『書く習慣』1ヶ月チャレンジ Day2 今やっている仕事、学んでいること
私は現在訪問看護師を仕事にしている。
病気で入院した時にお世話になるイメージの看護師とやっていることは大きく変わらないが、訪問看護では病院ではなく家で療養出来るようにサポートする仕事である。
「(ピンポーン)こんにちは〜!看護師の椎名です!お身体の調子いかがですか!」
「あぁ椎名さん来てくれたのね。最近ここが痛くて困ってるのよ...お風呂も入れてないし...」
「それは大変ですね、ちょっとお身体見せてください!痛いのはここですか?」
「イテテテテ!!!」
...と言った感じで大体1時間かけて体調のチェックをしたり着替えや入浴のお手伝いをしたり必要に応じて傷の処置や点滴などをする。
そして終わったら電動自転車を漕いで次の訪問先へ、また1時間で次の訪問先へ、といった具合で1日が終わる。
一日中自転車を漕いでいるためかなり体力は消耗するが、そのお陰か毎日ご飯が美味しく感じるのがこの仕事の良い所ではあるかもしれない。
そもそも私が看護師を目指した理由は
「1番自分に向いてなさそうな仕事だから」だった。
時は椎名高校生時代に遡る。
当時何が好きで興味があるのか、進路をどうすべきか見当もつかなかった私は、考えに考えあぐねた結果「苦手なことを克服したら苦手が無くなり最強になれるのでは」という謎の発想に行き着いた。
私はズボラでノロノロしている性格のため周囲に世話を焼かれなんとか毎日生きている人間だ。
人の世話なんて苦手中の苦手分野だ。
しかもズボラな割に神経は繊細だったため通学の電車の中でお腹を壊しては遅刻ばかりしている学生だった。
そんな私と対極にある「人の世話が好きで得意、テキパキと動くことができ精神も肉体も強い」職業と言えば看護師しか思いつかなかったのである。
思い立ったが吉日、担任の教師や両親にそれを伝えると案の定「向いてないから諦めろ」と大反対。しかし反対されればされる程反抗したくなるのが思春期の性である。
周囲の反対を押し切り看護大学に入学、なんとか国家試験も乗り越え私は大学病院の病棟に就職、晴れて看護師になった。
反抗期とは恐ろしいものである。
では何故現在病棟の看護師ではなく訪問看護師をやっているかというと、看護学生時代の実習で出会った患者さんとご家族との出会いからだ。
訪問看護の実習の時である。
自宅でお看取りをしたご家族が「家に連れて帰ってきて看取れて本当に良かった。最後にやっと親孝行できたと思うの。」と明るく、やり切ったといった表情で話していた。
そして「変な話だけど、最期は本当に穏やかでまるで後光が差しているように美しく見えたのよ。いつか私がおばあさんになったら、看護師になった椎名さんが看取って欲しいわ」
この言葉が衝撃だった。
介護は大変でネガティブなイメージばかりだったが、こんなにポジティブな出来事になるなんて。
私は祖父母を学生時代に亡くしているが、皆病院で亡くなっている。
それも苦しい闘病の末だとか、本当は家に帰りたかったけれど介護出来る人がいなかったから最期は一人になってしまったりだとか、決して悔いの残らない看取りではなかった。
その時の話を少しだけここに書いている。
最期は住み慣れた家で家族に囲まれて迎えたい、悔いのない看取りにしたいと思う人を私が支えることが出来るなら私の悔いも晴れるかもしれない。
不純とも取れる動機だが、訪問看護への想いは強くなった。
病棟で経験を積んだらいつか訪問看護師にと思っていたら、(話せば長くなるが)色々なハプニングがあり、縁もあって訪問看護を一緒にやらないかと誘われた。
これが今の私の仕事とその経緯である。
看護師歴はまだまだ、勉強することばかり。
未だに自分は看護師に向いているとは到底思えていない。
色々理想は語っているが、今日も自転車を漕ぎ続け汗でドロドロ、お腹はぐうぐう鳴っている。
それでもいつか「私はやったぞ!」と思えるように。明日も私は自転車を漕ぐ。
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