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【読書感想文】ボストン・テラン「神は銃弾」

大学に入ってから本を読まなくなった。世の中には本なんてものよりもずっとわかりやすくて見やすくてラクなコンテンツが無数にあるのでそれも仕方ない話だとは思うけど、幼少期の習慣は抜けないものなので、本が読めなくなっても「本を読みたい」という欲求自体は消えることがない。
ので、読んだ。
これです。

ボストン・テラン(訳:田口俊樹)「神は銃弾」

原題は「GOD IS A BULLET」。めちゃかっこいい。正直題名に吸われてパケ買いした。でもこのパケ買いは大成功。

内容を一言で説明するならば、反体制をテーマとしたバディ小説だ。主人公の男であるボブは、ある日元妻がカルト集団に惨殺され実の娘も誘拐されるというとんでもない悲劇に見舞われる。彼はどこにでもいるような冴えない警官なのだが(というかむしろ序盤の彼は主体性のないナード的な存在として描写されている)、娘を取り返すために無数の危ない橋を渡っていく。
そんなボブを助けるのが、犯人のカルト集団の元団員であるケイスである。彼女は誘拐された娘に自分を重ねて、ボブに協力することを決める。そこからのストーリーはジェットコースターみたいなものだ。ボブとケイスはアメリカの荒野をダコタで爆走してカルト集団から娘を取り戻す。
このあらすじの書き方だとありきたりなバディ小説でしかないように聞こえると思うんだけど、この小説のすごいところはストーリーラインの意外性じゃない。

この小説には一貫したテーマがある。「世界の中心は何か?」という問いだ。その問いへのアンサーをボストン・テランは小説の形で私たちに教えてくれる。
キリスト教的世界観で考えるならば、世界の中心は神だ。当然。だって世界はそもそも神が作りたもうたものであり、人は神の為に生き、世界は神によって制御されているのだから。でも世界のすべての人間がイエス・キリストのことを信じてるわけじゃない。この辺の感覚、日本人的にはすっきり受け入れられるけどたぶん純粋なキリスト教徒であればあるほど拒否反応強いだろうなと思う。本来この小説はそういう敬虔な信者の心臓に弾丸をぶち込むためにあるんだろうけど、まあそれはともかく。
ともかく、キリスト教徒にとって世界の中心は神だけど、アメリカにだって無神論者はいる。たとえば小説内に登場するカルト集団のボスや、ケイスもそうだ。彼らにとっての世界の中心は何か? そんなの決まってる。彼ら自身だ。彼らは彼らによって世界を作り出し、世界を変え、生きていく。
陳腐な表現だけど、他者を軸として生きていくか自分自身を軸として生きていくか、って話なのだ。たぶん。どっちがいいとかそういう話じゃなくて、世界には二種類の人がいるってだけ。ボブは最初は他者を軸として生きていた。けれどそれでは娘を救えない。だから彼は自分自身を世界の中心へと変えた。この小説は、彼のその変貌を丁寧に丁寧に、ちょっとキモいほど執拗に描いている。
彼の変貌を見届けた後に「神は銃弾」っていうこのタイトルを見ると、やっとすべてがつながる。壮大なタイトル回収。こんなにきれいなタイトルこの世にそうないよ。この伏線回収を味わうためだけに読んでほしい、本当に。

でも手放しに人に勧められるタイプの本じゃないのよ。そもそも文体が非常に読みにくいって話もあるし、暴力小説だから現代のコンプライアンスから判断したら圧倒的アウトでしかない要素がぎっしり。拷問にリンチに死体にレイプって感じ。表現一つ一つも生々しくて、正直R-18で売った方がいいんじゃない?くらい思う。でもそれらの過激表現はすべてただの露悪趣味とかじゃなくて、意味がある表現なのだ。キリスト教的倫理観のアンチテーゼとしてのジャンキーの言葉だから。でもさ~そんなこと言ったって今ってこういうの許してくれる時代じゃないじゃん。だからみんなこっそり買ってこっそり読んで、匿名でお勧めしあおう。これはそういう小説。

文体は過激。それから催眠。分厚い一冊の最初の3/4はトリップするための布石で、最後の数ページの絶頂感を味わうためにわたしたちは麻薬を舐める。大体そんな感じ。だから最初の3/4はどうにか我慢して読み進めてほしい。本当に、絶対に後悔しないから。

あと大切なネタバレ。ちゃんとハッピーエンドだよ。


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