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鼻をすするカセットテープ

空腹に目が覚めて昼時の窓を開け放つ。さぶい。そんなことは分かっていた。起きた時から部屋中に秋の空気が所狭しといるのである。秋の空気ったら、寂しがり屋さんねぇ♪などと鹿田が許す訳もなく、強制退去を言い渡し意気揚々と窓を開けたのだが、かえって新たな秋の空気を迎え入れてしまった。

虎視眈々とぎらついたその空気たちの視線に今や四面楚歌、外に出るしかあるまいと右往左往と出かける準備をしては途中23度転びながらようやく玄関にたどり着き、果て、と気づく。外に出たところでそこもまた敵地ではないか、大きなあくびと思いきやくしゃみをはなち、とうとう自らも把握できず玄関に座り込んでは放心している。

鹿田です、よろしくね。

まあそのようなことを布団にくるまり妄想していた訳だ。休日の朝を怠惰で貪るこの時は、永遠に続くかと思われたが、尿意という切なき生理現象によって打ち砕かれた。なかったことにして、再び布団に戻ろうとしたその道中に北風は潜んでおり、颯爽と鹿田の眠気を持ち去ってしまったのである。無念。

箪笥から○○物の衣類を掻き出し何重にも身体に包んでは窓の外を見つめる。真っ赤な柿の実がひとつ、ふたつ…と、危うくまんまと数え切る所だったが我に返りカーテンを閉めてはインスタントコーヒーを作る。さあ、今日も素敵な現実逃避だ!

と、現在に至る。

鹿田にとってnoteの一番のメリットは現実逃避ができることだ。ああなんて素敵なnote生活。

コーヒーで温まった所で、ふんと高みから鼻息を鳴らし鹿田は下界へと赴く。どれどれ季節の変わり具合はいか程かと縁側でサンダルを履いては余裕綽々で巷を(庭という小さき巷を)見定める。

ふん、コスモスなんぞ、なんぼ咲こうともか弱きことよ。ひまわりを見てごらん、あの逞しき茎は夏の強風をも物ともせず仁王立ちしているのだから。それに比べて育ち過ぎたコスモスの茎のひ弱なことよ。小さき妹弟分の花たちに支えられては折れた頭をやっとこ保っているではないか。そこに風の1つ2つが吹けば、ずれて頭から地面に激突し、鼻を打っては血をぶちまけることだろう。花だけに。ふん、ひまわりの足元にも及ばん。

山を見れば枝葉末節の端々が色づいている。皆それを見て紅葉だ紅葉だとはしゃぐのであろう。しかし紅葉など結局、片端から色づくグラデーションの正体は線香花火如く朽ちる寸前の切なき足搔きである。それをみて風流風流などとほざくは馬鹿の一つ覚えでないか!

鹿田は怒っている。怒るにしてもタイミングというものがあるだろうと世間様はおしゃるかもしれないが、これでも考えて考えて考え抜いた末の怒るである。何せ”しかし紅葉など結局~”の後の語句が見つからず半日放置しておいた。

今は夜だ、ははっ!見ろ!紅葉の1枚とて毎夜毎夜訪れるマンネリした夜にさえ敵わぬのだぞ!真っ暗になったそこには、紅葉があろうがなかろうが大差ないのだ、そうして鈴虫の音にしっぽりと濡れ腐り夜を越える。その中には涙のひとつふたつも混じるかもしれないね。なんせ芸術の秋だ、心揺れる秋だ。けれどみな誰もがもれなく毎朝必ず太陽の魔法にかかり、昨日の夜の寂しさなんてさっぱり抜き取られてしまって、ああ、晴天の日差しになんと紅葉は映えることよはうはうなんて宣うのだ。はうはうは何を現わす擬音であるかは、各々考えておくれ。鹿田は知らん。

そして現在、夜。聞こえるものと言えば片耳に住みついては時折顔をだす耳鳴りと、どこかでやぎゃーやぎゃーとなく獣の声のみ。休日とあってこの時間帯の走る車はすくなく通り過ぎる車の数を数えようとすれば羊よりも効率的に眠ることができる始末だ。しばしまてこれは商売になるのではと楽して稼ぎたい怠慢鹿田はおっちらえっちらとどこからからラジカセをもってきては窓際に置く。空テープもえっちらおっちらとどこから持ってきた。さて、マイクを車道に向けて録音を開始する。そしてテープ一杯90分、鹿田宅付近の生活音をテープのテープに染み込ませる。大丈夫、住所を特定て切るような音など何一つない。しいて言えば時折鹿田の鼻炎の鼻をすする音が入るくらいだ。

と、また適当な空想にかまけては、ふふっとひとり不気味に笑う鹿田だ。いつもにましてまとまりようのないこの記事だから、最後のタイトル決めが正念場。せっかく1日かけて作った記事なのだから最後位は綺麗に締めたい。

じゃ、頼んだ数秒後の鹿田。

またね。


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