安売りは総体価値を下げる自分ベクトル。
「安売り」をすると自分の価値を低く見積もられるばかりか、自分の関わる業界全体が「そんなもの」と思われてしまう。
安く、安く、安く。その果てにあるのは、人間が行動や消費にコストを感じなくなるということですよね。
そりゃあ動きやすくはなるかもしれないけれど…、回り回って、ものの「ありがたみ」を自分自身で塗りつぶしていることに他なりません。
「クライアントとの契約期間がさらに1週間伸びたので、これこれの修正お願いします!」
・・・おいおい、もういい加減にしろよ。
とある仕事の話。実は二度目。
代理店と「クライアント」との支払いの関係で今月、僕にフィーが発生しないことはあらかじめ分かっていました。
「今度、焼肉奢ってくださいね」ということで手打ちにして、焼肉代の範囲のクオリティで付き合っていたのですけど、これです。「さらに1週間伸びたので」と。
僕も代理店的な立場にいたり、商社で仕事をしていたりしたので、気持ちは分からんでもないのです。
自分では対処できない。周りに頼りにできる人もいない。僕にフィーを払おうにも、「クライアント」から予算を引き出せない。だから会社から稟議も落とせない。
しかし…。
とてもお世話になっている方なので手伝ってあげたい気持ちはやまやまだけど、ここは心を鬼にしてキッパリ。
「いくらいくらいただければ、やります」。
今朝、AM8時時点で返事はなし。これで関係が途切れるなら、その程度の関係だったのだろう。
毎日勉強をしているし、新しいことにもチャレンジしているし、一度決めたことは続けているし、少しずつ大きな仕事にも関わることができているし。
僕自身の時間単価は確実に上がっています。
正直、芽が出ないうちは「付き合い」と思って理不尽にも耐えていたけれど、今回の件は、自分のためにも相手のためにも社会のためにもならんなあ。
自分が自分だけを安売りするのは個人の自由。しかし、世の中全体のコストが少しずつ下がることは、ものという総体価値を、自分自身で下げていることになる。
その価値観は、「出せば売れる」という昭和のあり方に他ならなくて。今は違う。低コストなものも高コストなものもあって、それらを個人が価値観に沿って「選択」できる時代です。
不必要なコストは削るべきだろうけど、必要なコストは悪しきものではなく価値であり、ありがたみです。
そのようなことを考えていると、たとえ世話になった人との間柄でも、付き合いでも、安売りすることがアホらしくなりました。
要は僕自身の振る舞いで相手の「見る目」を損なっているので、安売りは自分のことしか考えとらんよなあ、と。自分ベクトル。自分ベクトル。
安売り、やめます。サヨウナラ。
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