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教員として母として。子どもたちを「それでも」信じぬくこと。

「そうか。それでもさ。私は、信じるよ」

この言葉が、彼を救ってくれると信じて。
私は伝えていく。


学生たちを「信じる」こと


shiiimoはとある専門学校で教員をしている。
高校卒業してそのまま入学した子や、大学や社会人を経て入学したなど、ここには色んな学生がいる。


専門学校の教員としての目標は
彼らを適した就職先に繋げていくことだろう。

それを叶えるため、我々も試行錯誤しながら精一杯サポートしていく。



そんな中で彼らは時折。

嘘をつく。

それは、ちょっとしたこと。

少し遅刻してきたとき、
「電車が遅延してました」とか。

課題ができていないときに
「体調がわるかったので」とか。

1時間だけ抜けて授業に戻ってきたら
「急に内定先から連絡があって」とか。


言っていることが本当だった。ということも当然ある。
でも、つい「本当なのかな」と思って遅延情報を調べたり
他の学生の証言を引っ張ってきてみたら
「やっぱり嘘だった」ということも多い。



でも。仕方がないのだ。
これが大人になるってことなのかもしれない。


実際。嘘なのかどうなのか、躍起になって調べている時間も必要ない。
それはもはや無駄に等しい。

「嘘はついちゃだめでしょ」だなんて
すでに大人になっている彼らに言っても仕方がない。
彼らはそのリスクをわかってて言っている。

多分。試されている。


そんなとき、私が答えるのはひとこと。

「わかった。信じるよ」

目を見てそう伝える。


あなたのことを信じる。


この言葉の強さを、私は教員になってから理解した。

信じてもらうことはまず、単純にうれしい。

そして「信じてくれている人がいる」ということは
自分の行動に責任を持つことにつながる。

自分は、信じてもらっている人間なのだという意識がうまれる。


「そうなのね。わかった。信じるからね」

その言葉を送った数日後。

またちょっと遅刻をしてくる学生。

「あ、おはよう。ちょっと遅刻じゃんよ」

私がいう。


「ごめんなさい。間に合わなかった」


素直に、ぼそっとささやきながら席につく。
かわいいヤツめ。
そう思う。


「信じる」ことから生まれるもの


最近、懐いてくれる学生がいる。

私が5月から復帰して担任になったクラスの学生。
基本的には、ゼミで指導をしている教員が就職もサポートするのだが、その彼に関してはゼミの教員がすっかりさじを投げてしまったのである。


「あいつはね。ゼミも授業もさぼっているし。言うことはきかないでバイトだなんだってね。やる気がないのですよ。だから就職先の紹介は私からはできないかな、と」


ベテランのゼミ教員の言い分もわかる。
たしかに彼は話を聞く限り、一度叱られたら拒否反応を示してしまって、すっかりゼミにも来なくなったようだ。
単純にピアスや指輪をたくさん身につけていておしゃれなのだが、それもチャラチャラして見えるのかもしれない。


個別に呼び出して、話をした。


「マジでもう嫌。すぐ怒って来るし。話になんない。就活もぶっちゃけめんどくさい。だって、できないっしょ。オレ、マジ面接でいうことなんもない。なんも資格もやってないし」

さっそく話をすれば出てくる出てくる。
まあ、お互い文句もありましょうね。


「いや。大丈夫。余裕でできる。コンビニでアルバイトもしてるんでしょ。あれ、だれにでもできるものじゃない。私は絶対できないよ。でも1年もやってんだね。しかも、学校には来てるじゃない。授業にもなんだかんだ、出てる。はい、もう十分! ぜったい就職できるから大丈夫。これまでも私、いろんな子をサポートしてきたんだから。私を信じてよ」


あなたを信じる。
だから私も信じてほしい。


さっそく何をいってるんだと思うかもしれない。
でも、まずは信じる。
話は、そこからなのだ。


「マジ? マジかあーーーできんのかなあーーー!」


今度は声を転がせて、素直にうれしそうだ。
なんだか、猫みたいな子。
ネコ君、ということにしよう。


そこから、ネコ君と私の面談は回数を重ねた。
履歴書をいっしょに完成させ、それをもってどんどん説明会、面接に進んでもらった。
彼と最初に話をしてから、1ヶ月経っていないくらいだろうか。


あさって、彼は最終面接に向かうことになっている。


「ねえ! 先生! 受かっちゃったんだけど! 次、最終!」


彼の弾む声は、私にも心地よく響いた。
驚きとうれしさを絡ませて彼は私に言いに来てくれた。


「ほらね。だから言ったでしょ。私のおかげでしょ!」

冗談交じりに(でも半分は本当にそう思って←)彼に笑って見せた。

「いやマジでそう! ありがとうございます!」


素直で多くのことを吸収する力がある。
これはもともと、ネコ君に備わっていたもの。
でもおそらく、信じることがなければつぶれていた力。


信じる力をまた、気づかせてくれて。
こちらこそありがとう。
がんばってきてくれよ。


子どもたちを「信じる」こと


教員として学生を「信じる」こと。
それは何年も繰り返してきて感じ取った私の「感覚」ともいえるもの。
もちろん、これが合わないこともある。
私の指導に反感を覚える人もいる。
そこはまあ、仕方ない。
試行錯誤しながら、またトライする日々。
でも信じることは、やめない。諦めない。
これが学生との信頼につながると私は、確信があるから。


これは当然ながら、子育てでも大切にしているマインドだ。

でも、相手が自分の子どもになると。
なかなかどうして……これが実は難しい。


言葉だけなら簡単なのだ。
「大丈夫。ママ、信じてるよ」

本当に心からそう思っている。
普段から口に出して伝えるようにしているし
その心がどうか伝われと願っている。

でも、正直にいえば


そこには大きな大きな、不安もひそんでいる。


不登校の長女が今後学校に行けるのかな、とか。
行けなくても、どこか別の場所で輝けるのかな、とか。
ASD・ADHDの次女はこれからどう成長するのかな、とか。
双子兄はやはり療育に通うことになるのかなあ、とか。
今後の成長次第で他の兄弟にも障害や問題は出てくるかもなあ、とか。


不安は尽きない。
だって、私は親だから。

子どもが心配で仕方がない1人の親だから。
これからずっと一緒に生きる家族だから。
ただただ心配なのだ。
ずっとずっと心配。
いつも、いつも考えている。


でも。
やっぱり私は信じることを諦めないでいよう。


きっと大丈夫。
そう信じることが、私たちの未来を引き寄せてくれる。


「大丈夫。ママは信じてるよ」


いくらでも伝えていくよ。
うそなんかじゃないよ。
絶対、大丈夫。
だってあなたたちには、ママとパパがいるからね。


そう、自分自身にも伝えながら。
子どもたちの隙間で眠り、明日も母として。
そして教員としての私になってみよう。


未来は明るいよshiiimo。
私は、私も信じたい。


そう、私はあなたのことも信じていますよ。
きっと大丈夫!
いっしょにまた、明日からがんばりましょうね。


母の日傘を奪ったって別にいいさ…
私はシミができないと信じる…


男子3人仲良くやってくれよな。
(このあと秒で大喧嘩)


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学生の話は面白さと気づきでいっぱいです
私がじつは賞金首だったことも教えてくれました

悩みながら躓きながら
支えられながら仕事を続けている母です





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