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ひいては世界のためになっていると思えること。

『COTEN RADIO』の株式会社COTEN・深井龍之介氏によるこちらの発信。

 これを見て、なぜか社会人になってすぐ、当時の会社のS社長に言われたあるひと言が思い出されました。

「卓越した最高の編集者になってください」

当時は出版関係の会社に勤めていました。この社長は営業や会合などでほとんど会社にいなかったので、7年在籍して会話を交わした時間は2〜3時間もなかったと思います。

「卓越した〜」という言葉は完全に忘れ去っていました。

ちなみに卓越するのは到底無理でした。好きな仕事だったけれど最後の一線、「命を燃やす」くらいのところまで熱くなれなかったのです。

「出版系ってキツそう」というステレオタイプなイメージそのものの、仕事をやってもやっても終わらないヘビーな会社でした。社内で寝泊まりしたことも数限りなくあります。

最初はパッションに満ちていた仕事が、「この先もこのままなんだろうか?」という疑問を持ったとたん、色褪せて感じられたことを覚えています。

一方、他のすべてを捨てて文字通り「命を燃やすように」働いている人もいました。(これが絶対的に正しいとは思いません)

ではなぜ、「卓越した〜」という言葉が思い出されたのだろう?

そう考えたとき、深井氏の「ひいては世界のためになっていると“思える”」という部分にヒントがあると感じました。事実はどうあれ「思える」ことが大切なのだと。

そもそも「卓越する」も「最高」も曖昧言葉です。人によって定義もボーダーラインも異なります。つまり、これらは世間ではなく自分に向けてかける言葉だったのかもしれません。

S社長は2年ほど前に亡くなったそうなので真意は聞けませんけれど。(覚えてもなかったでしょうしね)

いずれにしても僕にとってよかったのは、「自分が当時やっていた仕事に疑いを抱くまで」は少なくとも本気を費やすことができた、と思えることです。やれるだけはやったと自信を持って言い切れます。

卓越も最高も得られることはなかったけれど、当時の仕事に出会えたことは本当に幸せです。あの頃に培ったもので今、ご飯を食べていますし(笑)。

「寸分の疑いなく、人のために、世界のために」と思える仕事とは、自分がそれに合わせていった結果、ようやく判断できるものなのかもしれません。

そうじゃなければ真っ正直に「人のために、世界のために」なんて言葉には出せませんよね。一生判断できないものなのかもしれない。

まァ、深井氏のいう「最大の報酬」というのも、得てしまえばそれでゴールのように見えますが現実には終わりはないので、追い続けるべきものなのでしょうね。

死ぬときに「寸分の疑いもない」と思える仕事だったと自分自身が納得できるように。


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