【すしすきーアドカレ】藩士による水曜どうでしょうオススメ回【腹を割って話そう】
ご挨拶からの通常記事一発目がこれってかい??
ええ、藤村くぅん。
ぼかぁこれでほんとうにいいのか、心配だよぉ~
ということで本当にすみません、一発目から完全に趣味に振ったエントリを書きます。
こんにちはこんばんは、時雨と申します。
初めましての方は初めまして、LTLにいる人たちはどうもこんにちは、青い人です。
そもそもアドカレってなんだい?
最近Twitter……じゃないんだっけ、Xなんだっけ。
……住み慣れてたネットがあんなことやこんなことになっておりまして。
7月頃になって混乱がますます色濃くなり、「これはガチで避難先を探さないと何がどうなるか分からんぞ」ということで、
話題のMisskeyというSNSのすしすきーという名前のサーバーにお世話になっています。
結果としては、もはやTwitter見なくなっちゃったくらいすしすきーに入り浸り中。
本拠地になりつつあります。
Misskeyが何たるかとか、分散型SNSがなんだとかそういう話はここではしませんが、すしすきー、居心地いいです。
さてそんなすしすきー、イベントごとがサーバー内でちょこちょこ催されておりまして、DJイベントが定期的にあったりとかするんですが、このアドカレもそんな中のひとつ。
僕も初めて知ったんだけれど、正式にはアドベントカレンダーって言うんですって。
まあ細かい説明はWikipedia先生に丸投げして、ここに飛んできていただいた読者の皆様に見てもらう(他力本願寺)として、つまりは
クリスマスまでの期間、すしすきーユーザー有志が思い思いの記事を書いて、それを読みつつクリスマスを迎えよう!!というもの。わたくし物書きやってた時代があるんですよ、なんか久しぶりに少し書きたくなっちゃったんですね。
しかし何を書こうか。
音楽の話にしようと思ったんだけど、現在別名義で準備中のアルバムの話は準備中すぎてできない。
だからといって車いすで過ごしているから車いすの話というのも安直……。
ということでフォロワーさんに泣きついた結果(ダサい)、水曜どうでしょうのおすすめ回はどうだとの意見をいただいたので「それだ!!!」 と喜び勇んで今これを書いています。
現在時刻、深夜2時。どうぞよろしくお願いします。
水曜どうでしょうってなんだい?
もしかするといまの世の中、名前くらいは聞いたことがある方が多いかもしれない。
水曜どうでしょうとは、1996年から2002年まで、北海道のローカル局HTBこと北海道テレビ放送にて放送されていた北海道ローカルの深夜番組のこと。
2002年のレギュラー放送終了後は特番として、数年に1回ほどのペースで新作が作られている、ある意味長寿番組である。
ローカルであるというところを逆手にとって、『サイコロの旅』に代表される、東京や時には海外などの、通常のローカルのしかも深夜番組が行かないような場所へ出向いたり、テレビ番組でありながら民生用のビデオカメラで撮影するお手軽構成で、行き当たりばったりで予測不能な展開を見せていく企画がウケたことに加えて、
番組販売で全国の地方局に販売されたりしたことで知名度が全国区になっていったこと、また番組内ではミスターの愛称で呼ばれる鈴井貴之(放送当時はタレントとして活動しながら、大泉洋の所属事務所、クリエイティブオフィスキューの社長も務めていた。現在は会長。 番組内では度々社長といじられることも)とともに、
番組開始当初は大学生であった俳優、大泉洋が出演。
さらに藤村忠寿、嬉野雅道両ディレクター陣とあわせ、俗に『どうでしょう班』と呼ばれる4人の軽妙な掛け合いも面白いということで、今や全国にファンが存在。
新作が出るというニュースはYahooニュースのトップやSNSのトレンドに躍り出るほどの人気を誇っている。
ちょうど今年も新作が公開されたので、もしかするとホットな話題かもしれない。
ということでおそらく藩士(どうでしょうファンの総称)歴は10年を越すであろう私が、
水曜どうでしょうを見るならこれは外せないと思うおすすめの回を厳選してご紹介しよう。
これをきっかけにして、水曜どうでしょうにハマる方が増えてくれたら幸いである。:deep_arigatou_fukaku_kansha:
1:壇ノ浦レポート(サイコロ2)
サイコロを振って出た目の行先に行きながら、札幌をゴールとして帰ることを目標としているこの番組の代表的な企画が『サイコロの旅』。
その二作目、『サイコロ2』において生まれた伝説のシーン。
サイコロ2は番組もまだまだ初期の頃のもので、海外ロケなどを行っていくのはこの企画の後に放送される『オーストラリア大陸縦断』から。
後にヨーロッパの国々をレンタカーで完全制覇したり、アメリカを横断したり、オーロラが見たいとの理由でキャンピングカーを借り、アラスカの北極圏へドライブするどうでしょう班だが、この頃はまだ旅慣れしていない様子が垣間見える。
さて、話をサイコロ2、壇ノ浦レポートに戻そう。
どうでしょうという番組は『サイコロの旅』において、とにかくよく深夜バスに乗る。
札幌と反対方向でも出目の行先には向かわねばならない過酷なルールな中、行き当たりばったりでもチケットが取れやすいということもあるかもしれないのだが、
とにかく出目に深夜バスが入っているし、そうして入っていると出演陣が引き当てる。
そして連日の長距離移動で疲れ果てているのにバスに乗せられ、たとえそれが札幌と反対方向であっても、翌朝その地のバスターミナル前、あるいは途中休憩のSAでカメラを回す。
この『壇ノ浦レポート』も、そんな過酷な状況の中で、北海道とは遠くかけはなれた四国・高知から九州は博多へと向かう深夜バス『はりまや号』乗車の憂き目に遭ったことで起きた、どうでしょう本編でも屈指のシーンである。
ね、ね、寝れないんだよオレたち
はりまや号に乗った一行は、山口県に入り、壇ノ浦SAにて途中休憩。
回り始めたカメラが捉えていたのは、天候の悪そうな現地・壇ノ浦SA。
そして『ダメだよ、嵐だよ、寒いよ……』との大泉の言葉に始まり、画面いっぱいに広がる鈴井、大泉両出演陣の今にも泣きそうな表情と『もう深夜バスの中で寝れないんだよ』という嘆きであった。
初日に神戸・三ノ宮から熊本行きの深夜バス『レッツ号』に乗車しており、ふた晩連続の深夜バスに身体が悲鳴をあげているのが映像越しに見てとれ、
狭く硬い座席で疲れを癒そうと思っても、腰や背中、尻が痛くて眠れもせずとタレントが切実に伝えるさまは、バラエティとは思えない緊迫感が広がっているようにも見える。
しかし出演陣だけが参っていた訳ではないことを、大泉は『ね、ね、寝れないんだよ、バスでもう寝れないんだよオレたち』との名言を残しながら、次のように語るのである。
そう、ディレクター陣も当然このバスに乗車している。当然ツラい一夜を過ごしている。
そんなつらさからか、ディレクターは車内でうなされたらしいのである。
この一連の語りに、つらそうな表情でしきりに『そうなの』と同意する鈴井。
さらに大泉は番組の編集スタイルに触れて、テンポよく、しかし切実にこう続けた。
しっかり一晩をそこで過ごすのに、使われる時間はごくわずかで、カットされてしまう。
それに対して本番は寝ている時、つまり使われないところがいちばんきついのだという。
我々の見ているものがいかに一部分的であるか……。無情。
最後、乗車時間はまだ3時間あると訴えながら、寒さに耐えきれずにバスへ戻るところで壇ノ浦レポートは終了する。
壇ノ浦と言えば、壇ノ浦の戦いでおなじみの地名だが、彼らにとってこれはまさしく、壇ノ浦の戦いであったかもしれない。
2:大泉さん、ヘリで嘔吐する(サイコロ3)
先程のサイコロの旅はサイコロ2であったが、今度はサイコロ3。
このサイコロ3のみ、前後編の2部構成になっていて、この衝撃的な事件は後編の方で発生する。(この後編には『自律神経完全破壊』なる副題がついている。過酷な旅だったことがここから伺える)
ちなみに、ネットミーム化した『またしても何も知らない大泉洋さん(23)』の初出は、このサイコロ3を行う前段階で行われた大泉へのドッキリ企画での一コマである。
前回の選択で東京から新幹線でなんとグリーン車で新神戸に到着したどうでしょう班。
鈴井がサイコロを振り、出たのは『ちょっとひとっ風呂 湯村温泉』の目であった。
すると藤村Dがこう漏らす。
『これねぇ……お金かかるんです』
初期の頃の番組スローガンのひとつに低予算を掲げていたどうでしょうだけに、その言葉に出演陣が色めき立つ。
なんとこれ、世にも珍しいヘリの定期航路であった。調べてみると、現在はヘリポートごと廃止されてしまっているようで、聖地巡礼とはいかないようだが、2002年までは湯村温泉のヘリポートまでヘリコプターが旅客便として飛んでいたとのこと。
大泉はトップガンになれるか
さて、そんな目を出したどうでしょう班、特にヘリコプター人生初体験の大泉は大はしゃぎ。
『ケビン・コスナーじゃん、エアーウルフだね』などと言ったり、特に乗り物に弱かった藤村Dに『吐かないでくださいね』と念を押したり、ヘリのその様子をレポートしたりなど、搭乗前から離陸までは至って余裕。
しかし次第に彼の具合が悪くなっていく様子が、カメラにはきっちり収められていった。どうやらこの日の気流はあまりよくないらしく、機体がかなり揺れるとのアナウンスには爆笑していたものの、だんだんとリアクションが薄くなり、言葉少なになる大泉。
途中経由地となる別の空港でトイレ休憩を挟むも、先程までの元気はまるでない。
そうして、ヘリはいよいよ湯村温泉ヘリポートへの着陸態勢に入った。
もう少しで到着する……が、大泉洋の口元には既にエチケット袋が装備。
──着陸体勢に入ってからそう間もない瞬間、前代未聞の事件はかくして発生したのである。
……彼はこの後、紅白歌合戦の司会を務め、大河に出るほどの超人気俳優となる。
そんな今じゃ考えられないことだし、そうでなかったとしても今のテレビではおそらく映せないのだろうが、
タレントがテレビカメラの前でリバースし、当然モザイク付きとはいえ、放映されてしまうという大事件がこの日、HTBで起きたのである。
(ちなみに数年後、同じくどうでしょうで、今やこちらも人気俳優の安田顕がリバースする大事件も起きている)
後に大泉が水曜どうでしょうの本が出るにあたって答えたインタビューでは、
この事件の前にハヤシライスを食べていたことを話した上で、『僕はあれ以降ハヤシライスがダメになりました』と語っていることから、本人にとっても強烈であったことに間違いはないようだ。
最後、湯村温泉ヘリポートに力無く立つ大泉に鈴井は苦笑しつつ、こう声をかけた。
3:だるま屋ウィリー事件(原付東日本縦断ラリー)
どうでしょうを語る上で、絶対に外してはならないもののひとつがこれ。
どうでしょうの企画、特にレギュラー中期~終盤までで定期的に登場し、レギュラー放送終了となる最後の企画として、そしてレギュラー放送終了後の不定期になったどうでしょうでも企画として登場したほどのコンテンツになったのが、『ホンダ・スーパーカブ』による縦断企画。
カブとはなんぞやという方もいらっしゃるかもしれないが、郵便配達、あるいは新聞配達の方々がよく乗っているあの二輪である。
なんだ、バイクならそんなに大変じゃないじゃないか、高速に乗ってしまえるし、と思われるかもしれないが、どうでしょうを侮ってはいけない。
これは原付であり、高速道路はNGである。
ということは、どれだけ高速に乗りたくても、延々下道でいくしかない地獄が待っている企画なのだ。
どうでしょう班は過去3回カブで日本を巡っていて、この東日本縦断はその記念すべき初回。
カブの独特な操作
これはもしかすると今までのハプニングと違い、一歩間違えたら事件事故なのだが、解説をする前に、これを知っておくと楽しめる前提『カブにおけるシフトチェンジの方法』を解説しておこう。
カブのシフトの操作方法というのは少し独特で、足元にペダルがあり、ニュートラル状態でそれを前に踏むと1速、さらに踏むと2速、3速とギアが上がっていき、さらに前に踏むとニュートラルに戻る仕様。
これをロータリーミッションと呼ぶ。
(どうやら現行のホンダスーパーカブはバージョンアップされて色々変わっているようだが、ここでは省略する)
この仕様、少し慣れが必要な操作方法らしく、この企画でカブに乗るまでバイクの経験値がゼロであった大泉が、これの餌食となる。
だるま屋、空を舞う
東京を出発し、下道ながら3日間の強行スケジュールで札幌までの1,100kmをカブで行くどうでしょう班は、新潟県で片側交互通行用の信号に引っかかった。
待ち時間がデジタルで表示されるタイプのあの信号である。
トークで場を繋ぎつつ、5秒前。
すると大泉は自らカウントダウンをスタートしはじめた。
『5、4、3、2、1、0 GO!!』
勢い良く発進しようとしたものの、何故か彼のバイクは動かない。
おかしいなと思ったところで、大泉はバイクのギアがニュートラルに入っていることに気がつき、焦りながら1速へギアを入れた。
──ここで皆さんにお伺いしたい。
なにかお忘れではないだろうか。
彼は発進しようとして、動かないバイクの原因をつきとめた。
そう、発進しようとしていたのである。
発進しようとしてフルスロットルになっているその状態のまま、1速へギアが入ったカブはガコン!!という衝撃の後、勢いよく発進。
前輪が浮き、ウィリーし、大泉洋は跳ね馬に乗ったジョッキーのごとく天高く舞い上がり、近くにあった安全第一の看板に激突したのである。
余談だが、この企画では道中でお土産を購入しカブに積むのが恒例化。
この事件発生時、大泉は高崎のだるまを、鈴井は新潟の米を荷台に積んでいたため、ロケ車で追跡するD陣から、『だるま屋』『米屋』と呼ばれるように。
以上の理由で、この事件には『だるま屋ウィリー事件』なる名前がつき、どうでしょう屈指のシーンとして語り継がれることになったのである。
どうでしょう開始以来のあまりに衝撃的なシーンにロケ車内(というか藤村D)が爆笑しつつ騒然となる一方で、当初は『何ですか??』などと平静を装っていた大泉洋は、最終的には『なまら怖かったよ!!!』と恐怖をあらわに。
安全第一、改めて心に刻んでおきたい。
4:腹を割って話そう(東北生き地獄ツアー)
最後は本稿のタイトルにもなった、おそらくどうでしょうでいちばん有名なシーンをご紹介しよう。
これはどうでしょうの企画『桜前線捕獲大作戦!』で実際に訪れた土地を巡ろう!というバスツアーが企画されたものの、さすがに本人たちがバスツアーに同行してしまうとパニックになる懸念から、変装をしてこっそりついて行こうとの趣旨でスタートしたもの。
事件は、雪の中で青鬼のコスプレをして風邪をひいたなか、2時間のトークショーを終え、さらに打ち上げを終えて疲労困憊の大泉にいきなり降りかかった。
映像はその大泉が、既に藤村Dとなんらかの舌戦を繰り広げている途中からスタートする。
この事件の完全な被害者である大泉が、視聴者である我々に向けて訴えた全文はここにあるので、ぜひ読んでいただきたいのだが、いかんせん長いので要約すると、
──という、あまりにもかわいそうな顛末なのであるが、 このとき、苦しまぎれに大泉はとある言葉を発し、それが水曜どうでしょうが現在まで続く要因となる。
一生どうでしょうします
長く続き、大泉が『バカ野郎、帰れ』と散々言っても部屋からいまだ帰らない藤村Dとの舌戦を繰り広げたのち、なぜか鈴井と当時のどうでしょうのプロデューサーも部屋に呼ばれ、ますます寝れる環境ではなくなったその中で、大泉は次のように語る。
たしかにこの時は早く寝かせてくれと言わんばかりに、苦しまぎれに放った言葉だったかもしれない、と本人も後年に出版されたエッセイ本の中で述懐しているのだが、
実際この言葉は、その数年後に最後の企画として迎えることとなった『ベトナム縦断 1800キロ』に入る前の最終回告知にて、どうでしょうの番組そのもののスローガン的なものに採用され、以降、レギュラー放送が終わってもなお、大泉洋がどれだけ人気になろうとも不定期で続いているのである。
つまり、もしこの発言がなかったら、レギュラー放送後のどうでしょうはなかったかもしれないのだ。
まあしかしながら初出の状況はかなり面白い状況での一言なので、本編で見る際はぜひその言葉のその後と、その場の雰囲気の落差を楽しんでみるのも面白さが増える楽しみ方かもしれない、と個人的には思う。
何よりも風邪をひいていようと衰えることの無い、大泉洋という人のトーク力と語彙力は本当にすごい。
ぜひ本編で大泉洋という人のその凄さを、この『腹を割って話そう』のボヤキから感じ取ってもらえたら、さらに水曜どうでしょうという番組を面白く見られるのではないかと思う。
さいごに
ということで、まだまだ紹介したいシーンや語録も大量にあるけれど、
とりあえずこの文章を読んで水曜どうでしょうという番組そのものに興味を持っていただける方が少しでも増えたら幸いです。
久しぶりの文章、かなり雑多にごちゃごちゃ書き連ねてしまいましたが、お楽しみいただけましたでしょうか。
もしこれを読んで藩士の仲間入りを果たしてくれた方がいたら、その時はいつかお互いに、腹を割って話せたら嬉しいかもしれません……なんてね。
ということで師走に全く関係のない、趣味全開アドカレでした。
感想を是非聞かせていただけると励みになります……!
お粗末さまでした、時雨でした。
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