お行儀良くない素直な気持、時間差で誰かに届けばいい
またまたnoteではお久しぶりのわたくし。
Twitterはガンガンポンポン言葉が出てきて饒舌になるのに、noteでは途端に大人しくなる現象、なんなんだろう。
それは「ちゃんと記事にしよう」と思うと何も書けなくなるんだと思う。
ですます調とである調を分けなきゃだとか、
きちんとオチをつけなきゃだとか、
この記事は誰が対象?読者のメリットは?だとか、
どうもお行儀よくしなくてはいけない気持ちが先行してしまうのである。
もーそんなのはいい。無視するぞ。
そもそも、ただ一人がボンヤリ考えてることを、改めて記事化するっていう感覚がズレてるのかもしれない。
ただただ考えてることを書き散らかしたり、
自分の中のホットトピックスをペラペラ喋ったり、
とりあえず言わなきゃ気が済まないことをゴリゴリ書き殴ったり、
そういうのでええじゃないか。
(おそらくライター気質がなくエッセイ気質があるタイプ。読むのもエッセイのほうが好き)
誰かに投げた訳でもない言葉が、
ものすごく時間をかけた後、
ほんの1人がちょっとでも面白がってくれれば、
それだけで大変価値のあるものだと思う昨今。
人の、何年も前の廃墟ブログの記事とか読むこと自分にもあるし。
何年か後、こんなこと考えてたなーとか、
この時の文章読むと、あの頃の自分ああだったんだなとか、
未来の自分が振り返った時に、見返せるものが残ってるだけでいい。
つか、写真なり文字なり残しておかないと、人生の節目も転機も無いマンには何も残らないねん。笑
というわけで、もっとカジュアルに文字を残すよん。