見出し画像

《週末アート》 解説!「マネ」と「モネ」の違い

《週末アート》マガジン

いつもはデザインについて書いていますが、週末はアートの話。


「マネ」と「モネ」ってどっちが何?

アートにまあまあうといと「マネ」と「モネ」のちがいがちょっとわからなくて、「面倒だから興味を持たないでおこう……」と考えてしまうひともいるのではないでしょうか。すくなくともわたしがそうでした。アートなんて役に立たたない……と。でも、この二人の違いがよくわからない人が、ばっちりわかるようになるとかなりスッキリするのではないでしょうか。以前も「アール・ヌーヴォー」と「アール・デコ」の違いについて書きましたが、これもけっこうスッキリする系のテーマだったと思います。

今回は、ふたりの違いを覚えやすいようにクイズ形式にしていきます。長いとつかれるので短めにして。読み終わったときには、あなたも「マネとモネ博士」になっているはずです(嘘。しかし違いはわかるし、説明できるくらいにはなっているはず)。では行ってみましょう。

「マネ」と「モネ」はどっちが先に産まれたの?

このクイズには、ヒントが問いのなかにあります。こたえは、

マネが先に産まれた

「マネ」と「モネ」という順番で書いている理由が、「マネ」のほうが先に産まれているからでした。覚え方は「まみむめも」。「マ」が付くほうが先で「モ」がつくほうが後。覚えやすいでしょ? ここいらで、二人の姿と生没をみてみましょう。

マネ
ナダール - http://www.stellaweb.ch/nadar/pg/manet.htmhttp://i.imgur.com/OC7D9.jpg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=21593による

名前:エドゥアール・マネ
生没:1832-1883(51歳没)
国:フランス


モネ
ナダール, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=788412による

名前:クロード・モネ(Claude Monet)
生没:1840-1926(86歳没)
国:フランス

ということでマネのほうが8年先に生まれています。しかしお気づきでしょうか? マネは51歳とかなり早くに亡くなっています。なぜそんなに早く死んでしまったのでしょうか?

マネが51歳で死んじゃった理由は?

死んじゃう少し前に描かれたマネの肖像画(カロリュス=デュラン画)(1880年頃)
カロリュス=デュラン - 投稿者自身による著作物, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3024837による

マネが死んじゃった理由をつぎの3つから選んでください。

(1)自殺
(2)梅毒
(3)事故

答えは……

(2)梅毒

しかも16歳のときにブラジルで感染したもの。35年間もずっと梅毒だったんですね。梅毒はペニシリンによって治療が可能なのですが、ペニシリンの発見は1928年。マネの死後、45年経ってからのことです。(ちなみに発見したのは、アレクサンダー・フレミング氏。)なぜブラジルで感染したのか? マネは裕福な家庭に産まれたのですが、官僚だったマネの父は、芸術家になりたがっていたマネの将来を不安に思っていたので、それに応えるようにして、マネが水兵になろうとします。水兵になるための実習船に乗り、すれによってブラジルのリオデジャネイロまで航海したことがありました。このとき、若きマネは梅毒に感染してしまったわけです。

そろそろ二人の作品をみてみましょう。

この『印象・日の出』はどちらの作品でしょうか?

『印象・日の出』1872年
クロード・モネ - art database, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=23750619による

注釈に名前がでちゃっていますが、正解は「モネ」です。ちなみにこの絵画のタイトルが「印象派」という名前の始まりです。「印象派」(Impressionism)とは、皮肉でつけられた呼び名だったのですが、呼ばれる方も世間も「印象派って何か良くない?」と気に入り、そのまま定着しました。印象派は文字通り、もわっとした印象的なタッチが特徴です。

こちらの『草上の昼食』はどちらの作品でしょうか?

『草上の昼食』(1862-1863)
エドゥアール・マネ - wartburg.edu, パブリック・ドメイン, h
ttps://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=45284による

こちらもキャプションに答えが出てしまっていますが、マネの作品です。『草上の昼食』は当時「エッチだ!」というニュアンスで酷評されました。なぜ「エッチだ!」と批判されたのでしょうか。女の人だけ裸だから? この『草上の昼食』はふたつの古典作品をモチーフにしています。ひとつがラフェエロの弟子のアルカントニオ・ライモンディ氏の作品(ライモンディ氏はラフェエロ氏の作品を版画にしていました。なのでもともとはラフェエロの作品)。作品名は『パリスの審判』。

アルカントニオ・ライモンディ氏の『パリスの審判』
{{Artwork |artist = {{Creator:Marcantonio Raimondi}} |title = {{en|The Judgment of Paris}} |description = |date = {{other date|between|1514|1518}} |medium = {{technique|engraving}} |dimensi

この絵の右下にいる男女3人の構図とポーズ。『草上の昼食』はこのラファエロの作品を元にした版画そのものです(パクリ!)。ちなみにラファエロは盛期ルネサンスの画家で16世紀前後の方。マネより300年ほど前の存在。そして芸術を極めた古典の巨匠として認められている方でもあります。そんな古典を現代版にしたらこうなるよね!というのがマネがしようとしたことに近いです。でもこの絵の人たちはみな裸です。女性だけ裸ってのがだめなのかなぁ?と。この「女性だけ裸」も元ネタがあります。それがこちら。

『田園の奏楽』(1509年ごろ)
ジョルジョーネ - [1] ([2]), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=101660による

この作品もまた盛期ルネサンスのイタリア人画家、ティツィアーノによるもの。女性だけ裸じぇね?これやってみるか?という具合に2つの古典(盛期ルネサンスの巨匠たちの)作品をベースにして作ったのが『草上の昼食』でした。古典をマネして描いたのに(マネだけに)、なぜ「エッチだ!」と言われるのか? それは当時、芸術において女性の裸を描いて良いのは、その女性が「現世にいない存在」の場合に限られていたからでした。つまり女神とかキリスト教関連だとか。それだったら神聖なので裸OK!だったんです。これは現代でも近いものがあります。芸術ならヌードはOKだが、そうじゃないならけしからん!となっています。

ところでそんな矛盾に抗議して、ヌードの絵画の前に全裸になって同じポーズをとった女性がいました。デボラ・ドロベルティ(Deborah de Robertis)(きれいな方)という女性のアーティストで、彼女が同じ格好をするのに選んだ絵画のひとつが、なんとマネの『オランピア』でした。

『オランピア』(1863年)
エドゥアール・マネ - Google Art Project: Home - pic Maximum resolution. Colours edited by uploader, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=23737568による

ドロベルティさんがした大胆な抗議(?)は、まさにマネ氏が試みたことと近いものがあります。「おまえら、おれの絵をエロいっていうけど、なんで女神だったら裸に描いて良いんだよ?描かれているものは同じじゃねーかよ」というロックな精神をマネは批判されても突き通しました。ちなみにマネの絵をけしからん!と批判したひとのひとりが描いた絵がこちら。

アレクサンドル・カバネル氏の『ヴィーナスの誕生』(1863年)
アレクサンドル・カバネル - http://www.artrenewal.org/asp/database/art.asp?aid=5, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1661491による

どうでしょう?こっちのほうがずっとエッチじゃないでしょうか。天使を描けば良いってバカみたいです。このロックなマネの姿勢に憧れたり、影響を受ける若手たちがいました。そのひとりにモネもいたんです。


マネを真似したモネ

「マネかっけー」と思ったモネ氏。そんなモネ氏はマネを真似します(笑)。マネの『草上の昼食』を真似した『草上の昼食』という作品があり、それがこちらです。

クロード・モネ『草上の昼食』(1865年から1866年)
クロード・モネ - Claude Monet, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=334843による


「マネ」と「モネ」はそれぞれどんなひとだった?

モネのようにエッチでロックなマネに憧れる若手が少なくありませんでした。かれらはロックなマネをしたって集まり始めます。集まった場所が、カフェ・ゲルボワ。

マネが描いたカフェ・ゲルボワであろう様子を描いた『カフェにて』
エドゥアール・マネ - 投稿者自身による著作物, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1249813による

このカフェ・ゲルボワは、バティニョール地区にあったのため、マネのまわりに集まってきた芸術家たちを「バティニョール派」(Batignolles group)と呼ぶようになりました。この集まりが、後に「印象派」となっていきます。つまりマネのもとに扱った反骨精神のある芸術家たちが印象派になって行った、という流れがあったんです。

絵筆を持つマネを、ルノワール、バジール、ゾラ、モネらが囲んでいる『バティニョールのアトリエ』アンリ・ファンタン=ラトゥール作(1870年)

モネはどんなひとだった?

モネの有名な作品のひとつに『散歩、日傘をさす女性』というものがあります。モネの最初の妻カミーユ氏と長男のジャンを描いたものです。

『散歩、日傘をさす女性』(1875年)
クロード・モネ - National Gallery of Art, Washington, D. C., online collection, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=155839による

モネ氏は、妻のカミーユ氏が大好きでした。しかしモネ氏がパトロンのエルネスト・オシュデ氏のうちで暮らすということをしているあいだに、オシュデ氏の妻アリス氏とも仲良くなってしまいます。そんななかに妻のカミーユ氏が出産後に体調を壊して死んでしまいます。その少し前にパトロンのオシュデ氏は破産して国外逃亡してしまうのですが、モネと良い仲だったオシュデ氏の奥さんアリス氏は、子供をいっぱい連れてモネのうちに転がり込んできます。そんなシッチャカメッチャカなうちに愛妻のカミーユ氏に死なれてしまい、モネ氏はずーっっと苦悩しつづけました。結果、この日傘をさす女性を再び描くも、顔は描けない……ということを繰り返します。

『戸外の人物習作(左向き)』(1886年)
クロード・モネ - The Yorck Project (2002年) 10.000 Meisterwerke der Malerei (DVD-ROM), distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH. ISBN: 3936122202., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=155851による

それだけじゃなく、「睡蓮」や「積みわら」など、同じモチーフの絵を何度も何度も描くようになりました。こうした連作について、特に睡蓮を描くことについて、山田五郎氏は「妻カミーユの鎮魂のための写経」と表現しています。

ふたりを端的に表現すると……

いかがでしょう?こうしてみるとマネとモネ、名前はそっくりでややこしいし、二人は交友をもつほど時代的にも距離的にも近い存在だったのに、まったく違う印象を受けるのではないでしょうか。そんなふたりについて端的に表現するこうなります。

マネはエロロック、モネは鎮魂ビッグダディ

マネ氏はべつに色っぽい絵をばっかり描いていたわけじゃなくて、むしろそうじゃない作品のほうが断然多いんです。

マネの『死せる闘牛士』
エドゥアール・マネ - National Gallery of Art., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=154463による

ただマネのロックな精神がわかりやすく発露しているのが、上記で紹介した『草上の昼食』と『オランピア』なので、エロとつけてみています。一方モネは、お金がないのにパトロンの人妻が連れきた6人の子供も抱えて暮らすことになりながらも、前の妻への申し訳ない思いをいだき続ける生涯を送っています。しかもけっこう長生き(81歳)。そんわけで「鎮魂ビッグダディ」と名付けてみました。

ジブリもパクった?マネ

そういえば、この日傘をさす女性、どこかでみたことありませんか?

『風立ちぬ』海外版ポスター
画像引用:ヤフオク!

「パクる」ということばには、悪い印象を受けると思うのですが、実際アートは古典なり、尊敬する作品などをベースにして作られることが多々あります。デザインにもあります。ゼロから生み出すものというのは、いろんな意味でほぼ存在しないのではないでしょうか。良い作品を自分なりに解釈してあらたな表現をする、ということが芸術には基本的にある姿勢のひとつだったりします。盗作は良くないが、モチーフにすることは多い。むしろ文脈の延長線上に新たな表現を置いていく、ということのほうが大事だったりします。

ジブリのこのポスターは、モネのカミーユへの思いはその後も生きていくことなども含めて、モチーフにしたのではないでしょうか。

まとめ

わかりやすくするためにマネを「エロロック」としてまとめましたが、そんなくくりじゃ理解できないマネの作品群を興味をもてたらぜひ掘り下げてみてください。エロくないマネを多々目にするはずです(noteでもまた新たに紹介したい)。マネの連作にはどんなものがあるかも、やはり紹介したい。しかし今回は、マネとモネに違いの理解にのみフォーカスしました。いかがでしょうか。マネとモネってどう違うの?と問われたら、まあまあ答えられるのではないでしょうか!

関連記事



参照



よろしければサポートをお願いします。サポート頂いた金額は、書籍購入や研究に利用させていただきます。