「バロック」様式と何か?
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冒頭のまとめ
バロック様式とは?
前回「ロココって何?」という記事を書きました。
今回は、ロココ様式が発生する前の時代のバロック様式について紹介していきます。
いつの時代?
16世紀から17世紀。16世紀は日本では、室町時代後期(戦国時代)、安土桃山時代あたりで、戦国大名たちが乱立する状態になっていました。織田信長が本能寺で自害したのが1582年。ちなみに17世紀に入ると江戸時代が始まります(1603年〜)。
どこで発生してどこに広がった?
発生したのは、イタリアのローマ、マントヴァ、ヴェネツィア、フィレンツェ。ルネッサス以降に始まりました。バロック様式は、カトリック教会の反宗教改革運動や、ヨーロッパ諸国の絶対王政を背景にして、彫刻、絵画、文学、建築、音楽などあらゆる芸術領域に影響を及ばしました。バロックの始まりは、ミケランジェロの作品に見出すことができます。
プロテスタントの美術史家たちは、バロック様式が新しい科学と新しい信仰の形、すなわち宗教改革を生んださまざまな文化的運動に対して、カトリック教会が抵抗していた時代に発達したものと考えています。
建造物におけるバロック様式は、教皇がその威信を回復するための表現手段として使おうとしたものでした。このバロック様式は、ローマでは成功を収め、バロック建築は街の中心部を大きく塗り替えていきます。
バロック様式は、カトリックの芸術であり、宗教改革への対抗手段でした。そのため宗教改革に加わった国々では強い抵抗を受け、逆にプロテスタント芸術が発達することになります。ゆえにイギリスやフランスでは、バロック様式は拒絶されました。
貴族たちもまたバロック様式の劇的なインパクトを訪問者や競争相手を感銘させる手段として捉えました。バロックの宮殿は、一連の前庭、控えの間、大階段、応接間から構成されており、中へ進むに従って豪華になって行きます。このようにバロック様式は、直感的であり、直截的、単純明快、劇的なものでした。
ルネサンスからバロック初期は、イタリアが文化の中心でしたが、バロック後期になると文化の中心はフランスへ移ってゆきます。
バロックの語源
バロックという言葉は、真珠や宝石のいびつな形を指すポルトガル語のbarrocoから来ているという説が有力です。現在の意味での「バロック」という言葉は、後世の美術評論家らによって作り出されたもので、他の美術様式同様、当時からそう呼んでいたものではありません。当時の芸術家たちは、自身を「バロック」ではなく古典主義であると考えていました。彼らは中世のフォルムやギリシア・ローマの題材を利用していたからです。
特徴
ハインリヒ・ヴェルフリン(Heinrich Wölfflin, 1864–1945。近代的な様式論を確立したしたスイスの美術史家)は、バロックを楕円が構成の中心に据えられ、全体の均衡が軸を中心とした構成であり、色彩と絵画的な効果がより重要になり始めた時代と定義しました。
これを音楽に当てあてはめると「バロック音楽」という表現は、オーケストラ的な色彩がより強く現れたものといえます。オペラは、バロックの主要な芸術形態。
文学においては、ジョン・ミルトンの『失楽園』が、視覚表現の発達に強く影響された想像力が感じられ。バロックの叙事詩とえいます。
絵画では、ポーズが傾いだ姿勢(コントラポスト)に頼っており、肩と腰の平面を反対方向にずらして置くフォルムの緊張感は今にも動き出しそうな印象を与えるものになっています。
17世紀初頭に、ヨーロッパ全土では、激烈な宗教戦争が起こり、社会が分裂していきます。この不安定な時代において、連続的な運動と永続的な秩序とのあいだに頼れる関係を見出そうとする努力が行われ、そこから独特な心情的表現が生まれたもの、これを「バロック」と言います。強い印象を与える変化と対比、これらは、動的で変化に富む自然と人間の感情から見出された新しい表現でした。
調和・均整を尊重したルネサンス様式に対して、バロック様式は、劇的な流動性、過剰な装飾性を特色とします。「永遠の相のもとに」がルネサンスの理想であり、「移ろい行く相のもとに」がバロックの理想でした。全てが虚無であるとする「ヴァニタス(vanitas)」、その中で常に死を思う「メメント・モリ(memento mori)」、そうであるからこそ現在を生きよとする「カルペ・ディエム(Carpe diem)」という、破壊と変容の時代がもたらした3つの主題が、バロック様式のなかに広く見出すことができます。
バロック様式の絵画
絵画における「バロック様式」を象徴しているのは、フランドルのピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens)マリー・ド・メディシスのために制作した一連の絵です。
ここでは、カトリックの画家が、カトリックのパトロンを満足させるために、バロック時代の君主制、図像学、描画技法、構図、そして空間や動きの描写などを取り入れています。
後期バロック様式になると徐々により装飾的なロココへと入れ替わっていきます。
バロック様式の彫刻
バロック様式の彫刻では、人物の集合に新しい重要性が生まれ、人間のフォルムによってダイナミックな動きとエネルギーがもたらされました。バロック彫刻になって初めて、彫刻は複数の理想的な視角を獲得していきます・。隠された光源や噴水といった彫刻以外の補足的な要素を付け加えるのもバロック彫刻の特徴の1つ。
イタリアのジャン・ロレンツォ・ベルニーニ (1598-1680) の建築、彫刻、噴水は、バロック様式のそれら特徴を強く示しています。信仰とエロティシズムが入り混じっているのが。バロックの特徴の1つ。新古典主義の慎みやヴィクトリア朝の羞恥心とは相反するものでした。ベルニーニは信心深いカトリックであり、宗教的体験から引き出される複雑な真実を大理石の中に体現しようとしました。
バロック様式の建築
バロック建築では、重点は力強い柱、ドーム、コントラスト、絵画的な色彩効果が特徴です。内装では、なにもない空間を取り巻き、横切る壮大な階段が設置され、これは、それまでの建築には存在しなかったものでした。世界各地のバロック建築の内装で見られる他の特徴として、奥に行くにつれて徐々に豪華になり、華麗な寝室、王座の間、謁見室などで頂点を迎える儀式用の続き部屋があります。これは気取った貴族の住居でも小さなスケールで模倣されました。
バロック様式の庭園
イタリア式庭園でのバロックの庭は、ルネサンス期の16世紀にもみられ、エステ荘、ランテ荘の庭などにも、バロック性がみられます。その特徴として構造に力動性をもたせ、驚かせる、奇想さといった、遊戯性と壮観さ、イベント性が強調され、ルネサンス的な古代文明・文化の復興・再現という思想は後退し希薄となっていいます。ルネサンス様式では、シンメトリー、調和、比例が尊重されましたが、それに代わって創造的な奇抜さが目立ってきます。
バロック様式の文学
フランスではピエール・コルネイユの『舞台は夢』、モリエールの『ドン・ジュアンあるいは石像の宴』、イギリスではシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』、スペインではティルソ・デ・モリーナの喜劇『信心深いマルタ』など、バロック期には多くの作家が劇作品を書いています。
バロック演劇は、知的な分析よりも感情や感覚を好み、本当らしさよりも幻想を優先し、統一性よりも移ろいやすさや矛盾に重きを置き、単純さよりも複雑さを尊重しました。概してバロック文学は死への強い関わり合いと幻想との戯れが特徴となっています。絵画におけるヴァニタスと同様に、死は過ぎてゆく時間、取り返しのつかないもの、はかないもののメタファーとして用いられました。ロマン主義とは対照的に、死は精神的な苦しみよりもむしろ形而上学的な明証を表していました。
幻影(illusion)もまたバロックの特徴のひとつ。多くのバロック作品は、劇中劇の構造を持っていました。コルネイユの『舞台は夢』では、父親がその息子が世の中を動き回るのを見るという劇が、それ自体がまた劇である構造をしています。
幻影はまた真実を言うことも可能にします。シェイクスピアの『ハムレット』では、叔父である現在の国王が、その実の兄であり、ハムレットの父を殺害したことを、ハムレットは亡霊の言葉から知ります。
バロックの美学は動き、変わりやすさ、矛盾、アンチテーゼなど。人物たちはある感情の色調から別のものへと移り変わっていきます。
バロック様式の音楽
バロック音楽は、17世紀初頭から18世紀半ば頃までの音楽様式の総称となります。これは、おおむねオペラの誕生からヨハン・ゼバスティアン・バッハの死までの期間に相当します。ただし音楽に「バロック」という言葉が適用されはじめたのは、比較的近年になってからのことです。英語でバロック音楽の語が用いられたのは1940年になってから。
バロック様式の次
バロック様式は、18世紀後半になると新古典主義(文学、音楽は古典主義)へと移行していきます。
最後のまとめ
バロック様式とは、宗教革命に対抗したカトリック教会や貴族たちの復権を意図した流れが表現として現れたもの。動的であり、荘厳。そして死がテーマに含まれます。ルネッサンス様式に対してのカウンターであり、その後は、ロココ様式へと移り変わっていきます。
https://note.com/shijimiota/n/n4c9aeb627838
参照
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