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《週末アート》『ウルトラマン』に二度も出てくる「ダダイスム」とは?
「週末アート」マガジン
平日はデザインについての記事を書いていますが、週末はアートについて書いています。
ダダイスム
時期:1910年代半ば–1920年代半ば
ダダイスム(仏: Dadaïsme/英:Dada)は、1910年代半ばに起こった芸術思想・芸術運動です。ダダイズム、ダダ主義あるいはダダとも呼ばれます。第一次世界大戦に対する抵抗や、それによってもたらされたニヒリズムが根底にあり、既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊といった思想が含まれます。ダダイスムに属する芸術家たちをダダイストと呼びます。
初期の中心は、スイスのチューリッヒのキャバレー・ボルテール(Cabaret Voltaire)(1916年頃)でした。
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source: https://www.zuerich.com/en/visit/culture/cabaret-voltaire
ニューヨークのダダは1915年頃に始まり、1920年以降はパリで盛んになりました。ダダの活動は1920年代半ばまで続いた。
ダダイスムとは、第一次世界大戦の反動から、現代資本主義社会の論理、理性、美学を否定し、ナンセンス、不合理、反ブルジョア的な抗議を作品に表現した芸術家たちからなる芸術運動でした。ダダの芸術活動は、コラージュ、音詩、カットアップ文、彫刻など視覚、文学、音響メディアなどに渡っています。ダダイストの芸術家は、暴力、戦争、ナショナリズムに対する不満を表現し、急進的な左翼や極左の政治とよく結びつきました。
ダダという言葉
この運動の名前「ダダ」の起源については、はっきりしません。一般的な由来は、ドイツのアーティストであるドイツの作家、詩人、精神分析家のリチャード・ヒュルゼンベック(Richard Huelsenbeck)が、レターオープナーをランダムに辞書にスライドさせ、それが「ダダ(dada)」、「趣味の馬の口語的フランス語」をひいたというものです。ジャン・アルプ(Jean Arp)は、トリスタン・ツァラ(Tristan Tzara i)が1916年2月6日午後6時、チューリッヒのカフェ・デ・ラ・テラス(Café de la Terrasse in Zürich)でこの言葉を考案したと書いていす(※1)。
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ダダのルーツ
ダダイスムのルーツは戦前のアヴァンギャルドにあります。ダダの前身である反芸術(anti-art)という言葉は、1913年頃にマルセル・デュシャンによって、受け入れられている芸術の定義に挑戦する作品を指して使われました。アルフレッド・ジャリー(Alfred Jarry)の『ユビュ・ロワ(Ubu Roi)』(1896)やエリック・サティのバレー『パラード』(Parade)(1916-17)などの作品は、ダダの原型作品と考えられています。
ユビユ・ロワ(1896)
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『ユビユ・ロワ』は、フランスの作家アルフレッド・ジャリ(当時23歳)の戯曲。1896年にパリのヌーヴォー・テアトル(現在のパリ・テアトル)で初演されました。この作品は、たった一度の上演で、その不道徳さと猥雑さで観客を困惑させ、怒らせてしまいました。この作品は、荒唐無稽で奇妙な喜劇であり、文化的な規則や規範、慣習を覆すという点で重要であると考えられており、20世紀や21世紀の学者たちは、20世紀にモダニズムの扉を開いた作品としてみており、ダダイスム、シュールレアリスム、不条理劇の先駆けでもあります。
『パラード』(1916-17)
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『パラード』は、レオニード・マシーヌの振付、エリック・サティの音楽、ジャン・コクトーの台本、パブロ・ピカソに依る美術、衣装によるバレエです。1916年から17年にかけて、セルゲイ・ディアギレフのバレエ・リュスのために作曲されました。
ダダ宣言
(仏:Le Manifeste DaDa)は、1916年7月14日にヒューゴ・ボールが書き、同日チューリッヒのヴァーグ・ホールで開かれたダダの最初の公開パーティで読まれた短文。1918年にチューリッヒでツァラにより第2宣言がされます。こうした動きは、世界の大都市ごとに行われました。1919年にトリスタン・ツァラは、アンドレ・ブルトンに招かれてパリに活動の場を移しました。
その後1922年頃にツァラとブルトンとの対立し、1924年にはダダから離脱したブルトン派が「シュルレアリスム宣言」をします。こうした動きと前後してダダイスムは勢いを失っていきます。数年後にツァラとブルトンは和解し、ツァラはシュルレアリスムに合流していきました。 そして1945年頃、シュルレアリスムも終息します。
ダダイズム運動は、公共の集会、デモ、芸術、文学雑誌の出版を含み、芸術、政治、文化に対する情熱的な発言が強くなされました。この運動は、後のアヴァンギャルドやダウンタウン音楽運動などのスタイルや、シュルレアリスム、ヌーヴォー・レアリスム、ポップアート、フルクサスなどの活動へ強い影響を与えるものでしtが。
主要都市におけるダダ
チューリッヒ(スイス)
チューリッヒ・ダダ(1915年頃-1920年頃)
主要な参加者
フーゴ・バル
ハンス(ジャン)・アルプ
リヒャルト・ヒュルゼンベック
マルセル・ヤンコ
トリスタン・ツァラ
ハンス・リヒター
ゾフィー・トイバー=アルプ
ニューヨーク(アメリカ合衆国)
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ニューヨーク・ダダ(英: New York Dada)は、ニューヨークにて、1910年代半ばに起こったダダ。同時期に、ヨーロッパのチューリヒ等で起こったダダと対応しているものの、その発生は独立したもので、ダダ的な思想を持っていましたが、意識的・集団的なものではありませんでした。
主要な人物たち
マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)
マン・レイ(Man Ray)
フランシス・ピカビア(Francis Picabia)
主要なメンバー3人のうちマルセル・デュシャンとフランシス・ピカビアの2人はアメリカの出身ではなく、マン・レイもアメリカ合衆国出身ではあるものの両親はユダヤ系(スラブ地域)であり、思想的にヨーロッパ由来の運動というニュアンスがあります。なお、ニューヨーク・ダダは、パリのダダと異なり、シュルレアリスムに向かわなかったところが特徴的です。
パリ(フランス)
期間:1919年頃-1924年
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主要な人物たち
アンドレ・ブルトン
ジャン・クロッティ
ポール・エリュアール
バンジャマン・ペレ
フィリップ・スーポー
ルイ・アラゴン
ジョルジュ・リブモン=デセーニュ
ジャック・リゴー
テオドア・フラエンケル
ベルリン(ドイツ)
期間:1917年頃-1922年頃
主要な人物たち
リヒャルト・ヒュルゼンベック
ジョージ・グロス
ジョン・ハートフィールド
ラウル・ハウスマン
ヨハネス・バーダー
ハンナ・ヘッヒ
ヴァルター・メーリング
ゲルハルト・プライス
ヴィーラント・ヘルツフェルデ
日本
期間:1921年-1925年
主要な人物たち
辻潤
清沢清志
高橋新吉
吉行エイスケ
MAVO
村山知義
尾形亀之助
大浦周蔵
門脇晋郎
高見沢路直(田河水泡)
萩原恭次郎
壺井繁治
岡本潤
川崎長太郎
林政雄
小野十三郎
『ウルトラマン』に出てくるダダとブルトン
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画像引用:https://m-78.jp/news/n-4815
『ウルトラマン』などのウルトラシリーズに「ダダ」という名前の怪生物が登場します。全身が白黒の幾何学的な縞模様で覆われているこの怪生物の名前は、「ダダイスム」に由来し、既成概念では理解し難い、宇宙生命体を意図して脚本家の山田正弘氏が名付けました。また『ウルトラマン』には、アンドレ・ブルトンが由来のブルトンという怪物も登場します。
![](https://assets.st-note.com/img/1656321606710-AoAIbZ9hSX.png)
画像引用:http://kaiju-gk.jp/character/bullton/
まとめ
ダダイスムとは、第一次世界大戦(1914–1918)に対する抵抗やそれによってもたらされたニヒリズムが根底にあり、既成の秩序や常識に対する否定、攻撃、破壊といった思想を表現しようとした芸術活動です。一部はシュルレアリスムへと継続されていきました。
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参照
※1
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