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世俗に囚われない仲田しぃの『世説新語』講読~♡ 其の零

※ヘッダー画像:百度百科「世説新語」より

こんにちは~♡
文化系バーチャルYoutuber(準備中)の仲田しぃです♡

いままでついったーでしか活動してなかったけど、デビューに向けて少しずつ活動の幅を広げようと思ってnoteを始めることにしました~♡
お勉強のこととか音楽・ダンスのこととか、色んなお話をしていきたいと思ってるから、応援よろしくね~♡

さて、今回はタイトルの通り世説新語を読んでいこうと思います♡
『世説新語』の詳しい説明はリンク先(更にその中でリンクが貼られているここ)を見てもらえればわかると思うけど、Wikipedia先生は「後漢末から東晋までの著名人の逸話を集めた文言小説集」って書いてるね~🤔
ま~大体3世紀~5世紀にかけての、偉い人のちょっとしたエピソード集みたいなものだと思ってくれればいいよ~♡

『世説新語』は史学的な資料価値もさることながら、上古漢語(秦漢くらいまでの中国語)から中古漢語(隋唐くらいからの中国語)への過渡期の様相を良く伝えているってことで、中国語学の分野でもしばしば参照されてるみたいだから、そういうところにも触れながら読めたらいいな~って思ってます♡
(正直、自分が勉強したことをただアウトプットするだけっていうゴニョゴニョ…🤫)

今回使うのは、中華書局の「新視野中華経典文庫」っていうシリーズに入ってる『世説新語』の巻です♡

こんな感じの活字本で、注釈と訳文が付いてます♡これは便利♡
(でも底本の情報が書いてなくて、凡例らしい凡例も付いてないんだよね~💦 ま~どっちかというと大衆向けに出版された本だからそこまできちんとしてなくてもいいのかもしれないけどね~😓)

元々この本が『世説新語』の一部を抜粋したものとはいっても、最初から最後まで読もうとすると失踪しちゃうから、面白そうなテーマに絞って読んでいこう(『世説新語』は話のジャンルごとに章立てがされているのだ!)と思うんだけど、まず次回からは任誕第二十三の章を読んでいこうと思いま~す♡
これはWikipediaによると「世俗にとらわれぬ人々の話」なんだって!私にぴったりだね~!!

そんなわけで、今回は任誕篇に対する編者の簡単な解説を読んで終わりにしようと思います♡
中国語の読解が間違ってたら教えてほしいから、原文も引用するね♡
あと、原文は繁体字で書かれてるけど、入力の都合で簡体字になっちゃうのは許してね~💦

任誕第二十三 本篇导读(導入)

古往今来,不乏放诞不羁者,而成为一种社会现象的,唯独魏、晋。任诞,正是对传统儒家思想作为社会规范的一种挑战,乃自汉武帝「罢黜百家,独尊儒术」以来的一次大规模的集体抗争。在思想层面,为佛、道融入士大夫思维及生命情调;在生活层面,则为放浪形骸以至于浪漫化的生活形式。思想层面的深邃,佛、道名家辈出,极端的如嵇康、阮籍则直接以文章及行为向儒家思想及其社会结构作出质疑与挑战。然而,随着这一次轰轰烈烈的 理念与实践并行的反抗以失败告终之后,中国社会规范日趋精密,行为日趋仪式化,思维日趋僵化。
今も昔も、自由奔放な人というのは尽きることがないけれども、それが一種の社会現象となっていたのは、魏・晋期だけである。「任誕」とはまさしく、伝統的な儒家思想が社会規範であることに対する一種の挑戦であり、漢の武帝が「百家を退け、儒教の学問だけを尊」んで以来の大規模な集団抗争であった。(魏晉期にこうした現象が起こったのは、)思想面では仏教や道教が士大夫の思想や人生観に溶け込んだため、生活面では閑雲野鶴の気風が生活様式のロマン主義化にまで到達したためである。思想面の深奥では、(こうした「任誕」の潮流の中から)仏教・道教の著名人を排出し、極端な例を挙げると、嵆康阮籍は直接文章や行為によって儒家思想とその社会構造に向かって疑義を発し挑戦した。しかし、この理念と実践を並行させた意気衝天のレジスタンスが失敗に終わっていくにつれ、中国の社会規範は日に日に精密になり、行為は日に日に儀式化され、思想は日に日に凝り固まっていった。

竹林七贤,竟被置于<任诞>第一,既是「贤」而又是「诞」,相当的吊诡。因此中涉及的已非关于七人的行为,而是有关社会风化,以至于思想以及政治抗争。因此谢安雅好嵇康之诗文,却又禁止子弟随便评价七贤,既是尊重,亦是顾忌。
(竹林の七賢は、こともあろうに「任誕」篇の初めに置かれたが、「賢」でありながら「誕」でもあるというのは、中々どうして奇特なことである。よってここで触れるものは最早七賢の行為に関わるものではなく、社会の教化から思想・政治抗争に至る物事と関係するものである。このため謝安は嵆康の詩文を平素より愛好していたが、子弟たちには七賢を好き勝手に評価することを禁じ、敬いながら憚ってもいたようである。)

最为后人津津乐道的,则莫过于魏,晋人物的行为,其中绝不可或缺的便是酒:阮籍母丧而进酒肉(第二,九则),醉卧邻家当垆妇的身旁(第八则);刘伶纵酒戒酒的诙谐滑稽(第六则);阮咸与猪共饮(第十二则);其他如张翰之称身后浮名不如生前一杯酒(第二十则);毕茂世之蟹螯杯酒,拍浮酒池,便足了一生(第二十一则);王忱叹三日不饮酒,形神不相亲(第五十二则);至于救庾冰的小卒,毕生所求,也不过一醉(第三十则)。
後世の人々にとっての一番の語り草こそ、魏晉期の人物の行いであり、中でも欠かすことができないのは酒についての話である。阮籍が母親の喪中に酒肉を口にした話(第二、九項)、酔って隣家の酒売りの女の傍らに倒れた話(第八項)、劉伶が暴飲したり禁酒をしたりする笑い話(第六項)、阮咸が豚と共に酒を飲む話(第十二項)、他には例えば、張翰が死後の虚名を「生前の一杯の酒に及ばない」と言った話(第二十項)、畢卓の「蟹の鋏と盃を持って酒の池を泳いでいれば一生満足だ」と言った話(第二十一項)、王忱が「3日酒を飲まないと、心と体が不調和を来す」と嘆いた話(第五十二項)、果ては庾冰を救った小卒が生涯求めたものは酒を飲んで酔うことに過ぎなかったという話まである(第三十項)。

流风所及,东晋后期,王献之与王徽之乃任诞的中心人物。王徽之雪夜乘船往访戴逵,过门不入,兴尽而返(第四十七则),倾绝千古。
そうした気風が受け継がれ、東晋後期においては、王献之と王徽之が任誕の中心人物だった。王徽之は雪夜に船に乗って戴逵を訪ねた際、門をくぐることなく、満足して帰ったという(第四十七項)。永遠を追い求めたのである(?)。

第二段落と最後の四文字だけちょっと怪しいけど、大体の意味は取れたと思う~💦
中国語読むの久しぶりだからいっぱい辞書引いちゃった~><
ここでいう「世俗に囚われない」っていうのは「儒教的な『礼』に縛られない」っていう意味だと思って良さそうだね~
任誕って今で言うヒッピーみたいなものだと考えていいのかな~?
「自由気ままに振る舞うことによる抵抗運動が失敗に終わると社会がどんどん厳しく制度化されて思想が凝り固まっていった」って、現代社会にも通ずるところがあるような気がするな~🤔

じゃあ今回はこの辺で終わりにして、次回から本文を読んでいくよ~♡
アナーキーなお話が多そうで楽しみだ~!
それじゃあまったね~~👋

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