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「Sustainability」の恋人を求めて

「サステイナブルという言葉が実はあまりしっくりきていません」と方々ではっきりと言葉にするようになって数ヶ月経つ。

サステイナブル、サステナブル、サスティナブル、今日本でこの3つほどのカタカナで展開されている言葉は、sustainable、その語源は「sustain(維持する)」と「ability(可能にする能力)」だ。

この言葉に対する違和感を明瞭に抱いたのは、仕事で石垣島に行かせていただいた2019年晩夏のことだ。そこで、これからの地球そして生命体について一流の研究者のみなさんに教えをこい、そして対話を進めるなかで、ふと、私の中に「そもそも、当たり前に使っているsustainableってなんだろう。私たちは何を維持したいのだろう。」という問いが生まれた。それはシコリのように残り続け、しばらく経ってから、一つの結論に達した。さまざまな背景と理由があるが、まとめるとこの一言に尽きる。

生命も地球も全て変化し続けているこの世の理において、’維持し続ける’、というあり方はそもそもそぐわない。

この世のものは、全てもれなく変化している。その変化が、どの時間軸でとるか、どの空間軸でとるかによって、その変化率は’ほぼ同じ’に見えることもあるかもしれないが、しかし変わらないように見えても、少しずつ着実に変化している。

短期間だったら、維持し続ける、もいいのかもしれない。筋トレのように、空を飛ぶ飛行機のように、一瞬の瞬発的なエネルギーをキープするような感覚には向いているかもしれない。

けれど、社会や生き方をはじめとする有機的なシステムにはこの発想はそぐわないのではないか、正確にいうと‘そんなことできない’という体感を皆わかっているのではないか(言葉だけが先走って身を伴わないだけでなくますます乖離が進むのではないか)、と思う。なぜなら、常に私たちは細胞レベルで日々生まれ変わっている。

そしてさらにたどり着いた先にあった一つと答えが以下であった。

Sustainableとは、直線的かつ一時的なエネルギー状態だ。

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・多摩川沿いで撮影したエヴァみたいな風景

だから、これ(サステイナブル)を使う場面は本来もっと限られているべきではないだろうか。ブレーキ的な使い方、我慢のあり方としてはよいのかもしれない。(そう、我慢とは本来、煩悩の一つで、強い自我意識から生まれる慢心のことを指すのだ。)けれど、あちこちで多用されそして長期的な目標として使われることに、違和感を私は感じていたんだ。そう結論に至り、上記の言葉を発するようになった。

頻度や使い方やその適用シーン、いわばTPOへの違和感であって、この言葉自体が別に’嫌いなわけではない’。ひとつの大切なことであると思う。何かを乗り越えたり、踏ん張ってみたりするときには向いていると感じる。そう、例えば、少し堪えた先に未来が見えているとわかっているとき、それは猛暑を乗り切ろうとするときであったり、難しい書物を最後まで読もうとしたり、目指したい身体があってトレーニングしたり。そんな類の時だ。

けれど、生命そのものや社会をはじめとする「流れ」をもつ仕組みは‘そういった時間’だけではできていない。朝が来て夜が来るように、栄枯盛衰という言葉があるように、突き進むエネルギーと共にあったには、’ゆるみ、受け入れ、対応し’、そして変化・進化してきたのだろう。そんな風に、本来の在り方は螺旋状の振り子のエネルギーなのだ。(遺伝子構造しかりSINIC理論しかり。)

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・多摩川にあった新緑の紅葉

いうならば、冒頭のわたしの違和感は正確にはこのようになる。

「サステイナブルという言葉が、それだけでは何かアンバランスな気がしていて、実はあまりしっくりきていません。」

考えるべき点は、わたしたちは、なぜ今のような「sustainability」が必要とされる世の中になった(なってしまった)のかではないか。それは、「作りすぎたり」「働きすぎたり」「掘り起こしすぎたり」したせではなかったか。そう、頑張りすぎたのではないか。上へ上へ、外へ外へと。

そうした今の時代において、大切なのは前述の、’ゆるみ、受け入れ、対応する’力であると考えている。もっと具体的に言うと「きちんと味わう」という能力が大切になるとわたしは予感している。すでにあるモノやコトを解像度高く味わう力、繋がりを想像する力、そして感謝とともに存分にそこに鎮座するあり方。


私たちはこの地球や社会を未来に’残したい’と思うのであれば、sustainability だけでは少し方向性がずれてしまうのではないかと感じている。「きちんと味わう」という感受性を、いわばバランサーのような役割として、一つ候補として紹介してあげたい、そんなふうに思う。

「sustainability」とセットにするのであれば「sensibility」とでも名付けよう。恋人のように。


sustainabilityにパートナーができたとき、そしてゆらぎのシステムをもったときにはじめて、おそらく私たちが描いている望んでいる「サステイナブルな社会」が本当に実現するのではないだろうか。

とそんな風に、私たたちは社会も組織も個人も、「更新していく」のだと思う。

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