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渡米後最高の、そして人生最高の一年振り返り!

2021年もあっという間に終わりですね!
せっかくなので、一年を振り返ってみたいと思います。

とにかく人生で一番、ソロ活動・制作に忙しかった一年。

ソロアーティスト「しほり」として、こんなに作品をリリースしたことはなかったです。11月頃から楽曲制作を開始し、2月から8月まで、本当に1日も休みがないのでは、というほど過酷な毎日が続きました。

4月、シングル「Invisible」発売。
5月、「Invisible」MV公開。
    シングル「FIRE」発売。
6月、「FIRE」MV公開。
10月、フルアルバム「MUTATION」発売。
11月、「Your Song」MV公開。
(12月今頃には「Under the Skin」のMV公開予定でしたが、大幅に遅延中でいまだに完成を待っております。涙)

レコーディングに、ダンスの練習、撮影、そしてインタビューなどプロモーションにも奔走し、アメリカやカナダの有力メディア媒体にも複数、取り上げていただくことができました。
我ながら、よく全部をセルフプロデュースでやりきった!と、今は褒めてあげたいです!(笑)


コンテンポラリーダンスに初挑戦したMVが映画祭で賞を受賞!


「Invisible」のMVでは、生まれて初めて憧れだったコンテンポラリーダンスに挑戦できたので嬉しかったですし、ストーリーがあるので、ずっとやりたかった演技の要素もふんだんに盛り込みました。
(7歳から「歌手と女優」が夢でした。)
振り付けと相手役ダンサーに、あのハリウッド映画「グレーテストショーマン」で唯一の日本人として出演していたYusaku Komoriさん。
ダンスのみならず素晴らしい迫真の演技を見せてくれました!

アメリカで高級車CMなどや、ジェームズブラウンのMVも手がけた「Clint Mourino」がディレクター、美しいダンス映像を撮るのに定評のあるシネマトグラファー「Kevin Cho」が撮影。本当に綺麗です。涙


お知らせするのを忘れていたんですけど(忘れるな!)
実はこのMV、今月、「Euro Video Song Award」というヨーロッパの映画祭にて、「BEST ASIAN MUSIC VIDEO特別賞」を受賞致しましたっ!!涙

「EURO VIDEO SONG AWARD」からいただいたデジタル賞状。

人生最大バジェットのMV「FIRE」

そしていくつもの制作が同時進行しながら、私史上最大バジェット・規模・スタッフ人数を雇ってのMV「FIRE」も公開。
実は「Invisible」と「FIRE」両方の監督予定だった人が、「Invisible」撮影直前にドタキャンしてしまい、絶望的かと思われましたが、全て1からやり直し、自分でシナリオや絵コンテも描いて、スタッフの支えあって乗り切ることができて本当に泣きそうなくらい嬉しかったです。

ディレクター、撮影など「Invisible」のスタッフもほぼ一緒プラス、さらに多くのスタッフが力を貸してくれました。

こちらもまた全然違うテイストのダンスがあったり、グラフィックをインダストリアルなスタジオのバックに写して同期するなど、ビジュアル的にもかなり攻めていて、見応えのある作品になったのではないかと思っています。

シングルジャケットでは炎の女戦士になりましたしね!
子供の頃から正義のヒーローに憧れていたので、これも夢が叶ったようで嬉しかったです。

楽曲的にもこんなにゴリゴリのEDMロックというのは、人生でも作ったことがないタイプで、取り組んでいても非常に楽しい楽曲でした。

今年は、こういった特殊なビジュアルを形にするためにも、Instagramを通じて才能あるクリエイターを多数発掘しました。

「やりたいことがあってもいいチームがない」と長く悩んでいたのですが、そんなの自分で見つけてお願いすればよかったんだなぁ、と気づかされました。とにかく探して、素敵!!!と一目惚れしたらDMを送ればいい。

みんな企画を説明したら、「面白い!やりたい!」と快くOKしてくれた。
簡単すぎた。
行動すればいいだけだった。

でも、私にとってはすごく大きな発見だったのです。

渡米後最初のゴールだった、フルアルバム「MUTATION」

とにかく最初から、ここまでがはっきり見えていたゴールでした。
なんの足場もなく暗闇を手探りで模索した渡米直後から、調査し、足場を築いて、1stフルアルバムを出すまでが。

一昨年から去年の途中までが、人生最低のどん底で、「もう音楽家としては二度と復帰できないかもしれない」と覚悟するほどに全ての自信を失っていた時期を経て、無事にここまでたどり着けたのは、私にとっては本当に奇跡のような嬉しい出来事でした。

とはいえ、アルバム制作は本当に常に死ぬんじゃないかというほどのストレスとの戦いでした。
それはもう・・・お馴染みのアメリカ文化のルーズさだったり、コミュニケーションの取りにくさだったり。
平均的にできる人が多い日本と違って、アメリカではできる人とできない人の差が異常に大きい。

そもそも人脈のない外国人にしてみると、逐一の出会いがオンラインでの依頼だろうと友達からの依頼だろうとひと時も油断できることはない。(泣笑)
そういった類のジャングルなトラブルに度々キレ散らかしつつ(泣かされることはなくなったのが成長を感じます!)発売日が度々延期しつつも、10月1日にやっと発売することができました!!渡米後最初の集大成です!!

アルバムジャケのビジュアルもだいぶ攻めてます。

モデルプレス:水樹奈々、ももクロらに曲提供のアーティスト・しほり、渡米後初のアルバムリリースで見せた「変異」

私のアメリカでの人生、半分はコロナパンデミックなんですよね。汗
良きも悪きも様々影響を受け、そこから作品たちが生まれてゆきました。
大半がコロナ禍チルドレンです!
だからこそわざと「MUTATION(変異)」と名付けた今作アルバムは、私もまだまだどんどん別の生き物レベルで変異していく途中です、ということを表現しています。
ジャケ写は、顔の右と左とで違う生き物のように見えるメイクをしています。

容姿コンプレックスの解消

Invisible ジャケット。MUTATIONでも依頼した天才メイクアップアーティストの
ヴァージニア・ヴェラも、Instagramで見つけてスカウトしました。

こんなにもビジュアル面にこだわった一年は、人生で一度もなかったです。
今までは、ずっと容姿コンプレックスで、内心アイドルや歌手や女優などに長年憧れながらも、「かわいそうなくらいブサイク」「何を着ても似合わない」などとけなされて育った私は自分の容姿が商品になるようなものではないことに、傷つき、拗ねつつ、中途半端に憧れを引きずっていたと思います。

でも、今年のリリースを通じて大きく一皮向けたように思いました。
自分は一般的に「かわいい」とか「綺麗」とか言われる容姿じゃないけど、「クールビューティ」とか「アーティスティック」という方向だったら自信を持って表現できるな、って思ったんですね。
(昔から「スーパーモデル系の美人だよね/日本うけの美人じゃないけど」とかよく言われてました。汗。褒められてるのかけなされてるのか。)

自分の顔をバーンと「綺麗に」出すのには自信が持てなくても、自分の顔をキャンバスにしてメッセージを表現したらいいのでは?
と考えたら不思議とワクワクしました。自分がキャンバスだと思えば、人の目を気にせずに堂々と写真にも写ることができました。

これは本当に嬉しい変化でした。
人生の長年の苦しみがまた一つ解消されて、自分のことがもっと好きになれたのです。

(ただ、プロフィール資料をどこかに送るときに、普通の人間に見えないような奇抜な写真ばかりになっちゃったので、笑えることはありました。)

ピンク頭、ファッションに覚醒!?

長年髪を傷めたくないので、ほとんど黒髪かせいぜいダークブラウンで過ごしてきた私ですが、一昨年完全に自分を見失い、自分の好きなものを探すところからやり直し、去年自分を再発見、再構築する流れ(「FIRE」はまさに一回朽ち果ててから不死鳥のように灰より蘇る、という曲です。)の中で「ヘアメイク・ファッション」は自分の好きを探るのに最適だった。

容姿コンプレックスとともに、長年ファッションセンスもゼロで、散々周囲に残念だよね・・・と言われてきた苦手分野です。

が、世間体のためではなく、自分を喜ばすために、本当に好きなものって何かを探し出して、一個ずつ買い揃えていった。

その中で、なぜかどうしてもピンクの髪に挑戦してみたくて、めちゃくちゃ勇気を出しました。渡米するより勇気がいりましたよ!笑

メイクと相まってK-POP方面ではなく宝塚風になってしまいましたが。

一昨年の完全に自信を失った私は、オーラもゼロだったし、服もそこらへんのやっすい適当着って感じで、「誰!?」状態でした。汗

でも、様々な攻めたヘアメイクに挑戦するうち、選ぶ服が全然変わっていって、この8月くらいからは外を出歩けば必ず誰かに「その靴好き!髪が素敵!」「あなたの服の全部が大好き!」と声をかけられるようになりました。

しほりちゃんといえばおしゃれな人、と言ってくれる人もいてくれるなんて、子供時代や20代の頃の周囲にダサい、残念とディスられてばかりだった私にきかせてあげたいですよっ!!!涙

長年おしゃれのことがなかなかわからなくて不安だったんだけど、本当に好きなものをただ好きに着ればよかったんだな、ってシンプルなことがわかって驚いています。

アーティストとしてのコンプレックス解消

日本では長年、「アーティストとしては何も成し遂げられていない」というコンプレックス・後ろめたさに苦しんでいました。

「才能があるんだからまずは作家として成果を出すべき」
そんな先輩方の言葉に、悔し涙を飲んで作家業にシフトし、いったんアーティスト業はしばらく休養して成果をガシガシ出していった。

作家業は本当に適職(ライスワーク)で、自分にとっては簡単で楽しくて幸せなのにこんなにお金もいただけていいんですか?というほど最高のお仕事。楽しすぎて休日なんていらない!旅行に行くくらいなら作家の仕事がやりたいと本気で思っていたほど。

しかし、たくさんのファンの方が喜んでくださる至福、充実感や増えていくキャリアとは裏腹に、「でも、アーティストさんの才能や人気のおかげであって、私の力じゃないからな。」と、情報を宣伝したり、私のことも応援してくださる方が増えていくごとに後ろめたさも感じていました。

アーティストとしての成果が何もないし、実際何もしてないから、3年、5年、7年と作家のキャリアが積み上がるごとに、その空虚感も大きくなっていってしまった。自分から「作家のしほりです。」と普通に名乗っていたし、渡米して活動を再開した時にも、「作家で、シンガーソングライターのしほりです」と名乗っていて、自身のソロの経歴はほとんど書かず、作家の経歴ばかりをメインに並べていた。

私にとって誇れるのは作家のお仕事くらいだ、と思っていた。
そのことに、本当に最近になるまで気づかなかったくらいだった。

でも、ほんの最近になって、私が当たり前に「アーティストのしほりです」と名乗っていることに気づいて、衝撃を受けました。

今年、これだけ「アーティストしほり」として貪欲に創作活動に取り組んだことで、あんなに苦しんでいたコンプレックスからいつの間にか解放されていたようだ。

作家業でガンガン成果を出していた頃の、TwitterでバズったJASRAC関係のニュースでは確か「作家のしほり氏、JASRACに不満か」という見出しだったと思うんですけど(笑)
今年、アイドルグループに楽曲が無断使用された件でニュースになった際の見出しでは「シンガー・ソングライターしほり」と書かれています。

これは、私自身の認識が変化したことによって無意識に名乗り方が変わったことで、世間からの見え方も自然と変わっているのかなと思いました。

実は、長年メジャーの業界でなまじお仕事してきたからか、アーティストとして成功するためにはきちんとしたチームやマネジメント事務所やレーベルのサポートがないといけない、と、私自身が思い込みすぎていたのです。
(いや、あるに越したことはないですが。)

私の魅力が認められないからいつになってもそんな状況が訪れない。
だから、やりたいような活動もやることは許されない、となぜか思い込みすぎていたのです。(今思えばナンセンスなんだけど。)

選ばれるのを待ってるんじゃない。
誰かにならせてもらうんじゃない。
そしてアーティストに「なる」んでもない。

ただ、アーティストで「あれ」ば良かった・・・・!!!!

アーティストとして生きれば良かった。アーティストって、「職業」じゃない。「生き物」だから。
やりたいことは、自分で企画して、お金を払って素敵と思う人たちを雇って、場所を押さえたり。
なんだ、それで良かったんだ。

なぜそんなシンプルなことに今まで気づかず一人で拗ねてたんだろう?

作家業には、それこそ人生全部をかけるくらいの凄まじいエネルギーと、起きてるうちの時間ほぼ全てを費やしていた。
だから、それ相応の成果が出てある意味当然だったと思う。

そんな風に時間もエネルギーも情熱も長年注げていなかったソロアーティストとしての活動に、2021年は全ての時間とエネルギーと情熱を注ぎきった。半年間1日も休まない程度には全力で。

その成果が作家業のように出たかというと、まだほんの1年のことだし全くといっていいほど出ていないかもしれませんが、それでも私は今年やり遂げたことに対して本当に喜び、感動しています。
悔しい点もいろいろあって、100%の満足では全然ないけど、後悔なくやれることを全部やれたと思っている。

そして何より、長年失っていた「アーティストしほり」としての自信を取り戻すことができたのが、ここにきて最大の収穫だったのではないだろうか。

NYからLAへの引越し

最後に、これまた渡米後最大の転機もありました!
誕生日翌日9/5に、LA へ引越ししました。

なんでまた!?と驚かれ ますが、そもそも渡米前からざっくりと
「最初3、4年NYに、そしてそのあとLAに住みたい。」と考えていたので、3.5年でLAに引っ越すことになったのはちょうど見積もりどおりだったと言えます。

怒涛のアルバム制作佳境の中LA弾丸家探しのたびに行き、またNYとは全く違う文化に衝撃を受けながら今の新居を決め、アメリカ大陸の東海岸から西海岸への引越しはこれまた人生で味わったことのない規模の引越しで、荷物が届くのに1ヶ月半もかかった上、引越し業者から人種差別を含む嫌がらせに遭ったり・・・本当に大変な経験でしたが、

今は美しい夕焼けの見える明るい部屋でのんびり。
そしてNYではなかなか出会うことができなかった、たくさんの米アニメ・ゲーム音楽業界の仲間との交流や、才能豊かなアコースティック弾き語り系アーティストたちとの新しい出会いも楽しんでいます。

NYの最後の家は特に光がほぼ全く入らず換気扇すらない部屋だったので、だいぶ心身の健康面でもやられていましたが、LAではこんな明るいお部屋で空もよく見えます。
毎日のようにこんな美しい夕焼けが。日々全く違う表情を見せてくれるので飽きることがありません。もうすぐ私の友人アーティストが同じアパートに引っ越してくることになったので、ますます楽しみです!


総じてまとめ。

私にとっての2021年は、2018年の渡米以来、最もパワフルで活動的な1年だっただけでなく、長い人生全体で見てもアーティストとして最も精力的に活動ができた、忘れられない1年でした。

人生を通じてずっと苦しんでいたコンプレックスやトラウマが、精力的な活動をする中で自然と解消されて、今の私は未だかつてないくらいに「等身大の自分らしい」自信とパワフルさに満ち溢れています。

これも味わったことがない感覚です。

作家としてガシガシ頑張ってた時も異常にパワフルだったけど、あの頃の頑張りっぷりは非常に不健康で、過度に頑張りすぎていたし、等身大じゃなくて自分をもっともっと大きく見せなきゃ!と常に無理していたと思う。
キャリアが伸びるほどに幸せ度が減り、孤独に病んでいた。

あの頃までの核爆発のような「ギラギラさ」というのがすっかり消えて無くなったと思う。今はもっと本来の「太陽」な感じ。

これまでのように、「有名になってもっともっと成功したい!」みたいな如何しようもない渇望みたいなものがすっかりなくなって、もっと気楽に人生を楽しみ、好きなことを実現していったり、地球を冒険していったり、あるいはまだ再婚の予定はないですけど(笑)そのうち家庭の普通の幸せみたいなものも楽しんでみたいなぁなんてうっすら思っています。

非常に実り多き素晴らしい一年でした。

新しく出会えた方もたくさんいて、本当に幸せを毎日感じています。
アーティストしほりとしてはまだまだひよっこですが、2022年もワクワクする方向へ邁進していきたいと思っておりますので、公開アメリカンドリームの新章をぜひ一緒に冒険してゆきましょう!

今年もありがとうございました!

しほり


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