええやん」と、釈然としない様子であった。

 母氏がレンタル貸しを勧めてくるとき、必ずセットで飛び出すフレーズがあった。
「私の友達のヨシちゃんが水墨画を習ってて、展示をやってみたいって言ってるねん。だからヨシちゃんの展示やったらええやん。大企業のお偉いさんやから、お金もいっぱいくれるで」
 どうも、ヨシちゃんとやらが個展をやりたがっている様子を見た母氏が「息子がやってる店で今度ギャラリーを始めるから、私から頼んでみるわ」と安請け合いをしたらしいのだ。我々はヨシちゃんがいかにお金持ちで羽振りいいかとか、友達が多いから絵もたくさん売れるはずだという話を耳にタコができるほど聞かされた。

 そんな折、第12回に書いたトイレ壊れ事件が発生。我々の経済状況は一気に破綻し、母氏からの「ヨシちゃんの展示をやってお金を稼ぐべし」というプレッシャーは力強さを増した。
 それに加えて、改装工事を母氏にもかなり手伝ってもらったこと、Bの父親からトイレ修繕費を借りたことなどの負い目も重なり、我々はついに「……一回だけならいいか……お金も儲かりそうだし」と、自分たちのこだわりをポッキリ曲げ折った。
 しかもこの時、金に目がくらんでいるくせに「レンタル貸しをしたくない」という気持ちを完全に捨て去ることができなかった中途半端な我々は、最も中途半端で最悪の選択をしてしまう。明確なレンタル料を提示せず、「レンタル料はまあ、お気持ちで……」と濁し、肝心の利益を母氏から伝え聞くヨシちゃんの羽振りの良さに委ねたのだ。

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 そうして展示をやることが決まり、ヨシちゃんが下見にやってきた。初めはお金のためとはいえ、展示をやるのならば最大限の協力をしようと思っていた。
 ……が、どうしてもダメだった。まったく人間性が合わなかったのだ。彼が持つ『声が大きい』『人の話を聞かない』『コミュニケーションの手段として悪口を言ってくる』『やけに自信に満ち溢れている』『すぐに金の話をする』などの特徴は、我々が普段親しくしている人たちとことごとく真逆だった。
 さらに悪いことに、ヨシちゃんの職場はシカクから比較的近い場所にあり、下見やなんやらで突然アポなし来訪するようになった。ある日の昼前(営業時間外)には私が洗濯物を干していてチャイムの音に気付かなかったのだが、気付いてドアを開けると「まだ寝とったんやろ!ガハハ!!」と言われて、苛立ちで脳の血管が破裂するのではと思った。

 それでも作品が素晴らしいものであればまだよかったのだが、ヨシちゃんの作品はなんというか……『お金と時間のあるおっちゃんが習い事で描いた水墨画』というフレーズから連想されるそのままの作品であった。その作品で人を感動させたいとか、たくさんの人に見てほしいとかではなく、描いたり人に見せたときに自分が気持ちよくなることを目的として描かれた感じ。誰が見てもそれなりに「あら、いいですね」と思えるため、公民館や区民ホールでいくらでも展示ができそうな感じ。趣味があるのはいいことだし、そういう作品を否定するわけではないが、少なくともシカクで展示する必要性はまったくない。
 ヨシちゃんが「変な店やけど友達のよしみでやったりますねんや」という雰囲気で、なぜか上から目線なのもイライラに拍車をかけた。せめて感謝してくれよ……。

 しかし、悪いのはヨシちゃんではない。ヨシちゃんはヨシちゃんらしく生きてきて、ヨシちゃんらしい展示をやろうとしただけだ。悪いのは金に目がくらんでポリシーを曲げた自分たちだ。我々は来る日も来る日も、愚かな決断を後悔し、会期が近付くにつれてどんどん憂鬱な気持ちになっていった。

 そしてやってきた展示期間。GWの1週間丸々という、1年でお店がもっとも盛り上がる時期。
 私たちは……もう書くのも情けない話だが……母親とヨシちゃんに全てを任せ、店から逃げ出した。

 『自分たちの店で、まったく好きになれない人の、まったく好きになれない絵を展示する』『会期中ずっと在廊するヨシちゃんと同じ空間にいないといけない』という現実に耐えきれなかった私たちは、GWの1週間、ずっと友達のお店でイベントをやることにした。それもちゃんとしたイベントではなく、「Youtubeに上がってる面白い動画を見る会」みたいな、参加費も取らないでっち上げイベントだ。要は店にいなくていい口実であればなんでもよかったのである。そして母氏に「GWは毎日イベントで出かけるから店番を頼む」と言い、本当に毎日店番を頼んだ。
 当時はまだまだお客さんも少なく、お客さんは大半がヨシちゃんの友人や行きつけのスナックの常連仲間であったらしい。しかしGWということもあり、1日2~3人はシカクの商品を目当てに来てくれたお客さんもいたそうだ。母氏はそんなお客さんに「この本何がおもろいん?」と尋ねたり、片っぱしからお茶を出したりしていたという。ミニコミ専門店に大阪のおばちゃんというカオスな取り合わせが発生したのは、人類史上初めてだったと思う。毎日報告を聞くたびに、お客さんに謝りたい気持ちでいっぱいになった。

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 そして会期が終わり、展示片付けの日。
 ヨシちゃんから「これ、お礼」と渡された封筒に入っていたのは、1万円が1枚だけだった。
 「いやー、ありがとう! おかげで安くできたわ! 他のギャラリーではえらい高く言われたんや!」とのことだったが、『高く言われた』というその金額はレンタル貸しとしては相場の額だった。ヨシちゃんの中で展示をすることはそれくらいの価値で、初めから『友達の息子のギャラリーだから安く展示ができる』という心づもりだったようだ。
 ヨシちゃんが帰ったあと、母氏は「思ったより羽振り悪かったなあ」とちょっと気まずそうに言った。


 この一件から私は、二度とギャラリーのレンタル貸しはしないこと、自分がやりたいと思った企画しかやらないことを固く誓った。「レンタル貸し自体が問題じゃなくて、やり方がよくなかっただけじゃん」と言われそうだし実際その通りだが、そもそも私という人間の性質上、向いてないことをすると正常な判断ができずロクなことにならないのだ。それに気付けたので、早い段階で後悔を経験しておいてよかった。
 ついでに言うと、母氏から「レンタル貸ししたらいいやん」と言われることも二度となかったので、それもまあよかった。
 ただ、あのGW中に来てくれたお客さんには、今でもチャンスがあれば謝りたいなと思っている。

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