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街や地域とのリレーション。
ポッドキャスト番組『超相対性理論』の「出雲から地方の可能性を考える」という回で、興味深い考え方に出会いました。それが
地域とのリレーション
というもの。まだ上手く言語化できないので違っていたら申し訳ないのですが
街や地域から得られるもの…感情とかライフスタイルとか
街や地域に対して果たせること…仕事とか社会貢献とか
って、それぞれ場所によって違うよね、ということです。
一番簡単な例で言うと、引越しを、生まれてからこのかた何度かしてきませんでしたか? きっとその土地土地において形成された記憶は、1つ足りとも同じではないと思います。
僕が暮らしている高松は生まれ故郷だからやはり「家」「落ち着けるイメージ」だし、少し観光的な視点に移せば「青い海」「うどん」とか。
もっとマクロに見て地元の木太町という場所だと、「住む場所」とか「拠点」とか「地元の仲間」とか…挙げはじめるとキリがない。
以前住んでいた東京の世田谷区という場所は、下北沢という街に近くて「都会的」「音楽」。その後、高松にUターンするまで暮らした杉並区は「土着的」とか「商店街のにぎやかさ」などなど。
職場のあった新橋は、そのまんま「サラリーマン」「飲み屋」(笑)。住む場所感はいっさいなくて「働きに出る街」というイメージですね。
離れてしまっても、どこも好きで思い出深い場所です。地元も好きだけど、人生の1/3を過ごした東京にも、自分という存在とは切っても切り離せないリレーション(関係)があります。
そういった場所がきっとあなたにもあると思います。
これは「僕」という人間にとっての街・地域への関わり方でしたが、「関係人口」という言葉があるように、結び付きの強さに差はあれど一生関係があり続けるものなのだと思います。
子育てをする場所、青春のあるタイミングを送った場所、苦い思い出のある場所…。
ではそんな街や地域に対して「果たせる」役割はなんだろう?
新橋の街には、相当お金を落としました(苦笑)。
簡単なところだとそういった「消費」なのですが、たとえば地元の木太町に対しては「元気にしたい」と思っているし、高松市というレベルに広げると、僕のベースは相談業なので「誰かの悩みを解決する」ことができます。
もし県外から知人が来たら、地元を僕なりの視点で案内してあげたい。観光の切り取り方は人によって千差万別でしょうね。相手とのリレーションもありますし。
また、うまく言葉にできませんが東京という街に対してできることと、地元に対してできることはまったく違います。
地元で手を抜いているわけではありませんが、東京に行くと「プロの仕事をしなければ」と気が引き締まります。力の発揮の質が違う感じ?
なんだか取り止めがない感じになってしまいましたが、自分という個との関係値から街や地域を見てみるのって面白いな、と思って視点をご紹介させていただきました。
まーあ、言語化するのが難しいのですが。きっとこれから足を踏み入れたり“再会”したりする場所にも、固有のリレーションが生まれていくのだと思います。
頭を硬くするものでもないですし、楽しみながら考えてみてはいかがでしょう? 何か発見があるかもしれません。
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