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鹿田、半寝ぼけの脳みそで無意味を追求す

今日は休日。休日となると鹿田本来の能力がここぞとばかりに発揮されるもので、惰眠という究極の時間の有効活用を午前中丸まるしていた。おかげで脳みそはさっぱりである。なんなら指先までまだ寝ぼけていて思うように動ないくらいだ。

起きてから半日は経っているとはいえ一度いつもと違うタイミングで起きてしまうと、その後も惰眠したのだから惰性でいいだろと脳が勝手に判断してしまうようだ。なんならいつもに増して鹿田は今日なにをのたまうか不安でならない。究極の無意味、ここに見つけたり。となるかもしれない。やることなすことすべてが無意味なのだ、すごいだろ?

ええ、大それたタイトルを書きました。

この脳みそで如何に追及などできようぞ。昨日の催眠術の話ではないけれど、本気で考えだしたら3秒後、鼾をかいている鹿田の姿は目に見えている。いつもの如く話し出した矢先にタイトルの要件を満たしてしまったこの計画性の無さも鹿田の無がなす業なのだろうか?

いや、それは自分のせいだ。

場つなぎに無意味なイラストを挟む。

なんなら今日はとことんミーニングレスで行ってやろうじゃないか。


なんて、
そんなことは無理なのだけれど。

だって僕が適当に詩を書こうが読み手がなにかを感受してしまった途端、それはその人にとって意味あるものになってしまうのだから。実体験があるのだから間違いない。だとすると、この文章にだってなにかしら誰かは見出すしなんなら鹿田の深層心理まで悟られてしまうかもしれないね。鹿田の心が及ぶなら。鹿田の心に深みがあるなら。


浅はか代表鹿田です、よろしくね。

と、無意味な文章を書いている間も、鹿田の心の中では少なくとも「無意味な文章を書いてやろう」っていう意識は働いているし、なんなら、というか実際のところでは面白くしたい、楽しんでもらえる文章にしたいと思って書いてる。

うん、よくわかんない。

よくわかんないけれど、もともと夏バカしかない鹿田は頭が働かないと、その夏さえどっか行っちゃうってことは少なくとも大多数の人は気づいたはずだ。

意味なんてないつもりだったのに気づかれた。毎度毎度の繰り返しだったのに気づかれてしまっては次からはまた別の手を打たなくてはならない。

しかし鹿田の脳みそは今日は動かない。

でも不思議とここまで書いてしまった分の量に対して、鹿田は今少なからず達成感さえ抱いてしまっている。なんなら連続投稿できたこともうれしいという感情が芽生えている。もしかしてnoteを書くことを習慣化している最中の鹿田の脳みそに、また一つ強化できたかもしれないなんて喜びまである。酷いもんだ。

生み出そうと思った時点でなにかしら生み出しているのだ。

肯定のつもりで書き始めたのに否定でおわってしまったよ。

ここで締めるつもりなので今日はいつもより文章少ないなぁなんて感想を鹿田はふと自然にもったが、それこそ意味のないことなんだぞ。

ということで終わる。

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