知るということ

やっっっと咳が治ってきた。
違和感を感じたのが7/21(日)でこれを書いているのが8/10(土)だからもう3週間ほど経とうとしている。
熱が下がったのが早かったわりに、その後の咳が苦しかった。
日中出続けるのもしんどいし、職場でも目立つしうるさいし、マスクをしてても何か撒き散らしているようで肩身が狭かった。
さらに夜、横になっていても出続けるから眠れないし、寝ている間も咳き込んでいるから眠りも浅く回復も遅かったように思う。

我慢の限界を迎え薬局で咳止めを買って飲んでからは咳が抑えられ、良く眠れたせいか目に見えて回復したように感じる。
コロナの再流行で薬局でも咳止めが品薄という噂をXで見ていたせいで、もしかしたら売ってないかもと不安に思ったが、全然豊富に漢方やらシロップやら、いろんな種類が売られていて安心した。

最近大きな地震があったばかりで南海トラフがどうのこうの言い出したり、やれ米不足だ、薬不足だ、株の暴落だのと不安になることばかりだ。

お盆で帰省して同年代や年上の友達と話す機会があったら必ずiDeCoやNISAの話になった。
皆不安を煽られ、どうしたものかと思案していた。
不安に思っている割には私を含め、誰も何も具体的に調べてはいなかった。
似たもの同士、やはり寄り合うのだ。
知らないのが1番怖いし、騙されるし、不安も募るので、東京に帰ったらしっかり調べてみようと思う。

「知らないのが1番怖い」と書いてから、結局陰謀論の言うところの金融破綻やDSや少年少女を誘拐して云々の島のことやなんやかんやを調べる事をしなかったのを思い出した。
あれは知るのが怖いと思ったから。
知った事が事実だとして、どうしたらいいのかわからないと思ったから。
知ったからといって見て見ぬ振りしかできないのなら知らない方が自分の心を守れると思ったから。

道端で瀕死の子猫を見つけたら、助けてあげるべき?助けてからどうする?ウチで飼える?飼えないならどうする?命は助かったとして、後遺症が残ったら?体の不自由な子猫を私は育てられるの?育てられなかったらもらってくれる人はいるの?そうやって生きる事が幸せなの?

見つけてしまったら、その後の命を自分が引き受けることができないなら見捨てるしかないと私は思う。
陰謀論と言われることを調べにいくことは自分から瀕死の子猫を探しに行くようなものだ。
自分の力ではどうしようもない事を知りに行って自分の無力さに、暗澹たる世界に絶望し、生きるのが嫌になるくらいなら知らない方が生きやすい。

目覚めた方々にしてみればなんて無責任で愚かなと思われるだろう。
それでもごめんなさい、知りたくないんです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?