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二宮尊徳資料館を訪れて

一昨日8月4日(木)、栃木県真岡市にある二宮尊徳資料館にSHIHOUファームのメンバーと一緒に訪問しました。

二宮尊徳資料館

二宮尊徳は、私たちSHIHOUファームの名前の由来となった「報徳仕法(尊徳の農村復興政策)」の生みの親であり、日本の資本主義の精神の源流となった人物。(由来についての詳細は下記の記事に書いてみました↓)

昨年のSHIHOUファーム設立以来ずっと、「どこかで行きたいなぁ」と思い続けていたのですが、やっと訪問することができました。

資料館の隣には、二宮尊徳を祀った桜町二宮神社があったので、まず参拝。

桜町二宮神社

二宮尊徳は、当時「桜町」と呼ばれたこの地に1823年(37歳)に訪れ、それから約25年間、この地で報徳仕法を実践し、桜町の復興のために尽力しました。

桜町での仕法は、二宮尊徳の生涯でまさにハイライトと呼ぶにふさわしい時期で、この地での活躍によって尊徳の名は全国に知れ渡ったと言っても過言ではありません。

「万象具徳」ー全てのものに徳が宿っている

桜町での尊徳は、早朝から夜遅くまで、まさに獅子奮迅の働きをしていたといいます。早朝の「廻村(かいそん)」では、村中を歩き回って田畑の様子や人々の生活の様子を入念に見てまわり、復興のための計画と実践のアイデアを練っていたそうです。

尊徳は土木の知識もあったので、この桜町では橋や堤防(堰)の改修などもたくさん行い、人々の生活のインフラを整えたりもしています。

そんな尊徳の活動に不満を持つ反対勢力による再三の妨害に遭い、尊徳は一時期行方不明になるのですが、実はその間、成田山新勝寺で21日間の断食修行を行っており、自らの復興事業成就への誓願を不動明王に捧げています。

「天地神明がこの真心を信(まこと)としないならば死んでも食せず、民を救うことができなければ身を猛火に投ずる覚悟です。」

https://plaza.rakuten.co.jp/jifuku/diary/202109160002/

このように、お寺の照胤和尚に自らの覚悟を語ったといいます。感動ですね。

無事断食修行を終えた尊徳が村に戻ると多くの村人が歓喜して喜んだといいます。(反対勢力の筆頭だった豊田正作は左遷。しかしその後、尊徳の信奉者になります)

報徳仕法の4つの柱

二宮尊徳資料館を訪れ、SHIHOUファームの原点・志を改めて見つめることができました。

来月9月9日(土)には、二宮尊徳の生涯を初めて映画化した『二宮金次郎』の上映会が桜川市の大和ふれあいセンター(シトラス)で行われるそうです。
私もすでに一度この映画を観ているのですが、尊徳の誠実な生き様に本当に感動するのでぜひ多くの人に観てもらいたいです。


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