【掌編ホラー】楽しい歯医者さん
歯科医院に入った瞬間、あの薬のような独特の匂いがした。サトルの脳裏に今までの治療の記憶が瞬時に蘇った。
「イヤだ、絶対に治療はイヤだ!」
サトルは歯科医院から外にでて逃げようとした。が、お母さんに力ずくで治療台に座らされてしまった。
「あが…… あ、がが……」
(やめて! イヤだ……)
叫ぼうとしても上手く言葉にならない。ただただ大きな悲鳴が医院中をこだました。
「そうそうサトル君。大きくお口を開けて頂戴ね」
優しい声とは裏腹に、先生の手は力強くサトルのアゴを抑えていた。
「おっきい穴だね! これじゃ痛いはずだよ」
小さな鏡で口の中を見回した先生は眉をしかめた。
「お母さん、サトル君の両手を握ってあげて下さいね」
「ハイ、先生」
右側にいたお母さんは両手でサトルの手を握りしめた。さらにバタつくサトルの足の上に、覆い被さるように自分の体重を乗せてきた。これで全く身動きがとれなくなったサトル。
「サトル、騒がないで! 暴れないでよ」
「あが、あがが……」
サトルの左隣では、病院のお姉さんがサトルの肩を押さえていた。同時にサトルが口を閉じられないように口の中に棒を突っ込んできた。
シューシュー
どうやらこの棒は口の中の唾を吸ってくれるようだ。
「そのまま、そのまま」
先生は、そーっと細い筒のようなものを近づけてきた。その時、サトルにはしっかりと見えてしまった。筒の先に何やらキラリと光るものが!
「あっ? あー? あ“ー……」
(針? 針なの? 注射? 注射なの? 口の中に注射? え?! 歯ぐきに針を刺すの?)
「ちょっとだけチクンとするけど、ちょっとだから大丈夫よ」
「あー、あが、ギャアギャアー!」
断末魔の悲鳴とは対照的に、隣のお姉さんのかけ声は優しかった。
「上手、上手! お鼻でゆっくり深呼吸よ。チョット苦いでしょ? 今、吸ってあげるからね~」
ジュッ! ジュ、ジュー!
「ハア、ハア、ハア……」
(もういい、もうやだ! もうたくさんだ……)
次に先生は金属の棒のような機械を手にした。その機械の先に短いトゲのようなものをつけた。しかしサトルは知っていた。それで歯を削ることを。それが、歯を削る機械だと言うことを。そして、それが動いた瞬間……
ビーン! ビーン! ビーン!
けたたましい回転音が医院中にこだました。あたかもサトルの泣き叫ぶ声など全て打ち消すように。
「あー、ガー、ぎゃー」
(やめて! やめろ! やめてくれ!)
「サトル君、その調子、動いちゃ危ないよ」
先生はゆっくりと、歯を削る機械を近づけてきた。
ビーン
ビーン
ビーン
「ア、ア、あー! うー! うがー!」
(くる、くる、来る! やめて! やめろ!)
ビーン
ビーン
ビーン
「あが! あがー! うぎゃー!」
(入る! 入るー! 口の中に入るー!)
ビーン
ビーン
ビーン
「うがー、あが、アガガ……」
(入った? ああ? 入った? *×□▼~+=●:÷〇%#!△■……)
サトルの口の中に機械が入った瞬間、けたたましい音を上げながら口の中にシャワーが飛び散った。
シュワシュワビーン!
シュワシュワビーン!
ガッ、ガガッ、ガガガガガビーン!
「ギィヤアァァー!」
「おい、キミ! 大丈夫かい?」
「ダメだ。この被験者、完全に気を失なっちゃってるよ」
開発担当のAとBは顔を見合わせた。この会社では様々なVR(バーチャルリアリティ=仮想現実)関連の商品を開発していた。前回ヒット作となった「日常の恐怖体験49」の続編「リアル恐怖体験49」の開発が行われている最中だった。その日はゲーム好きの学生に被験者となってもらい、試作品の「恐怖度」を試す実験をしていた。
「まあ、気を失うくらいの恐怖なので、この『楽しい歯医者さん』は一応合格かな?」
「でも恐すぎてNGになっちゃたりして?」
「それは会社の倫理委員会の決定に任せよう」
「そうだね。とりあえず残り48種のリアル恐怖体験の結果を集計してしまおう」
「うん。テーマはジェットコースターに、バンジージャンプ、お化け屋敷、廃墟、ウソ、うらぎり、倒産、解雇、更迭、別れ、いじめ、しつけ、誤解、孤独、正座、極寒、灼熱、暗闇、山頂、絶壁、深海、濁流、豪雨、津波、高所、地下、密室、乗り物酔い、腐敗臭、高速、激震、騒音、激辛、疲労、空腹、不合格、落第、退学、試験、病院、病気、事故、ケガ、手術、えん罪、警察、裁判……この分だとモニターは全員、気を失っちゃうかもね」
「しっかし、こんなものがよく売れるもんだなあ」
「人の趣向はわからないよね。こんなものが楽しいなんて? 僕なんか恐いのはまっぴらゴメンだ」
「私もだよ。まあ、売れればいいんだから」
「そう、仕事、仕事」
「私達が絶対味わいたくないリアルを追求すればいいんだからね」
「ギャーアアアアア!」
「また被験者が気を失ったみたいだよ」
「今度はなに?」
「『不倫は繰り返す』みたいだね」
「じゃあ、これも合格って事で……」
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