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【短編小説】God father

私は世界を駆け回り、数々の商談を成功させてきた。
商談の父。
いつしかそう呼ばれるようになった。
なに、ほんの数時間一緒に食を共にするだけだ。
だがそんな端くれの商人さえ、時には命をも狙われる。
この命は何度旅に出掛けかけたのだろう。
生きて帰ってくる度『死なない商人』なんて噂が立ち、『商談の父』は名を変えた。
──God father──
これが私の通り名だ。

「ファザー、何を呑んでるんすか」
「気になるか?ならお前にも呑ませてやろう」
私は視線を正面へ向け、口を開いた。
「すまない、同じものを頼む」
「承知致しました」
慣れた手つきでボトルを取るその手は、細く華奢。
しかし数々のカクテルを創ってきた説得力を含んだもの。
ここは私が昔から通うbarである。
今日は最近入った若いのを連れて来た。
コイツはどうにも世間を知らない奴だが、どこかほっとけない奴でな。
酒は呑むが、こういう場は馴染みがない。
しょうが無いだろう。
今まで不安から逃げて眠るために酒を呑んできた奴だ。
外へ出るのも久々だと言っていた。
だから連れて来たのだ。
お前はもうこちら側の世界の人間だと知らしめるために。
私なりの契りである。
もうコイツが私の元から離れることは二度とない。
二度とだ。
「お待たせしました。ゴッド・ファーザーです」
「ゴッド・ファーザーて、ファザーの名の通りじゃないっすか」
「はい。ファザーのためにお作りしたカクテルですから」
今まで呑んできたことがないカクテルという酒。
コイツはどんな風に捉えるのか。
一口含んだその時、若いのの眉間に皺が寄った。
「これは、想像より甘い」
「そうか」
「ファザーの名の通りだからもっとガツンとした、力強いもんだと……」
「はっはっは。そうか。確かにそうかもな」
若いのは意見を求めるように前を向いた
「何か間違ったのか?」
「いえ。ご要望通りでございます」
「これは私の好み通り。なんら間違っちゃいない」
私は昔話をした。

あれは私が広東省にある広州へ商談へ行った時のこと。
まだ商談の父とさえ言われていないルーキーの頃だ。
商談もいつも通り上手くいき、普通ならすぐに帰るところだが、その日は一息吐きたい気分だった。
部下を一人付け、他はホテルへ戻らせた。
雨の匂いの中に微かに冬を感じる。
もうすぐ秋から冬に変わるのか。
そんな中ふらりと歩いていると、猫しか通らないのではないかという路地が一つ。
途中に人一人が雨宿り出来そうな真四角な屋根。
そこに鈴蘭のような灯りが柔らかく灯っている。
地元のこじんまりとしたそのバーは、気をつけないと見落としてしまいそうな路地にあった。
「あそこへ行こうか」
その灯りに吸い寄せられるかの如く私達はバーへ向かった。
重厚な黒い扉。
筆記体で書かれた''lily of the valley''が扉に浮かび上がる。
久々に味わう少しの緊張感に胸が躍った。
傘を部下に渡し扉を押すと、中は薄暗く、バーカウンターだけがぼんやりと灯されている。
「いらっしゃいませ」
バーテンダーが一人。
運良く客人もいない。
「何に致しますか」
そういうバーテンダーの表情には、もう既に幾つかのレシピの候補があるように感じた。
「早速で申し訳ないが、何かイチ押しを貰おうか」
バーテンダーは少し驚いた顔をしたが、すぐ元のすました表情に戻った。
「かしこまりました」
静かな空間に氷とガラスがぶつかる涼しげな音が響く。
グラスにスコッチウイスキー、アマレットを注ぎ、慣れた手つきで軽くかき混ぜた。
そっと私の前に差し出されたそれは、ライトに照らされて黄金色に輝く。
「ゴッド・ファーザーです」
「ゴッド・ファーザー……初めて聞くカクテルだな。まるで映画のタイトルだ」
バーテンダーはクスリと笑うと優しい眼差しで私を見た。
「お客様、あまり映画はご覧になられませんか」
「最近はなかなかゆっくりとシアターに行く機会は無いな」
「これは最近上映されたゴッド・ファーザーという映画から作ったカクテルです」
私は一口含むとその優しい味に少し驚いた。
「名前の割に優しい味だな。映画もそんなに優しい内容なのか」
「それはご自身の目で確認されては如何でしょう」
バーテンダーは小さめのグラスに水を入れ、隣にそっと置いた
「今日はどこかお疲れですね」
何もかもを見透かしているようで、その存在を不思議に思った。
だが、何故か不気味だとは思わない。
所作、言葉、配慮、彼を作る全てに惚れたのかもしれない。
「私は一度君に会ったことがあるか」
「いえ、お客様は初めてご来店されました」
「それなら──」
「しかし、あなたの存在なら知っている。いつかあなたはこのカクテルのように懐の深いゴッド・ファーザーとなる。……これはただの私の予想に過ぎませんが」
あぁ、きっと当たるのだろう。
私は素直にそう思った。
「気に入った」
グラスを置き、一息。
「君、名前は」
「レイ・ラン。漢字で書くと鈴に蘭です」
「レイ・ラン。私と共に日本へ来ないか」
最大限の告白である。
彼をこのままこの地に置いておいては、いつかふわりといなくなってしまいそうな気がしたのだ。
「素敵なプロポーズですね」
だが彼の表情は曇った。
「ですが私には日本に身寄りがありません。それにレイ・ランとして日本に行くことは出来ないのです」
「それなら心配はいらない。私が全て手配しよう。名前さえも」
「名前さえも?コードネームでもつけてくれるのですか」
悪戯に笑う表情が麗しい。
「そうだな。それなら……時雨。時雨にしよう」
私が彼との出会いを忘れないように。
ゴッド・ファーザーとの出会いを忘れないように。
この夜を照らす雨さえも思い出を飾る一つであるように。

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