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主婦はじめました / 東京だって村だ

専業主婦1日目。
産休に入った瞬間からそうだったんだけど、夫の育休が明けて、子と日中2人きりの生活がようやくはじまって、主婦になったなあって実感する。

今まで出産直後は助産師さん、里帰り中は親と、そして夫が育休の間は夫と育児をシェアしてきて、母としての役割みたいなものをいまいち背負ってこなかった。子の周りでかわいがってる大人のうちの1人って感じで。

でもいざ無力な子と2人きりになって、これからしばらく日中は2人の生活ですよ、ってなると「わたしがしっかりしなくちゃなあ!」って思わせられるよ。

母って「強い」「しっかりしてる」別の生き物みたいなイメージがあったんだけど、今のわたしはまだまだ頼りない。徐々に変わっていくのかな。それとも、娘の立場だった自分が勝手にそう見上げていただけで、母って実は頼りない存在なのか。

権威ある感じの母になるよりは、まっさらな子に思ったこと・感じたことを色々教えてもらいながら、楽しく生活していきたいな、と”すやすや”が似合う子の寝顔を見ながら思う。

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子が連日夕方にギャン泣き。耳の許容音量を大きく超えてくるから、焦るというよりは、なんかひたすらびっくりしちゃう。聞こえてるってば。

何かが不快なのは十分すぎるほどわかるんだけど、どうしたらいいのか分からず模索してるだけで数時間余裕で溶けてく。わたしも生後すぐの記憶ないからさ、「こういうとき辛いよね~」みたいな想像もできないし、ずっと仏頂面でおむつ替えやらなんやら作業して、この日々を積み重ねていくことでしか解放されないのだ..って心が消費されていく。

このままだとどうにかなってしまいそうだから、最近人に会うようにしはじめた。友だちに会ったり、自治体が助成している助産院へのショートステイを使ったり。

痛感したのが、育児において何より大事なのは、人とのつながり。改めて言うことでもないが。

子のことを「かわいいねえ」って言ってくれる第三者がいるだけで、「かわいいよね」って思い直せる。数か月先の子に会うと、たった数か月でベビーからキッズになっとる!って驚いて、今しかないベビー感を大切にしなきゃなって思う。会う人を通して客観的に子を見てようやく、尊さを実感する。

このがに股も今だけらしい

産んだばかりの頃は寝顔見るだけで「生まれてきてくれてありがとう..」って泣けてたのにたった2ヶ月もたたず表情筋がぴくりともしなくなったもんな。

それにしても、知らないじいちゃんばあちゃんに話しかけられる事が本当に増えた。意外と昔ながらの畳の助産院もあるし、「東京だって村だ」説を提唱しようかなって最近思う。

信号待ちやら蕎麦屋の会計待ちやら、隙あらば知らない人が馴れ馴れしく(語弊)「何ヶ月?あなた幸せね。わたしの頃は〜」って話しかけてくるってなんかもう古き良き時代の村やん。車で(正しくは都バスで)15分走れば「あら〇〇さん!」って定食出してくれて「お母さんはゆっくり休んで。なんか困ってることない?」って気遣ってくれる助産師さんたちがいて。今週末は住んでいる地域をどうもっとよくできるかを議論する自治体のワークショップに出ることになった。これ、23区。

地域コミュニティがある田舎暮らしに憧れる、東京育ちのやせ我慢も多少あるけど、子育てをはじめてから、まちの人情を感じることが増えた。1人でせかせか歩いてたら見えなかったけど、都心の人だって本当はやさしいのよね。

都心でも地域で育てる、をやってみよう。しばらく東京から離れるのは難しそうだし。"かわいいは作れる"ばりに、どこに住んでたって、したい暮らしは作れる。たぶん。


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