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シカク運営振り返り記 第12回 ○○○が壊れる(たけしげみゆき)

インディーズ出版物のお店・シカクの運営を振り返る連載です!
過去の記事はこちら。

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 2012年9月。シカクは3ヶ月間の改装工事を経て、中津商店街でリニューアルオープンした。
 1年半にわたって貧困と闘い続けてきた私と初代店長Bだったが、これで勝ったも同然。なんといっても家と店、あわせて家賃がたったの1万5千円なのだ。(詳しくは第10回を参照)

 当時のシカクは土日だけ営業で、商品数も少なく、もちろん売上も全然なかった。ミニコミが好きだし面白いからお店をやってるけど、それで生活するなんて夢のまた夢。だから生活費はアルバイトやフリーのデザイン仕事で稼ぎ、お店は趣味で、運よく儲かったらラッキーくらいに思っていた。そんな我々にとって、この激安家賃はまさに天からのプレゼント。
 ……しかし、その喜びはそう長くは続かなかった。

 初めの異変は、異臭だった。
 階段の下のあたりから、掃除されていない公衆トイレのような臭いがする。ちゃんとトイレ掃除をし、芳香剤を置いても改善されない。なんだか嫌な予感がしたけど「古いトイレだから下水から臭いが上がってきているんだ」と思うことにした。
 そのうち、室内なのに小バエがやけに飛び回るようになった。初めは数匹だったので「隙間だらけの長屋なので外から入ってきているだけ。冬になったら減るはず」と自分たちに言い聞かせた。だが我々の想いとは裏腹に、季節が変わって寒さが厳しくなるにつれて、小バエの数は逆に増えていった。どれくらい増えたかというと、友達と集まってボードゲーム会をした時に「小バエを倒した人にプラス50ポイント」という独自ルールができてしまったほどだ。
 異臭もどんどん強くなっていき、それをごまかすためお香を炊きまくっていたので、店の中は常に靄がかかったようだった。

 さすがに見て見ぬふりをできなくなったため、大工の田中さんに頼んで、もっとも異臭の強いあたりの床をめくってみた。

 原因はすぐにわかった。下水を流す土管がズレていたのだ。

 ふつう下水管には塩ビ管が使われるが、この家は塩ビ管ができる以前に建てられたらしく土管が使われていた。その継ぎ目が地震か何かの時にズレてしまい、そこから下水道へ行くはずだった液体が漏れ、床下の土に染み込んでいたのだ。
 漏れは少量だったため工事中は気付かなかったが、住み始めて使用頻度が上がったことにより漏れの量も増え、異臭や小バエといった異常に繋がっていたわけだ。

 顔面蒼白になった我々は、「土管 修理 DIY」などで検索し、工事用のパテや粘土やらで穴の修理を試みた。だがそんな簡単に防げるほど小さなズレではなく、健闘むなしく粘土の隙間から水は漏れてくる。どうも自力で直すのは困難らしい。
 そうなると業者に頼むしかないので、ネットで調べたリフォーム業者に見積もりを頼んでみた。弾き出された工事金額は……およそ100万円。

 この物件は家の奥にトイレがあり、土管が入口の方まで続いている。それを全て塩ビ管に変えるためには、一度床のコンクリートを掘り返して下水工事をし、また床を作り直す必要がある。そのためかなり工事費用がかかってしまう、ということだった。

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 家にトイレがない生活は、厳しい。しかし現実問題としてお金がない。だから当面はトイレなしでなんとか耐えて、お金を貯めて工事をしよう。
 そのために、今は半分趣味でやっているお店を本気で頑張ろう。
 そう、我々を本気モードに変えてくれたのはトイレの故障だったのだ。
 
 ちなみに念のため書くと、それまでのお店は半分趣味といっても手を抜いていたというわけではない。タモさんが「仕事じゃねえんだぞ!遊びなんだからマジメにやれ!」みたいなことを言ってたように(うろ覚え)、仕事じゃないからこそ利益を度外視して好きなことを追求できるという考え方をしていた。
 でも1年ほどお店をやってるうちに、「もう少しこういうところを頑張ったら、もっといいお店になるし売上が伸びるのかな?」と思うことがいくつか出てきたので、そのアイデアを実行に移してみることにしたのだ。かっこよく言うとPDCAというやつだ。

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 まあそのあたりについてはおいおいお伝えするとして、今回はトイレ話を片付けてしまおう。
 結論から言うと、トイレのない生活は数カ月で限界を迎え、高校生の時からからバイトでコツコツ貯めていたなけなしの貯金と親からの借金でトイレを修理した。ついでにシャワーもつけた(どうせ下水工事をするので、シャワーの本体代を追加するだけで取り付けることができた)

 トイレが使えないとわかったとき、まず私たちは家の周辺で使えるトイレを探した。トイレが改札の外にある駅、「ご自由にお使いください」表示のコンビニ、知人のお店、公園の公衆トイレなど。1日に何度も同じところに行くのは気がひけるので、それをローテーションしていた。切羽詰まった状態まで我慢すると間に合わないため、かなり早めに自分のトイレメーターの増加を察知する必要があり、常に膀胱や腹具合に注意を払わなければいけない。これはかなりのストレスだった。
 ほどなく近所にシェアアトリエができ、トイレとお風呂を月5千円で使わせてもらえることになったおかげでトイレ放浪記は終わりを迎えた。楽にはなったが、それでも「思い立ってすぐにトイレに行ける」というわけではないので、神経を使うことに変わりはない。
 特にお腹の調子が悪い時や膀胱炎になったときは辛かった。家とトイレを往復していては未曾有の大惨事となってしまうので、布団をシェアアトリエに運び込んで痛みが引くのを待った。その時は真冬だったが、電気代は使用料に含まれていないため暖房器具をつけるのも気が引け、底冷えする床に布団を敷いてブルブル震えながら痛みに耐えていた。

 「大切なものは失って気付く」とよく言うが、トイレがあんなに大切だとは思わなかった。いや、大切なのはもちろん知っていたけど、頭で理解したつもりでいるのと骨身にしみる理解は別なのだ。私は「トイレなくてもまあなんとかやっていけるっしょ」と楽観視していた自分を恥じた。
 そんなわけでトイレの修理が完了し、新しいトイレで初めて用を足したとき、私は感動に震えた。「もう二度と離さないよ!」と熱い抱擁を交わしたいほどだったが、なんせトイレなのでそれは我慢した。

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 こうして借金を背負って貯金残高はマイナスになったものの、一応最低限の人間らしい暮らしを手に入れた私たち。次回からは店舗運営記らしく、本気モードになったシカクでお金を稼ぐためにやり始めたことについて書きます。
(それにしても改装中から汚い話が続いておりすみませんでした)

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