見出し画像

映画『アメリカン・サイコ』と書体 “Copperplate Gothic”の関係

クリスチャン・ベール主演の映画『アメリカン・サイコ』

『アメリカン・サイコ』(American Psycho)

映画『アメリカン・サイコ』(American Psycho)は、1991年に出版されたブレット・イーストン・エリスの長編小説を2000年にカナダの映画監督メアリー・ハロン監督により、クリスチャン・ベール主演で映画化されもの。

1980年代後半のマンハッタン・ウォール街を舞台に、投資銀行で副社長を務める一方で快楽殺人を繰り返す主人公を描くサイコ・ホラーです。ホラーとして面白いという本筋以外にデザインとして楽しめるシーンがある映画です。どんなシーンか?

おしゃれでイケてる名刺を自慢し合うシーン

この映画のなかで、主人公のパトリック(クリスチャン・ベール)が同僚たちとだれのステータスが高いかを何かと競いあいます。予約が取れにくいレストランでランチやディナーをする、スーツなどなど。そんななか名刺を自慢し合うシーンがでてきます。主人公パトリックが自慢げに見せびらかした名刺がこちら。

『アメリカン・サイコ』(American Psycho)より

印刷は、活版印刷を使っています。活版印刷は印刷を発明したグーテンベルクからの印刷技法ですが、現代はもっと安価な高品質、高効率のオフセット印刷が一般的です。では、なぜ活版印刷であることを自慢するのか? それは後述もしていますが「お金がかかるから」です。金属や樹脂で版を作り、それをガチャンガチャンと手作業に近いやり方で印刷するのが活版印刷。そして活版印刷の特徴は、「印刷された部分がちょっと凹む(凸版印刷だから)」ところ。活版印刷については別の機会に詳しく解説しますが、動画をみるとどういうものか理解しやすいでしょう。

https://youtu.be/AoaxKEgDMic


余談を2つ:古いアラビア数字とラストネームの表記について

今一度、パトリックの名刺を御覧ください。

『アメリカン・サイコ』(American Psycho)より

左上にある電話番号(電話番号なんです。そして日本以外の国ではハイフンはほとんど使われません)の数字(アラビア数字)は、クラシックなホテルの部屋番号のように上や下に突き出した形をしています。これを“OldStyle Figures”(古いスタイルの数字)と言います。この数字の特徴は、小文字を使って表記される欧文のなかで数字が違和感なく溶け込むところです。文章を組むデザインをエディトリアルデザインと言いますが、それや書体デザインにおいて、重要なのは「読み手がスラスラとストレスなく読める」ことです。そんなわけで、OldStyle Figuresは、上に出っ歯たり、下に出っ歯たりしている小文字のなかに、溶け込むように数字に下に出たり、上に出たりするデザインになっています。

もうひとつの余談はラストネームの表記について。パトリックのラストネームは、ご覧のように大文字だけで組まれています。なぜか? これは「どれがラストネームかはっきりとわかるようにするため」です。(ちなみにPatrickも大文字ですが、こちらは小さな大文字(スモールキャピタル)が使われています。)

“え? 英語だったら、最初にファーストネーム、次にラストネームが来る決まりなんじゃないの?”

そう思われるかもしれません。そのとおりです。しかしこの小説が書かれた時代はバブル時代です。世界が急激にグローバル化していた時代でした。そしてグローバル化は、異文化、異国の人たちとビジネスをすること機会が激増した時代でもあります。すると日本人のように、どっちがラストネームかわからない名前に触れる機会も増えていきます。これが、どっちがラストネームかはっきりさせる表記の背景にあります。

余談終わりです。閑話休題。

パトリックが寝たんだポールの名刺

パトリックの同僚のポールが名刺自慢に参戦して、こんな名刺を披露します。

『アメリカン・サイコ』(American Psycho)より

この名刺もまた活版印刷なんですが、さらに高級感を出す要素を持っています。なんだと思いますか?答えは「書体」。ここで使われている書体、Copperplate Gothicは、銅版印刷由来の書体なんです。銅版印刷は、活版印刷よりさらにお金がかかる印刷技法です。しかしポールの名刺は活版印刷です。書体の佇まいだけが活版印刷よりも高価な銅版印刷なんです。

銅版印刷とは

銅版印刷は、活版印刷のあと、18世紀頃に開発され、流行した印刷技法です。銅版を掘り、そこにインキを塗り、拭いて、紙に押し付けて印刷する技法です。活版印刷より繊細な印刷が可能です。これについてはディオールのロゴに使われているNicolas Cochin(ニコラ・コシャン)という書体のときにも解説しました。

https://note.com/shijimiota/n/n9176a490b214


書体 Copperplate Gothic(カッパープレートゴシック)

Copperplate Gothic(カッパープレートゴシック)

この書体、現代の日本人にも馴染みが深い書体です。アメリカの高級食材チェーン店、ディーン&デルーカのロゴに使われているんです。

ディーン&デルーカのロゴ

ほかにもいろいろなところで(レストランのサインなど)に良く使われていますので、街を歩くときなど、キョロキョロみているとたぶんすぐに見つけられます。

この書体がリリースされたのは1901年。アメリカ鋳造所(まさに「American Type Founders (ATF)という名の)からリリースされ、デザインしたのは、フレデリック・W・ガウディFrederic William Goudy)氏。

Frederic W. Goudy in 1924

デザインされたは20世紀ですが、モチーフにしたのが、銅版印刷に良く使われていた書体です。名刺やレターヘッドなどの文房具(ステーショナリー)に良く使われていました。なので映画『アメリカン・サイコ』でも名刺に使われています。

高級感の背後には高額がある

以前、書きました『ディオールのロゴと“高級感”の秘密 「銅版印刷」』『なぜメールのマークは「ダイヤ貼り」なのか?』という話でも触れましたが、にじみ出る高級感の背後には「手間暇&お金」があります。どいう内容だったかというとディオールについては、書体が銅版印刷由来だったということとダイヤ貼りの封筒も紙と手間をちょっと贅沢に使った仕様だということでした。背景にお金がかかっているということが伝われば、高級感や本物感は出てきます。(お金がかかっているのに伝わらなければ、出ません。これはデザインというのは、畢竟(ひっきょう)シグナルとか記号の問題ということのあらわれでもあります。


まとめ

莫大な予算が注ぎ込まれた欧米の映画は、質の高い美術を映画に付与するプロダクション・デザイナーが敏腕を奮っています。日本では美術監督と翻訳されたりします。プロダクション・デザイナーの仕事は、映画の世界のクオリティを見た目を使って高めること。映画の舞台の時代や地域などをディテールから底上げしていくために、プロダクション・デザイナーのディレクションによって、その時代に使われた書体を注意深く使われることが多くあります。映画『アメリカン・サイコ』においては、名刺の印刷、書体、デザインに非常に細かい気配りが見受けられます。企業のブランディングにも参考になるものがいっぱいありますので、良い映画を観るというのも、経営には役立つかもしれませんね。

ちなみに『アメリカン・サイコ』のプロダクション・デザイナーは、Gideon Ponte氏です。


関連記事



参照




よろしければサポートをお願いします。サポート頂いた金額は、書籍購入や研究に利用させていただきます。