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シンエヴァの「アスカ好きだ」の本当の意味に気づいてしまった件

レイは好きが分からない。アスカは好きが欲しい。シンジは好きが怖い。そんな思春期の男女が集まれば地獄になるのは明らかだ。

TVシリーズ/旧劇エヴァでは地獄絵図で物語は終了した。


約25年後シン・エヴァンゲリオンの最大のハイライトは地獄にケリヲつけた。終盤にシンジはアスカに向かって「君が好きだった」と告白する。

私が観に行った劇場ではここですすり泣く声が聞こえた。マネして私も泣いてみた。ポップコーンが鼻に詰まってむせただけだった。

約25年の歳月で見えてくる「アスカ好きだったよ」の本当の意味について1分でお話しする。

そもそもTVシリーズ/旧劇 で「好きという感情をどう処理するか」が重要なテーマだった。そのやっかいな感情のせいでシンジは悩み、ゲンドウはユイを好きすぎて人類補完を望んだのだから。

しかしそのテーマの答えは遠く天界へ棚上げされた。

そもそも旧シリーズではどのように棚上げされたか。

1997年7月『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』は全国東映・東急系で公開された。

内容をかんたんに言ってしまえば、争いのない世界を望んだ碇シンジによって全ての人間は1つに融合した。意識だけが存在する世界でシンジは自問自答を繰り返す。以前の世界だって大切なものはあったと気がつく。僕は消えたかったけど僕は僕のままいても良いんだ。そしてサードインパクトは中断される。

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平たくいってしまえば、他人が怖かったシンジが他人と関わるのもすてたもんじゃねーなァ!と気づくまでの物語である。

サードインパクト中断の際に、シンジは魂になった母親ユイに別れを告げる。それは学校が嫌になった少年が実家に引きこもり、成長を得てふたたび外へ出るようなものだ。そこに1人の少年の成長ドラマがあった。

ところが旧劇エヴァのラスト3分でそれは裏切られる。

サードインパクト中断後の海岸でシンジとアスカが寝そべっている。シンジはアスカにかすかに恋心抱いていた。

アスカをラストに唐突出してくる意味とは明らか。ここでやるべきことは1つしかない。彼女にむかって「アスカ好きだ」と告白するハズだった。


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ところがシンジは馬乗りになってアスカを殺害する。

キズつきながら生きていこう!と核心を得たにも関わらずシンジは、相手を目の前にするとキズ付きたくない!怖くなってしまった。好きだと言いたい。言ってしまえば反応が恐ろしい。いい結果になるはずがない。なら先に口をふさいでしまえばいい。アスカを好きなまま僕はキズつかないで済む。

だから首を絞める。


するとアスカは「………キモチワルイ」と一言。

ここで旧劇場版エヴァはエンドロール。


アスカに「好き」たった一言を言うために敷かれた展開。そして最後に2人きりになるシュチュエーション。それを用意しておきながら、シンジは最後に「好き」を言えなかった。

むしろ怖さのあまりにアスカを殺害しようとする。

この展開こそ作品エヴァンゲリオンを象徴する。主人公が成長したんだか、成長していないんだかわからない。最後のエヴァンゲリオンなんだからここだけは成長したフリでもいいから、観てる我々にカタルシスを下さいよ。といった感じなのだが、オタクの望みは叶えられない。

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言うべきことは分かっててもいざ相手を目の前にしたら本当に言えますかねえ?という問い。庵野秀明は物語の最後に「ウソ」を許さなかった。というより庵野秀明が他者を目の前にして「好きだ」を口にできることにウソに感じてしまった。

これは興味深い話だ。
「好きな気持ち」の着地どころを失ったとき人は暴力に走る。

これは冗談でもない。そうやって大事件となったのはオウム真理教である。彼ら彼女らはこの世界を愛したいと思った。マスメディアにも政界にも進出した。良くなる伝える努力をした。ところが皆はわかってくれない。

ならばいっそ、毒ガスをまいてしまえ、である。


旧劇エヴァで宿題が残された。
人に「好き」という感情を持ってしまったばかりに内向的な人間がありえる選択肢は2つ。相手に関わらず引きこもるか、暴力か。どちらも地獄である。

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好きと言ったときの反応が怖いから引きこもり、でなければ首を絞めてしまう。その解決方法は旧劇エヴァを最後に棚上げされたままだった。


今回シン・エヴァンゲリオンは棚上げした宿題にケリをつける。「好き」の気持ちを暴力に向かわせない方向。

それは、見返りの求めない好きだった。

そもそも好きという気持ちが、自分の思った通りに相手から返ってこなかったときに、人は心がキズついたと感じる。自分がこれくらい思っているのだから相手からもこれくらいの気持ちが返ってきて欲しい。これがエヴァンゲリオンの作品シリーズを通じて碇シンジの心である。

シンエヴァの終盤でカオルはシンジの事を幸せにしたかったと言う。対してシンジの返答「カオルくん、それは君の幸せだろ?」とノータイムで有吉弘行が言いそうなことを放つ。(シンジに論破されるカオルの動揺はぜひ劇場で)

シンエヴァのシンジは相手からの見返りを考えていなかった。だからこそ終盤アスカに「好きだった」と伝えることができた。アスカの返事も望んでいない。仮に旧アスカのように攻め立てられても微笑みながら「そうだね」と言うだけだろう。

TVシリーズ 第参話「鳴らない、電話」にてリツコから「ヤマアラシのジレンマって知ってる?」と語られる。

「ヤマアラシの場合、相手に自分の温もりを伝えたいと思っても、身を寄せれば寄せるほど体中のトゲでお互いをキズつけてしまう。人間にも同じことが言えるわ。今のシンジ君は、心のどこかでその痛みに脅えて、臆病になっているんでしょうね」(リツコ)

エヴァンゲリオンの作中を通して描かれてきたキャラクターの苦悩。ヤマアラシのジレンマで起こる悲劇がエヴァンゲリオンである。



その回答をしたのが今回のシンエヴァだった。

人を好きなる気持ちは同時に相手をコントロールしたいという欲望をもつ。キズつく原因がそれならいっそ…、と苦悩していたシンジ。旧エヴァ公開から約25年の歳月を重ねてシンジは「見返りを求めない好き」を発見する。彼はもう誰からもコントロールされないし、誰のこともコントロールしない。


「好き」というやっかいな感情。その呪縛の中に隠れているたった1つの可能性。相手を好きな気持ちは縛るためではなく相手を開放させるためにこそあった。

アスカがもし立てなくなりそうな時、シンジから受けた「好き」を支えにつかって立ち上がればいい。「好き」という気持ちは無駄なものでも怖いものでもない。自分の好きはちゃんと相手の中で生きてくれる。

好きという感情をどう処理するか。ただ「好きだ」と伝える。それだけでよかった。それが私たちのとるべき本当の選択だった。


さようなら、すべてのエヴァンゲリオン

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