なぜ神社仏閣の屋根は「青緑色」なのか?
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なぜ神社仏閣の屋根は「青緑色」なのか?
なぜ神社仏閣の屋根は「青緑色」なのか? それは銅板屋根だからです。銅板屋根とは、文字通り、屋根に銅板を使用したもの。銅は錆びると青緑色になります。これを「青緑(ろくしょう)」と言います。
それではなぜ、いつ、銅板を屋根に使うようになったのでしょうか?
いつから銅板屋根が使われるようになったのか?
古くは奈良時代から金属瓦があったという説があります。しかし城に銅瓦が使われるようになったのは、関ヶ原の合戦以降(※1)。織田信長は、安土城天守の軒先瓦に漆で金箔を貼った「金箔瓦」を使用しています。銅を本格的に使ったのが徳川家康。当時金箔瓦より高価であった銅瓦を江戸城、名古屋城に用いました。
銅瓦は、徳川家康の隠居城として築かれた駿府城(すんぷじょう。静岡県静岡市葵区)の天守(1607 ~ 8年頃)に初めて用いられたそうです。徳川家光の築いた江戸城天守や徳川秀忠による大坂城天守等に採用されています。名古屋城天守の場合は江戸時代の中期(1752年)になって土瓦から銅瓦に葺きかえられ、2重から上、5重まで銅瓦で葺かれています。日本の城で創建時の銅瓦が現存するのは、青森県の弘前城天守のみ(※1)。
なぜ銅板屋根が使われるようになったのか?
織田信長から徳川家に至る歴史の中で、銅の加工は容易ではありませんでした。にも関わらず、社寺仏閣や城郭に銅板が用いられてきた理由、それは、機能と美と権力の誇示のためでした。
機能としては、耐火・軽量という優れた特徴を銅板屋根は持っています。そして経年することで色が変わっていく緑青(ろくしょう)への変化という美しさ、また当時は金よりも高価で加工が難しかったがゆえに、使う事ができることで権力を示すことができました。
緑青(ろくしょう)
ところで銅が錆びて色が変わる緑青(ろくしょう)とは何なのでしょう?
緑青とは、銅や真鍮などの金属が、空気中の水分や塩分と反応して酸化することによって発生する錆(さび)の一種です。青錆(あおさび)とも呼ばれています。錆ではあるのですが、金具の酸化を防ぐ効果があります。緑青は、金属周りに付くことで、金属内部の酸化による腐食の進行を防ぎます。アメリカ合衆国の自由の女神が青緑色なのも、この緑青のため。そしてそれがゆえに長い間、原型をとどめています。
銅版の経年変化
銅板は施工したばかりのときは、銅の色のままです。
この光沢のある状態は数ヶ月しか保たれず、半年もすると落ち着き始めます。
さらに数年経つと、今度は、黒褐色へと変化してきます。
この褐色は数十年続き、更に年月が経ってようやく緑青色へと変化してきます。ゆえに緑青色は長い年月を経た証となり、歴史があることを示すものとなります。
施工の様子
品川神社の銅板屋根を葺き直ししている様子がYoutubeにありました。普請を担当したのは、望月板金(東京豊島区)。こちらでは、銅板屋根の体験もできるようです。(やってみたい!)
参照
※1
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