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本の紹介『アウグスティヌス 心の哲学者』

※こちらは、少し前に書いた記事になります※

みなさま、鹿人(仮)です。

今回は、『アウグスティヌス 心の哲学者』、出村和彦著、を紹介がてら、その中で考えたことを徒然に綴っていこうと思います。

この本なのですが、著者の出村先生とは個人的に面識があり、読もう読もうと思いながらも、月日が過ぎ、ようやく読む機会に恵まれたという、ある意味私にとっての思い入れ深い積読本だったのです。放っておけば、永遠に積まれていただろうこの本も、仲間が居るというのは本当に良いことで、友人とやっている読書会という機会を得て、ようやく手に取ることができました。

 いやはや、読んだ率直な感想で言えば、もっと早くに読めばよかったと思えるものでした。というのは、後で紹介することになりますが、アウグスティヌスの「心から理解する」という態度、これが思考の探求活動をより豊かにし、自分自身の内面により深く考えの根を伸ばすものであるからです。こういった態度こそが、より自分自身の「心」をより深くし、「幸福」に向かうための一つの道筋なんじゃないかな、などと思うわけです。

 (まあ、いろんな人生経験や思考が深まったからこそ、そういった態度の重要性に重きを置くようになったのかもしれませんが。)


さてさて、前置きが長くなりましたが、始めていきましょう!

本の概要

 皆さま、アウグスティヌスという哲学者はご存じでしょうか。私は、西洋哲学史を大学で学んだ際、そしてこの著者である出村先生の講義が初めての出会いでした。当時、キリスト教的な思弁にほとんど興味が無かった私には、『告白』や『神の国』など、有名な著作の名前と、20世紀「現象学」を始めたドイツの哲学者フッサールが「アウグスティヌスの時間の概念を参考にした」ということくらいしか印象に残らなかった記憶があります。

 さて、その時から幾星霜、出村先生の紹介するアウグスティヌスとの再会の場となりました。この本で描かれるアウグスティヌスは、古代と中世の間を生きた偉大なる聖人でありながらも、その時代を生きる一人の心ある人間でした。様々な伝記やテキストが引用されながら、アウグスティヌスの生涯が描かれ、その思索や息遣いなどを身近に感じることができるように思います

 また、これは余談ではありますが、この本の中で、出村先生がアウグスティヌスが洗礼を受けた地を紹介される時、その文章からは、ここに訪れたことがあるのかな?とその情景が浮かぶかのようでした。その情熱と愛着を感じる文章です。

 長年にわたって研究されてきたからこそ、温かみがあり、そしてその研究対象である、アウグスティヌスのように「心から」理解しようとされてきたことがわかる一冊と言えるかもしれません。

心の哲学者ということ

 さて、ここからは本書の中で印象に残った部分を簡単に書いていこうと思います。


 アウグスティヌスは、その生涯にわたって、神学的・哲学的探究を進めていきます。しかしながら、その本格的な歩みの以前には、弁論術教師という、スピーチや議論のための教師としてのキャリアがあり、またキリスト教からすれば異教であったマニ教(善悪二元論を教義とする)を信仰する時代があったのです。その中で、「知恵への愛・哲学」と出会い、キリスト教と出会い、アウグスティヌス、その人自身の探究が始まります。

 哲学と宗教と聞くと、それは交わることのないように思われる方もいらっしゃるかもしれません。「理性によって考えることと信じることは別物だ」と。しかし、アウグスティヌスの歩みを見れば、それが違うということがわかります。アウグスティヌスは、自分自身の心、そして理性、聖書やキリスト・神の教えること、それぞれを総合的に捉えながら、理解していく。神という人間を超越したものを仰ぎ見ながらも、自身の心に常に問いかけながら、哲学(当時で言えば、アリストテレス的な形而上学が主)的な理論を用いながら、理解しようとしていくのです。 (私には、最近言われるような宗教がはらむ問題性は、こういったアウグスティヌスのような営みが欠如している、というか、思考せずに信じることが宗教の良さ、と思われることに潜んでいると思っているのですが…。)

こういった営みこそが、正しい宗教の向き合い方なのではないか、そして、自分自身を豊かにするために大事なプロセスではないか、と思うのです。もちろん、アリストテレスを読むことが必要、というのではなく、自分自身を顧みて、そして他者(アウグスティヌスで言えば神)を慮って、徹底的に理解しようとすること。それは、ただ誰かを理解しようとするのではなく、その後ろ側にあるかもしれない、人間の本性と言っても良いかもしれない部分に目を向けること、そのようにしてより深く思慮する中で、自分自身の内奥の奥深くに到達し、他者とより深い部分で繋がることができる(あるいは、完全な他者として関わらないということもあるかと思いますが)ように思うのです。

さいごに

 以上のようにご紹介してきた本書でありますが、新書ということもあり、手頃な価格で読みやすいのが素晴らしいです。私の学生時代、アウグスティヌスのこう言った本はなく、なかなかその思想に手を伸ばすことが難しかったように思います。『告白』自体は読みやすい文体で、内容をさらうことはさほど難しくはないように感じましたが、その中から大事な部分を読み取るのは難しかった印象があります。しかしながら、このような手ほどきを受けてからであれば、手を伸ばしてみよう、と思うことが少し容易になるような感じがします。

 出村先生の講義も受けたことがあるのですが、熱量が強く、時についていけないこともありました笑。しかし、本書は読み通しやすく構成されていて、最後までしっかりアウグスティヌスの歩みに向き合うことができ(る気がし)ます。読書案内や、年表も付されているので、アウグスティヌスとさらに向き合う下準備もバッチリです。私自身は、気になるところもありますが、本格的に踏み込むのはまだ先かな…とは思います。 出村先生元気でやってらっしゃるかな…。


 さて、拙いご紹介ではありましたが、こんなところで終えたいと思います。



皆さま、ここまでご精読ありがとうございました!


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