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気になる奄美のあれにこれ

奄美大島に移住して早くも1年半が過ぎました。
ほんと早い。
26歳の時に引っ越して来たのに、今月でもう28歳になります。

立神(たちがみ)、ユタ神さま、ネリヤカナヤ(ニライカナイ)、神道(かみみち)、ケンムン...
海や森といった奄美大島の自然が好きなのはもちろんですが、わたしがそれ以上に気になっているのは奄美の文化。

ルーツが琉球にある奄美の文化は、内地のものとはけっこう違っている。
紹介したい文化はたくさんあるけど、中でもわたしが気になるのは、奄美の神様や信仰関連の文化。
奄美独自の神様がたくさんいて、島や集落、人を守ってくれている。

その神様たちと島の人との距離感が、なんというか、めちゃくちゃ近い。
あー神様ね。そこにいるけど。みたいな。
こっちからすると、え?そこにいるってなっ…どういうこと?となる。
そして、ほんまや…そこにいた…となる。

島のごく日常の生活の中に、普通に神様がいる。
別に手を合わせて拝んだり、どっかに参拝したり、おお神よアリガトウみたいなことはあんまりしない。
けど、そこにいてくれるのを島の人は知っている。
普通にいる。それ以上でも以下でもないですがそれが何か?
神の島・奄美大島はそんな感じである。

かく言うわたしは、別に霊感が強いほうではない。
大阪にいた時は、霊感とかそういうのはうちの家系には皆無だよね、とおじいちゃんの葬式で盛り上がった記憶すらある。

だけど不思議なことに、奄美で暮していると、ふと、お?なんだ?と思うことがある。
感じる、とか書くと、コイツやばさに磨きがかかったな、と思われるかもしれないけど、ふと急に目につくというか、あら今日はなんだか…目が離せないわ、みたいな感覚になる時がある。

目が離せないもののひとつが立神(たちがみ)。
立神は、島から少し離れた海の中にデンッとそびえる、けっこう立派な岩というかもはや小島というか、なんかそういうもののこと。
奄美大島以外の鹿児島の離島にも必ずあるそうで、漁師さんが広い海で目印にしたり、安全祈願や信仰の対象になってきたらしい。

海に近い集落の人からすると立神は常識というか、小さい頃は登って遊んだとかいう話も聞く。
ただ、奄美の人がみんな立神のことを知っているわけじゃないみたいで、近くに海がない集落の人に話しても、「た、たち…なんて?ごめんなさい専門用語は分からなくて。それ何ですか?」とか言われる。
わたしも立神が何かなんて知らないよ。こっちが教えてほしいよ。

とにかく、海沿いの道をドライブしてると、立神が見えることがある。
よくドライブする道があって、その道からは建物の隙間から立神がチラッと見える。
ある程度運転に集中してるから、普段は立神が見えることすら意識になくて普通に通り過ぎるんだけど、時々ふと、視線を感じるというか、何?と思う時がある。
それで視線を辿ってみると、海にそびえる立神が目に入る。

あ…

建物に遮られてすぐ見えなくなってしまうんだけど、立神だったな…っていう、不思議な感覚がジーンと胸やお腹に残る。

そういう話を人にしたところ、その立神は地名を取って節田(せった)の立神と呼ばれているそうで、節田の立神はそこそこ力が強いということを教えてもらった。
なるほど、立神にも力が弱いとか強いとかあるのか…。
よく分からんけど。
そして立神の周りはサンゴがたくさんで綺麗だという話も聞くことができた。
それはなんだか楽しそうだぞ。

ということで、この8月は奄美の立神をゆるく巡ってみようと思いたった。
どこに行ってもコロナで観光客は肩身が狭い思いをする今年、過ごし方に困ってたけど、今いる場所のことをもう少し知れたら楽しいかな。

さっそく立神の場所を調べてみよう!と思って龍郷の図書館に来たら、立神の本なんてないと言われ、えっ蔵書少ないですねと勝手に口が動く。
こらっもうちょっとこらえるとか我慢するとかしなさい、わたし。

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