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トライアルに落ちたので翻訳という仕事について考えてみる

翻訳トライアル、落ちました!

翻訳を仕事にする方法として私が知っている方法は2つ。
1つは、翻訳会社に就職する、または海外展開する部署を持つ会社に就職して「翻訳できます」とアピールすること。もう1つは、「トライアル」といういわば採用試験のようなものを受けてなる方法である。

大抵のトライアルは「翻訳経験3年以上」とか、未経験者がまずクリアできないようなハードルを設けてある、今回、幸運にも「未経験可」しかも私の興味の合うゲームのローカライズ分野に関するトライアル募集があったので、受けてみた。まさかの一次審査通過に飛び上がって喜び、ライティングの納期と闘いながらヒィヒィ言いつつ訳文を仕上げて送った第二次審査、今月になって不合格がきた。

納期の調整も含めてフリーランスの実力、と言われればそれまでなので何もいえないのだが、今回本気で向き合ってみて感じたのは、

「翻訳って難しすぎね?これ本当に近い将来は機械が全部やるの?」

ということだ。今回はトライアルに向き合いながら感じたことをメモ的に書いておく。素人目線のメモなので、あまり参考にはならないかもしれない。ちなみに、これを書いた人のTOEICスコアは800台前半である。

翻訳の難しいところ1:字数制限

翻訳が「英語を日本語(日本語を英語)にするだけ」と思ったら大間違い。クライアントの要望によって訳語には様々な制限がかかる。その一つが字数。

字幕翻訳では1シーン中に表示できる文字数が限られている、というのは有名な話だと思うが、字幕だけではなく、ゲームやソフトウェアの翻訳でも訳語の字数に「〜文字以内」と制限されることがある。

RPGなどでは典型的だが、ゲームでは登場人物のセリフやチュートリアルが一つの表示枠内に収まるように作られていることが多い。原作の文字数を大きく超えるような翻訳だと、画面のレイアウトを損なう恐れがあるのだと思う。

翻訳の難しいところ2:訳語のチョイス

訳文の中に人物が登場するような翻訳は、その人の出身・性別・社会的な階級・身分、周りの人との関係・思想信条などなどを十分考慮した上で翻訳を作らなければならない。セリフを読んだだけで「この人はこういう人なんだな」と読者に分かってもらうためだ。

また、翻訳は読者に合わせて訳語を選ぶ必要もある。幼児向け絵本と大人向けビジネス誌では、同じ出版物でもその中にある言葉の選び方が全く違うのと同じである。読む人の年齢層、知っている語彙のレベルに合わせて「この言葉なら小学生でも知ってるよね」「こんな言葉遣いだと子供っぽすぎるよね」と一人でうんうん悩まなければいけない。

翻訳の難しいところ3:文化的な制約・背景の考慮

繰り返すようだが、翻訳は単に「言語を置き換える」作業ではない。例え日本人には馴染みのある文化であっても海外では拒絶されたり、不可思議なものとして捉えられたりするし、その逆のケースもありうる。(大学で「判官びいき」って何?と留学生に尋ねられて、とっさに答えられなかった。)言語は宗教・生活習慣・地理・歴史その他諸々と深い関係があるのだ。

そういう「一言では表現できない、説明できない」文化的な背景を、読む人の頭にスッと馴染むように翻訳するのも訳者の仕事である。この技術、私はあと100年たっても習得できそうな気がしない。

また、文化には制約もある。よく挙げられるのが「日本のゲーム神様出過ぎ問題」である。日本のゲームには様々な国や地域の神話に登場する神の名前を冠した用語・キャラクター名がワンサカ出てくるし、「神の〇〇」みたいなアイテムの説明も珍しくない。が、宗教に厳しい国だとそうはいかない。時には「たかがゲームキャラの設定で神の名を騙るのは冒涜だ」と言い出す人もいるので、宗教関連の翻訳には相当な注意が必要らしい。ちなみに、初代遊戯王に登場する「神のカード」3枚は軒並み名前が差し替えになっているらしいですわよ。

まとめ

というわけで、1時間クオリティのnoteで語るだけでも、「翻訳」とはめちゃくちゃややこしく、面倒で、「あれかな?これかな?」と一人で悩むことの多い、孤独な仕事だ。

だが、同時に訳語をあれやこれや悩む作業に楽しみを覚えていたのも事実なので、私は翻訳が嫌いなわけではない、むしろ好きなのだとも思う。読者を想定して書くという特徴も、webライティングに通じるものがある気がする。

問題は、クライアント、あるいは「翻訳という仕事」それ自体に好かれるほどのレベルになるまで、私が翻訳に飽きないで努力できるかどうかだ。

機会があればまたトライアルに挑戦してみたいのだが、その機会があればnoteにて、今度こそ良いご報告がしたいものである。

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