プリ5三話 夢を与える者は夢を見てはいけない?のぞみの神アンサーで噴死するアラサー
第三話 最高でしたねー。
春日野うるるがプリキュアになる回。彼女は芸能人です。将来は舞台で活躍したい。学校には居場所がない。友達がいない。夢のためにしょうがない。それでいい。しかし夢原のぞみに「プリキュアってなんですか?」と話しかけてしまう。
要するに、第三話は夢を持っている人の孤独が描かれます。
夏目漱石は、現代人は孤独と隣り合わせだと考えていました。現代では、最も大切なのは自分です。自意識や自我という城が強固であればあるほど、他人を信じ、受け入れ、自分を相手に投げ出すことが出来なくなります。
漱石は「何かしようと思えば大概は一人坊っちになるものです」と書きます。また同時に孤独に耐えられる人間はいない事を『こころ』で後追い自殺をした「私」によって描きました。
春日野うららは夢に突き進んでいます。仕事をしています。大人の世界で戦っています。同級生とは見えている世界がまるで違います。周りと馴染むことができません。学校に参加できる時間が少ないのです。言い方を代えると、小さい頃から夢を持ってしまうと「現在を失う」のです。
人生のシビアさが彼女を通して描かれています。
今はセリフもあまりないような端役だけれど、いつかきっと舞台で皆を感動させたい。だから学校で独りでもヘッチャラなんです。それを聞いた夢原は笑顔で言います。
「一人じゃないよ。だって私たち、もう友だちじゃない?」
こんな最高の口説き文句ありますか。彼女に水素水の営業にいかせたなら、全てのマンションのドアが開きそうです。これから私と契約しませんか?ではありません。こんなに私たち話してるじゃないですか?なら私とあなたはもう契約済んじゃってるんですよ。
インキュベーターが言えば悪魔ですが、夢原のぞみなら愛の救済です。
そうそう。ゾッとするほど怖い演出がありました。
ひとり逃げるよう言われた春日野。走っていると画面がドスンドスン揺れます。春日野が離れる時点でキュアドリームとキュアルージュは敵にボコボコでした。という事は応戦しているとは考えにくい。建物全体が揺れるほどの攻撃で二人がさらにズタズタにやられている事を示します。
戦っている姿を映しません。あえて見せない事で「建物こんなに揺れる?!おいおい…マジか…」と見ている人の脳をつかって
惨状を想像させます。
視聴者を酷く不安にさせるんです。
トビラが開きます。戦いの場に戻ってきてしまう春日野。
劇場に声が響きます。
「のぞみさんやみんなを…みんなを放してーーーー!!!!!」
黄色の蝶が登場します。メタモルフォーゼ。
はじける戦士・キュアレモネードです。
綿矢りさの小説『夢を与える』にはこうあります。「夢を与える者は夢を見てはいけない」
例えばディズニーランドです。キャストは真夏だろうと苦しい顔をしてはいけません。それを見た相手は夢から覚めてしまうからです。
春日野うららは未来の夢のために生きてます。そして「現在」を失います。それはしょうがない。本当にそうでしょうか。
夢原のぞみが春日野うららに与えるのは「現在」でした。現在を生きている。そんな人間か夢原のぞみです。
夢を見るのは 孤独です。夢は一人で見るものだからです。
ただ夢を一緒に見てくれる人がいれば話は別です。孤独ではありません。夢原のぞみは他人の夢を見る力があります。
彼女は学校のスター夏木りんの隣にいました。そこで自分の後ろめたさを見つめ続けました。自分は夢のない時間を送っています。だから夢原のぞみは他人の持ってる夢に敏感です。言い換えると、彼女は他人の夢を発見することができます。
春日野うららは夢と裏返しに孤独があります。それもまた夢原のぞみは夢と同様に発見できます。「舞台で活躍したい」夢を語りながら一瞬暗い表情をする春日野うららを見つけます。だから「私たちいっぱい話したから絶対友達だよ」と言えるのです。
夢原のぞみは他人の夢を一緒に見ることができます。そしてまた孤独を発見できる人でもあります。
シナリオも作画もとにかく気合いが入っていた第三話でした!
プリキュア見たことない方もこの話は気に入ります。
ちなみにこんな凝ったレイアウトもしてました。
あるがとうございました。プリキュア5第三話でした。
ヨロシク!
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